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No42241 の記事


■42241 / )  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2025/04/16(Wed) 19:06:43)
    2025/04/16(Wed) 19:09:47 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは(^ ^)

    No42238
    > (a)「感覚の始まりである0」ってして見る。
    > (本Ko)のBに、
    > (c)『感覚はある量・・・・内包量をもつ』
    > (本Ko-O)のBに、
    > (b)〔知覚の含んでいる感覚がもつ量〕
    > ってある。
    > (a),(b),(c)から、
    > 感覚と知覚をセットにして、〈感覚-知覚〉ってして見て、
    >
    > (Ko4-A4)〈感覚-知覚〉において、カントが「0」と呼んでいるものは「内包量」をもつ
    >
    > ってして見る。<

    違ってたらごめんやけど、
    感覚の始まりが、感覚の形式を表現してるとしたら、内包量を持たないゼロ、かもしれないなと思いました。

    カントがカテゴリーに沿って『無』を説明してる箇所は、純粋理性批判B346-
    です。
    御子柴先生の解説では、角川選書のp354-です。

    『関係のカテゴリーに含まれる実体概念の対象が欠如している場合の「無」』
    について述べた、カント文章を引用します。↓

    (カントの文章)
    『実体をもたない直観のたんなる形式は、それ自体ではある対象でなく、(現象としての)対象のたんなる形式的な条件である。たとえば純粋な空間、純粋な時間などであり、これは直観の形式としては〈何かあるもの〉であるが、直観される対象ではない想像物(エンス・イマギナリウム)である。』
    (『純粋理性批判3』中山元先生訳、p303より引用)

    この部分の御子柴先生解説文は、角川選書のp358の真ん中あたり、「想像物(ens imaginarium)」という単語から始まる箇所です。

    対象一般について内包量ゼロでも形式としての「想像物」として純粋直観は存在できるってことかなぁ?
    違うかな?わかりませんが...

    それでは失礼しましたm(_ _)m
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