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No40965 の記事


■40965 / )  Re[17]: つれづれなるままに 18
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/02/14(Fri) 18:50:35)
    今日はカント用語、もう一つ

    「ア・プリオリ」なんだけど、

    ネットから一部
    [nア・プリオリ]―――――――――――――――
    (ウィキペディア)
    @アプリオリ(羅: a priori)とは、議論や知識の前提があらゆる経験に依存しないことを表す言葉。知識が経験的証拠(英語版)に依存する場合、アポステリオリと表現される。

    Aカントにおける「アプリオリ」の概念
    「わたしは何を知ることができるか」「わたしは何をなすべきか」を問い、自然や人間を認識する「理性」(理論理性)の限界を明らかにするために批判哲学を打ち立てた18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、哲学もまた数学や自然科学にならって、必然的で普遍的な思考方法を獲得しなければならないと主張した。そして、そのためには、人間のあらゆる経験から独立して、理性自身が認識のわく組みを決めることができなければならない、とした。これが「アプリオリな認識」である(アプリオリな認識のうち、経験的なものをまったく混入していない認識を「純粋認識」と呼ぶ)。

    (改訂新版 世界大百科事典 )
    Bア・ポステリオリa posterioriと対をなして,推論の二つのあり方を規定する中世スコラ哲学の用語。ア・プリオリとは〈より先なるものから〉の意味で,元来,原因から結果へ,原理から帰結へという方向をとる推論・認識を,ア・ポステリオリ(〈より後なるものから〉の意)は,その逆の方向をたどる推論・認識を意味した。神とその諸属性,理性,道徳的諸性質やそれらについての概念,判断,認識はア・プリオリと,一方,人間により近い感覚的経験的なものをもととする推論・認識はア・ポステリオリと考えられたのである。
    ――――――――――――――――――――――――

    (本Ko)から、

    (Ko-a)〔「ア・プリオリ」とは「経験に依存することなく、感官の一切の印象にさえ依存することのない」ことです。他方「ア・ポステリオリ」とは経験を源泉としてそれに依存していることです。〕(p57-58)

    あと、カントにおいて、「ア・プリオリ」と区別される「純粋(rein)」っていうのもあるみたいで、

    (K-ar)『したがって、以下でア・プリオリな認識とは、この経験やあの経験から独立に生じる認識ではなく、すべての経験からたんてきに成立する認識のことである。この意味でのア・プリオリな認識には、経験的認識、言い換えれば、たんにア・ポステリオリにすなわち、経験によって可能な認識が対置される。さらに、ア・プリオリな認識の内で、まったく経験的なものが混入していない認識は純粋と呼ばれる。たとえば、「それぞれの変化にはその原因がある」という命題は、ア・プリオリな命題だが純粋ではない。なぜなら、変化は、経験からだけ引き出すことのできる概念だからである。』(B2f.)  (p59)

    ってあった。なんかカントにおいては「ア・プリオリ」と「純粋」っていうのビミョーに違うみたいなんだけど、
    ひとまず、

    (A-pr)「ア・プリオリ」→〈経験に拠るものではないもの〉
    (A-r)「純粋」→〈一切経験に拠るものではないもの〉
    (A-po)「ア・ポステリオリ」→〈経験に拠るもの〉

    ってしとくことにした。

    (本Ko)では、
    「純粋」=〈たんてきに一切の経験に依拠しないで生じる〉(p59)
    っていう言い方をしてるみたいなんだけど、わたしのばあい(A-r)ってした。

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