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No41232 の記事


■41232 / )  Re[55]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/03/16(Sun) 13:55:31)
    現象学の姿勢として、「いつも最初からやり直す」とか「永遠の初心者」って言ってる。
    それに倣って、っていうか〜、っていうより〜、わたしのばあい呑み込み悪い(っていうか理解力低い)せいかな。

    でね、またちょっと戻るんだけど、
    No40924で見たように、
    No40902のKoCから、
    カントの「認識」っていうのを
    (K-E)「認識」=客観的な知、論理的な認識〈知〉
    ってして見てるんだけど、「客観的な知」っていうのどういうの?
    ってうことで、あらためて「客観」、「主観」を調べて見た。

    ネットに、「主観 – Wikipedia」 「客観 – Wikipedia」 があったのでこれを手がかりにしてちょっと考えて見たよ。

    (1)語源のところから―――――――――――――――

    (x)―――――――――――
    (x1)ラテン語の subiectum はギリシア語の hypokeimenon(ヒュポケイメノン:基体)。
    (x2)(ギ)hypokeimenonはアリストテレスの用語。
    (x3)(s1)は、「下に置かれているもの・こと」「ある議論ないし理論において何かを述べたり規定したりするときにその前提とされているもの」
    (x4)(ラ)subiectum、(ギ)hypokeimenon は、古代から近代初頭まで常に「基体」という意味と「主語」という意味で使われてきた。
    (x5)ホッブズ――「感覚の基体(subiectum sensionis)」
    (x6)ライプニッツ――「基体あるいは魂そのもの(subiectum ou l'âme même)」
    (x7) カント哲学以前より (ラ)subiectum には「心の内なる基体」「心の内なる実体」と言った用法が使われていたことが容易に想像できる。

    (y)――――――――――――
    (y1)ラテン語の obiectum はギリシア語の antikeimenon。
    (y2) (ギ)antikeimenonは、アリストテレスの用語。
    (y3) (ギ)antikeimenonは、「向こう側におかれたもの」。
    (y4)(ラ)objectum と objectum の形容詞形である objectivus はアリストテレスにおいて「対象」を意味していた。
    (y5)中世スコラ哲学では(ラ)objectum は「投げられてあるもの」を指し、意識の志向的対象、意識、表象などを意味する。
    (y6)(ギ)antikeimenonは、「向こう側におかれたもの」、複数形で「たがいに対立し合うもの」、単数形で「思考や感覚の働きに対置させるもの」。
    (y7)デカルトやスピノザも realitas objectiva を単に表象され限りの事象内容(可能的事象内容)の意味で使用しており、現実化された事象内容である realitas acutualis(現実的事象内容)や事物そのものの形相として存在する事象内容 realitas formalis(形相的事象内容)を意味している。
    ――――――――――――――――――――――――――

    (2)――――――――――――――――――――――――――
    (xy1)アリストテレスや、中世から近代初頭にかけては、subiectum(hypokeimenon) と objectum (antikeimenon) を対を成す用語(概念)としては使っていなかった。
    (xy2) 中世から近代初頭においては subjectum が客観的存在者を意味しており、obiectum が主観的表象を意味していた。
    (xy3)(ラ)subiectumは(独)Subjek。(ラ)obiectumは(独)Objekt。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

    (3)カント以降では―――――――――――――――
    (k1)カント哲学においては意味が逆転し Subjekt が「主観」を Objekt が「客観」を意味するようになった。
    (k2)「主観」と「客観」が対立する概念として扱われるようになった。
    (k3)客観的実在は悟性の範疇で決定されることになった。
    (k4) subiectum(hypokeimenon)は、カント哲学以降のいわゆる「主観」という意味は全く含まれていなかっただけでなく、「基体」という意味で subiectum が使われる場合は「心の外にそれ自体で存在するもの」であるという意味で使用されていた。
    (k5)カントは subiectum を認識機能の「主観」と位置付け、主観自体は世界を超越していながら世界の存在を基礎づけるという意味で「超越論的(transzendental)」な「主観」に読みかえることで、認識される限りの「客観(obiectum)」のみを存在者として認知する「主観−客観関係」という論理を発表した。
    (k6)しかしカントの論理では認識主観とその相手となる客観であるところの「現象」の背後の「主観−客観関係」には人間があらゆる認識手段を使用しても知り得ない「物自体」を想定せざるを得なかった。
    (k7)カントは意識の外側に人間があらゆる認識という手段を使用しても知り得ない事物を想定した。
    ――――――――――――――――――――――――

    「Wikipedia」のをこういうふうにして見たのね。

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