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間違えてたかも( ノД`)シクシク…
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□投稿者/ pipit -(2025/09/02(Tue) 20:16:17)
| 2025/09/02(Tue) 20:51:26 編集(投稿者)
悪魔ちゃん、こんばんは!
No44072 > > (超越論的統覚についてのpipit私見) > > 例えば、 > ある時のカマキリについての意識 > ある時の茄子についての意識 > ある時のカエルについての意識 > > 意識についての意識---「上記の意識は全部「私」の意識です。」---自己意識---カマキリを、茄子を、カエルを、見てる、見てきたのは、、、この「私」 > ・・・と、考えるように(意識するように)アプリオリにプログラミングされてるのが認識の主(主が分割出来ない単一の実体とは限らない)。 > > って感じかなーと思ってます。<
って書いたんだけど、上記はもしかしたら、超越論的統覚ではなく、「意識の主観的な統一」にあたるかも!?と、先ほど純粋理性批判B139を読んで思いました。
って言っても難しくてわからんけど(´;ω;`)ウゥゥ
上記pipit感想部分が「主観的な意識の統一」としたら、超越論的統覚ってもしかしたら、いろんな感性データを超越論的統覚を根底にカテゴリーで一つの対象に紐づけて理解する(=対象が客観的に生じる)。そんなことを思いました。これも違うかもですが(/・ω・)/?
とりあえず、『純粋理性批判 上』以文社、p192のB139の文章を引用しますね。 m(__)m
(カントの文章の田村一郎先生訳) 『§18 自己意識の客観的統一とは何か 統覚の超越論的統一とは、直観において与えられたすべての多様がそれによって客観の概念に統合される統一のことである。したがってこの統一は客観的と呼ばれ、意識の主観的な統一からは区別されなければならない。』
失礼しましたm(__)m
もひとつ感想…一つの対象が意識にこんにちわしてくれる世界観の方がラクな気もしてくるなあ〜
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