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Re[46]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/03/14(Fri) 18:46:23)
| カントの言う「超越論的」っていうの、p113-114に書いてあった。 ちょっと書き出して見ます。
〈超越論的認識とア・プリオリな認識〉 (K-お)――――――――――――――――― 『ここでひとつ注意しておこう。この注意は、以下に続くすべての考察に影響を及ぼすものであり、しっかり念頭におかれねばならないものである。あらゆるア・プリオリな認識を超越論的と呼んではならない。超越論的(すなわち、ア・プリオリな認識の可能性あるいはア・プリオリな認識の使用)と呼ばれねばならないのは、なんらかの表象(直観あるいは概念)がもっぱらア・プリオリに適用されること、またいかにして適用されるか、あるいはその表象がア・プリオリに適用可能であること、またいかにして適用可能であるかを、それによって私たちが認識するア・プリオリな認識である。』(A56/B80) ―――――――――――――――――――― (お)――――――――――――――――― これは複雑な文章なので、例を挙げて説明しましょう。三角形の内角の和が二直角であることも、7+5が12であることも、ア・プリオリな認識ですが、これらは超越論的認識とは呼ばれません。超越論的認識とは、そうしたア・プリオリな認識が可能であること、またいかにして可能であるかを認識させるような、ア・プリオリな認識なのです。したがって、超越論的という形容詞が用いられるのは、認識の対象についてではなく、私たちのこころの表象についてなのです。私たちはやがて「超越論的対象」や「超越論的理念」という表現に出会うでしょうが、このことを忘れないことが大切です。もちろん、「超越論的論理学」についても同様です。先に、超越論的論理学は対象にかかわる純粋思考を対象にしていると記しましたが、対象にかかわるからといって、この論理学は対象領域の側に論理を見出そうとするものではありません。 ――――――――――――――――――――
(K-お)のはぜんぜんわかんないだけど、(お)のをペイントして見たので添付します。 ここんところについては後で、わたしの、お喋りしようと思いま〜す。
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