□投稿者/ pipit -(2025/03/14(Fri) 21:15:02)
| 悪魔ちゃん、こんばんは(^ ^)
No41196 > (K-お)のはぜんぜんわかんないだけど、<
(K-お)文の後に続いている文章を足すと、もう少しわかりやすくなるかも、とその箇所あたりの田村一郎先生の訳文をご紹介するね。
『純粋理性批判 上』以文社、p117より引用。(B80.81) 『ここでその影響がこれからの考察のすべてに及ぶし、誰もがはっきりわきまえておかなければならない一つの注意をしておこう。
それは超越論的と呼ばれなければならないのはア・プリオリな認識のすべてではなく、そう呼べるのは(直観であれ概念であれ)ある表象がア・プリオリにだけ用いられるかア・プリオリにだけ可能であるか、あるいはどのようにしてそうなるのかをわきまえているようなア・プリオリな認識(つまり認識のア・プリオリな可能性か認識のア・プリオリな使用)に関してのみということである。
したがって空間も、空間のなんらかのア・プリオリな幾何学的規定も超越論的表象ではなく、こうした表象がまったく経験的な源泉を持たないという認識だけが、それにもかかわらずこれらの表象がどうして経験の対象にア・プリオリにかかわりうるかという可能性だけが、超越論的と呼ばれるのである。』
引用終了。
それではー m(_ _)m
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