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Re[14]: つれづれなるままに 18
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/02/11(Tue) 18:12:46)
| ぎに(本Ko)のなかから「形而上学」についてかいてあるところを少し書き出して見たよ。
KoD〔人間の理性による「ある種」の認識とはなんでしょうか。それは(略)「形而上学」です。むなしく転変する形而下の経験世界に対して、これを超えたところに、私たちの知の究極の根拠となるなにか変わらざるものを求めて止まない学問です。〕(p28)
〔「ある種」の〕ってカッコでくくってあるのは、 No40924の (K-E)「認識」=客観的な知、論理的な認識〈知〉 のようなことをいってるんじゃないかしら、って。
これによると、 (a)「形而下」=むなしく転変する経験世界。 (b)「形而上学」=(a) に対して、これを超えたところに、私たちの知の究極の根拠となるなにか変わらざるものを求めて止まない学問。
No40926のとだいたい同じ感じ。
(本Ko)に、 KoE〔さて、カントが普遍的なものを求める際のキーワードは「ア・プリオリ」です。(略)そのメルクマールは(略)普遍性と必然性です。〕(p7) ってあった。 「ア・プリオリ」っていう語については後でまた見てくとして。
ひとまず、「形而上学」、まとめて、
(A-meta)「形而上学」=人間の経験的生活世界を超えたところに、知の究極的・普遍的・必然的なものがあって、それを探究する学問。
ってしとく。
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