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Re[13]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/18(Fri) 19:52:57)
| No42428のつづきね。
(本Ko)の人の〈一致〉の出所につてね。 で、わたしが見てるのだけ今日は書いとくね(じつはまだ簡単にい言うとできてないんだけどね)。
No41672の(本Ko)の〈一致と対立〉(p342〜)から、
−(1)―――――――――――――――――――― 実在性がもっぱら純粋悟性によって表象される場合(ヌーメノン的実在性)、諸実在の性のあいだに対立は考えられない。すなわち、諸実在性が一つの主語において結合されることで、たがいの帰結を廃棄するような間係、3−3=0のような関係は考えられない。これに対して、現象の中の実在的なもの(フェノメノン的実在性)が相互に対立できるのは確かなことであり、同一の主語に結合されるなら、一方が他方の帰結を全面的にか部分的にか無に帰せることができる。 (A264f./B320f.) ――――――――――――――――――――――― −(2)―――――――――――――――――――― (a)ここでは「実在的対立」が話題になっています。
(b)力A1とA2という区別された二つの力があるとします。両者の実在性について、純粋悟性が概念的にはまったく同一であると考えたとします。これは考えられたがゆえに、「ヌーメノン的実在性」です。
(c)運動会の綱引きにおいて、綱を反対方向に引っ張る両チームの力が均衡していれば、綱が動かない様子を思い浮かべてください。A1とA2の実在性について、概念的には「一致」しか語れませんが、感性との関係において捉えられた「フェノメノン的実在性」には「対立」があるから静止が生まれるのです。この「実在」にかかわるには、私たちは概念的思考を超え出て直観にかかわらなければなりません。 ―――――――――――――――――――――――
(1)はたぶん(本Ko)の人のカントの訳 そして、 (2)っていうことだから、 No42013の(資料0)の(f)から −(3)―――――――――――――――――――― (d)「実在的(real)」とは、realitasというラテン語の伝統的な意味、すなわち或る事物(res)が何であるかにかかわるという意味で用いられている。
(e)実在的対立とは或る事物の属性間の対立として理解される。 ―――――――――――――――――――――――
もっとも「実在的対立」についての解釈、柳瀬さんのと、御子柴さんのとは違うかもだけどね。
ここんところから、わたしにでもわかるように、っていうか〜、わたしの勝手な見えかな。
これ、つづく
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