| ■41825 / ) |
Re[79]: つれづれなるままに
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/06(Sun) 09:38:22)
| No41823のつづき 香川さんはメルポンのを読んでる、ってした見たので、ちょっとメルポンのと絡めて見たよ。
No41615のところ見て見ると、
〔原初的経験〕とか〔原初的な経験の場〕ってあって、他の所に〔日常的な経験〕(p110)とも書いてある。わたしこれらをまとめて〈私たち人間の生活世界での経験〉っていうふうにして見てる。 メルポンの「世界における(への)存在」の「世界」っていうのは私たちが暮らす生活世界のことだとわたし見てる。 で、 私たち人間の〈経験的なもの〉における「認識」については、 @生活世界での経験的認識(原初的な経験の場における認識) A科学的認識 って、わたしのばあい分けて見てる。 だから〔ニュートン物理学的な経験〕はAに入るのね。
〔原初的〕っていう言葉もメルポンの本の中に出てくる。たとえば(何度も書いてるけど)、 No41741の(M-P)のなかに、 『われわれがこの起源に遡り、言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるであろう。』(p305) のように。 あと、 (9)にハイデガーのが書かれてある。
〔認識−対象−関係〕ってあるけど、これ〈対象−認識〉の関係、っていうふうにして見てる。 あと「経験」っていうのを〈現実的経験〉とも見て、 でね、 〔経験的なものは「それによって対象がその現存在に関して与えられたものとして表象される感覚」に対応し、「経験の実質を構成する」。この経験の質料的契機はこの場合経験の非独立的な契機として経験全体の構造のうちで把握され、触発との関係でのみ語られるに過ぎず、原初的な経験の場においてその独自な展開が試みられるということはない〕 ここんとこ、わたしこう見たよ。 〈現実的経験における〈対象(私の外にあるもの)と私の認識の関係〉のなかで、私の外にあるもの(対象)は、非独立的に〈感官-感覚〉され、これが質料的契機となり、経験的に直観(感覚にもとづく直接的な知)される。 カントの場合、この〈感覚-直観〉は触発との関係でのみ語られ、メルポンのように原初的な経験の場においてその独自な展開が試みられるということはない。〉 って。 (5)にもそんな感じのが書いてある。 〔知覚判断〕ってあるんだけど、 No41741の(M-C)に、 『認識の〈質料〉は、意識の自己反省に際して、意識によって設けられる極限概念となり、もはや、認識を構成するものではなくなるのである。だが、そのときから、知覚は「悟性的認識」の一変種となり、またそれのもっている積極的な面から言えば〈判断〉となるわけである。』(下p128) ってあった。 (資料E)には、〔対象の知覚に際して自発性が既に関わっている〕 ってある。 この〔自発性〕とか『積極的』っていうの、カントの場合「考えること」に使われてる感じしてる。 だから、 〈対象の知覚に際して考えることがすでに関わっている〉 って見るのね。 こうして見ると、 No41075 につながる。
|
|