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Re[63]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/05/24(Sat) 18:21:12)
| No43305で、カントの「意識」っていうのを、〈「私は考える」という意識〉ってして〈エゴ・コギト〉って見ることにしたんだけど、ネットで確認したら、 「Wikipedia」に、 〔「我思う、故に我在り」仏: Je pense, donc je suis、羅: Cogito ergo sum、英: I think, therefore I am)は、ルネ・デカルトが仏語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題である。 ラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。デカルト自身がラテン語で書いた『哲学原理』(Principia philosophiae)ではego cogito, ergo sum、『省察』では、Ego sum, ego existo と表現されている。〕 ってあって、 あと、 「ラテン語入門(第5講)」に、 〔1人称:sum(スム)(I am) ――私はいる〕 ってあった。
ラテン語では「cogito」だけで 「我思う」の意味みたいなので、「私は考える」は〈コギト〉だけいいかな、って。 で、カントの「意識」っていうのを〈コギト〉ってして見ることにした。
「sum」は「私は存在する」ってして見て、 そして、 No43291の(資料S)や(資料Ap)のを見ると、 カントにおいて、sumの「私」(あるいは「自己」「自我」「主観」」)っていうのと「内的感官」「意識」「統覚」は連関している見たいなのね。 ここらへんはだいぶややこしそうなので、わたしに見えたのができたらにする。
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