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Re[45]: :つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/10/31(Fri) 18:23:38)
| No44555の(M-n)からのは前に書いて見たけど、いまは別の話題。
いまの話題にもどって、・・・・あれ、なんだっけ?・・・・・現象学のカントの、みたいなのになってるのかな?
No44483のメルポンのカントの、(kM)のなかに『所産的意識』って、「所産的」っていう用語、これ、スピノザのじゃない?って思って、ネットで調べたら、「能産的自然と所産的自然」(資料S)っていうのがあって、やっぱそうみたい。 メルポンのなかにもスピノザが出てきてて、「能産的」っていう用語も出てくるのね。その部分、書き出して見るね。 No41741 (M-C) 『カントの「超越論的感性論」の意味は、だいたいこのようなものである』ってメルポンんが言ってるなかの一部に、 (M-S1)―――――――――――――――― 身体について言えば、それも意識の面前で構成される対象のひとつとなって、客観的世界の内に加えられる。そしていかなる自然も能産的認識の相関者としてしか考えられないから、〈認識〉を自然の一出来事として扱うことはもはや問題とならないことになる。 ――――――――――――――――――――――(p127) そして、 (M-S2)―――――――――――――――― 批判主義は、知覚の主知主義的理論を完成することによって、形式と質料、与えられたものと思考されたもの、心と身体などの関係からおこる諸問題を解決しようとする(35)。実際、もし知覚のなかに〈科学のきざし〉、あるいは科学的整理によってのみ完成されるような〈経験組織化〉の端初を示すことができるとすれば、いわゆる〈感覚的意識〉が問題となるということもないであろう。なぜなら、知覚的経験に「独自な」諸性格があるとしても、それはすべて欠如と否定によって理解できるものとなるからである。すなわち「直接的経験の宇宙は、科学によって要求される以上のものは〈含まず〉、〈それ以下〉のものだけを含んでいる。なぜなら、直接的経験の宇宙などといったものは表面的で骨抜きにされた世界であり、スピノザの言うように、前提をともなわない帰結の世界だからだ」(36)ということになる。 ――――――――――――――――――――――(p128-129) 原注(35)Brunschvicg, L’Experience humaine et causalite physique, p.466. 原注(36)Ibid., p.73.
(kM)の(第二版にように)「カントにおいては、結局のところ感覚的と言える意識は存在せず」っていう流れから、「スピノザの言うように、「前提をともなわない帰結の世界」っていうことになってるのかな? (ちなみに、わたし、メルポンの言う「批判主義」をカントの、「主知主義」っていうのをデカルト、カントの、ってして見てる。)
(資料S)によると、 (S)―――――――――――――― 能産的自然(蘭:natuurende Natuur)スピノザ『神・人間および人間の幸福に関する短論文』第1部第8章 所産的自然(蘭:genatuurde Natuur)スピノザ『神・人間および人間の幸福に関する短論文』第1部第9章 ルネサンスの自然哲学の考え方の中には、すでにこの 自然は二重の位置を与えれていて、自然に対する神の調停機能の理解として、神は「能産的自然(natura naturans)」、現象世界は「所産的自然(natura naturata)」と捉えて、この矛盾の一致を、神において認識するというものがある。知恵ある無知という考え方を提示したニコラウス・ クザーヌスがそ の例であるが、この用語を明確に区分し、能産的自然に神の位置をあてはめたのはスピノザだという。しかし、この2つの用語の最初の提唱者は、ヴィンデルバ ンドによるとアヴェロイズム(Averroism、アイブン・ルシュド=アヴェロエス ( Averroes, 1126-1198)中世の偉大なアリストテレス註釈者による哲学や思想)に由来するものだという。 ――――――――――――――――― っていいことみたい。
これらから、わたしの見え(…のように見える)は、 @感性(感-知覚)―受動的総合(フッサール)―所産的自然―現象世界(スピノザ) A悟性(思-考)―能動的総合(フッサール)―能産的自然―神(スピノザ) で、 カントの場合、人間の悟性が形而上学〈人間の経験的生活世界を超えたところに、知の究極的・普遍的・必然的なものがあって、それを探究する学問〉に結びつけられてるんじゃないかな?って。
(M-S1)に「身体」がが出てきてるけど、カントが「身体」についてどう見ているのははわたしにはわかんないんだけど、メルポンにおいては、「自然」「身体」「知覚」がつながってるようなのね。ここんところはまた後で見てくことにするね。
メルポンのカントのについてはひとまずこのくらいにしとくね。
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