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No44483 の記事


■44483 / )  Re[35]: :つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/10/19(Sun) 10:52:09)
    No44477で見たようなカントの(Eb2)(Eb3)(Eb4)で想いだしてるのがメルポンの。

    No41741(M-C)のなかに、
    (kM)――――――――――――――
    だが、この批判主義的態度は暫定的なものでしかありえないはずであり、『純粋理性批判』の第二版がそれを示している。実際われわれは、「〔感性〕に与えられたもの」と「〔悟性によって〕思考されたもの」との関係とか、純粋感覚ともいうべき〈惰性的な「物」〉にたいする意識の作用とか、また「触発」と認識の関連、感覚的意識と悟性的意識の連関などをどう考えたらよいであろうか。そのように反省してみると、カントにおいては、結局のところ感覚的と言える意識は存在せず、「感性論」と「分析論」の分裂とか、所産的意識といったものは存在しないことになってくる(34)。
    ――――――――――――――――(p127-128)
    原注(34)―――――――――――
    よく知られているように、『純粋理性批判』の第二版は、〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」の言う「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え、また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――それは、その各段階が次の段階を予想するにもせよ精神の〈一構造〉にすぎないような外観を呈するものであたが――を放棄して、意識のすべての水準――それは抽象的分析によってのみ区別される――に「我思う」が現前してるということを、第一版よりもいっそう明らかにしようとしているのである。
    ―――――――――――――――(p186)
    ってあった。
    (kM)の〈惰性的な「物」〉っていうの、他のところに、『惰性的な〔=意味をもたない物質的な〕』、ってある。
    これわたし、物理学における「物」、みたいなのをイメージしてる。

    (カントのいう人間の認識――悟性を可能にする主観的認識―の源泉における)〔三段の綜合〕っていうの、
    No41672(本Ko)ので見ると、
    (1)直観における覚知の総合――感官
    (2)構想力における再生の総合――構想力
    (3)概念における再認の総合――統覚
    だと思う。
    でも、これが原注(34)にあるような「〈超越論的想像力〉の」、なのかはわたしには分かんない。


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