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Re[72]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/06/07(Sat) 14:54:34)
| カントのわたしの物語りつづけま〜す。
No43412の(K1)〈悟性を可能にする、三つの主観的認識源泉〉のところを見てるんだけど。 この「「主観的」ってあるの、pipiさまのおかげで、〈主観の内の客観〉っていふうにして見たことから、「知覚〈主観/素朴的)〉」だけじゃなくて「経験〈客観/科学的〉」の両方を指しているとして見た。すなわち「経験的」っていうことね。だから、「主観的認識」っていうのを〈経験的認識〉、あるいは〈経験的判断〉って見ることになるかな。 で、 No43414のつづき、
(K1)、わたしの見方で書くと、 (K1-A)――――――――――――――――― (3)この自発性〈(経験的)コギト〉が、一切の認識〈経験的判断(知覚判断と経験判断)〉において必然的に現れる三様の総合の根拠である。 三様の総合とは、直観においてこころの変容としての諸表象を覚知すること、構想において諸表象を再生すること、概念において諸表象を再認すること、である。 ――――――――――――――――――――
【根拠】っていうの、ネットで調べたら、 (デジタル大辞泉) 物事が存在するための理由となるもの。存在の理由。 (精選版 日本国語大辞典) ( ━する ) もととしてよること。また、そのよりどころ。基づくところ。
ってあった。 ここでは「根拠」っていうのを「よりどころ」ってして、
(3)の最初の二行を、 @一切の認識〈経験的判断(知覚判断と経験判断)〉において、 A〈(経験的)コギト〉が、必然的に現れる三様の総合の〈よりどころ〉である。 ってして見て、 B「三様の総合」が@に「必然的に現れる」。この「三様の総合」の〈よりどころ〉となっているのが〈(経験的)コギト〉である。 ってして見た。
で、「三様の総合」っていうの、 御子柴さんは、 〔三つの主観的認識源泉とは「感官、構想力、統覚」(A94)です〕 〔「構想(Einbildung)」とは、「像(Bild)を作ること」〕 〔概念における再認の総合を可能にする源泉として「統覚」〕 って言ってる。
で、簡単に、「主観的認識〈経験的認識(判断)〉」の源泉っていうのを、 (a)感官〈内的感官〉における「覚知」 (b)像(Bild)を作る「構想力」 (c)概念における「統覚」 ってして見た。
後御子柴さんは、 ・(a),(b)に、(c)が加わることで、 〔主観の能力としての「悟性」が可能になり、客観的な対象認識としての経験が可能になるのです〕 って言ってる。(ここの〔経験〕を〈客観/科学的〉ってしてわたし見てるよ)
(c)の「概念」なんだけど、 No39211で見たように、 「概念」っていうのを、「悟性の能力である思惟〈思考〉に属するもの」ってして見てる。 そして、わたしのばあい、〈思考-概念〉と〈概念-思考〉に分けて見てる。 (c)の「概念」っていうのを〈思考-概念〉の方、ってして見た。
(a),(b),(c)については後で出てくるのでそのときに。
ひとまず、ここからは、 「主観的認識」〈経験的認識(判断)〉の源泉には、〔感官〈内的感官〉における「覚知」〕〔像を作る「構想力」〕〔概念における「統覚」〕の三つかがあって、その根拠となっているのが自発性〈(経験的)コギト〉。 ってして見た。 わたしのばあい、この三つの源泉は、あくまでも「経験的なもの」においてのものと、見てる。 んだけけど、 御子柴さんは、 〔カントは三つの主観的認識源泉に対応して、三様の総合に相当する内容を他の箇所ではつぎのように表現しています。「1)感官による、ア・プリオリな多様を見渡す作用、2)構想力による、ア・プリオリな多様の総合、最後に3)根源的統覚による、この総合の統一」(A949)〕 って言ってる。 ここには〔ア・プリオリ〕とか〔根源的〕ってあるから、この三つが、「経験的なもの」としてわたしが見てる(1),(2),(3)と同じことでいいのかはわかんない。(K1)では「主観的認識源泉」ってあって、この「源泉」っていうのが〔ア・プリオリ〕、〔根源的〕と同じとして見ていいのかはいまんとこ分かんないっていうこと。
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