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Re[36]: つれづれなるままに 20
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/07/05(Sat) 17:03:25)
| No43690の、 構想力=心の中に像(Bild)を形成する力 で、「こころ」が出て来て、ちょっと想い出したんだけど、 No43469で、わたし、 「感官」≒〈脳(身体)〉→〈こころ(精神)〉 ってして見てるなかで、 ちょっと気になるところがあって、 (本Ko)の(p194)に、 (3)―――― カント自身、『純粋理性批判』で、構想力に産出的能力を見いだしたことに、自身の独自性を主張しています。従来の心理学者は、一方で構想力を再生の能力として限定して考え、他方で感官に像を形成する能力を認めました。それに対して、カントは、構想力に生産的な能力を認め、感官そのものには像を形成する能力を認めないのです。 ―――――― ってあるのね。 カントの「構想力」には〈再生的構想力〉と〈産出的構想力〉があって、 「感官」≒〈脳(身体)〉っていて見て、(3)をわたしの見方で書くと、 (3)A―――――――― カント自身、『純粋理性批判』で、〈産出的構想力〉を見いだしたことに、自身の独自性を主張しています。従来の心理学者は、一方で構想力を〈再生的構想力〉として限定して考え、他方で〈脳(身体)〉に像を形成する能力を認めました。それに対して、カントは、〈産出的構想力〉を認め、〈脳(身体)〉そのものには像を形成する能力を認めないのです。 ――――――――――― っていうふうになる。 簡単に見ると、 (A3)カントの〈産出的構想力〉による像を形成する能力は、〈脳(身体)〉の能力ではない。 っていうふうに見れる。
わたしの想像なんだけど、〈神や死後の魂の永遠などの人間の認識を超えるもの(超越的・形而上学)〉に、カントの「超越論的」をかかわりをもたせるために、〈神や死後の魂〉は身体を持たないわけだし、だから、〈産出的(純粋)構想力〉を〈経験的なもの〉を可能にするものとしたとき、その能力を〈身体(脳)〉によるものとするとまずかった、みたいな? なんか上手に言い表せないけど、たぶんこんな感じだったんじゃないかしら?
あ、また別の話題にちゃってる〜
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