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Re[7]: 純粋理性批判B183
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□投稿者/ pipit -(2024/06/19(Wed) 19:29:06)
| 2024/06/20(Thu) 07:39:34 編集(投稿者)
みなさまこんばんはー(^^)
■No37511 >>(英訳のpipit日訳)純粋理性批判B183 >>実体の図式は、時間における実在の持続性(Beharrlichkeit)であり、 >>つまり、時間の経験的規定の基層の表象である。 >>したがって、全てが変わる一方で、基層は残る。< > (時間は進行しないが、変化するものの存在はその中で進行する。したがって、時間それ自体は不変で永続的なものであり、現象において、存在における不変のもの、すなわち実体に対応し、現象の順序と同時性が時間において規定されうるのは、実体によってのみである)。<
(pipit感想) むむむ..難しい... 時間は実体概念に対応し、実体概念によってのみ現象の時間における順序と同時性が規定され得る? 実体という概念を使ってのみ、感性により与えられる多様に、客観的な順序や同時性の内容を付与し得る、ということかなぁ... 解読に自信無し、です。
んー、カントの考えたことをわかりたいなぁ…
--------------------- 解読の参考にするために本日読んだ解説本で、解釈の内容がおもしろいなぁと思ったのは、フリートレンダーさん著、長倉誠一さん訳の『子どものためのカント』です。p113-115、138-139、から抜粋引用します。 ※本は対話形式で記述されていて、質問部分を〈〉で、応える部分を『』で引用します。
〈では感覚が生じる場合には何が起こるのだろうか。〉 『感覚は、時間と空間という空虚意識を変える。(略)』
〈この空虚は広がりをもった無なのだろうか。空虚な時間は無なのだろうか。空間と時間は、巨大で硬直した〈物でないもの〉なのだろうか。〉 『違う。空間と時間は、私たちの精神の性質だ。私たちの直観の形式だ。(略)作動し変わりうる力、私たちの感覚という素材にとっての容器、私たちの精神に属する本質である。(略)』
〈知覚する存在者が消えるなら、空間と時間については何が残されているのだろうか。〉 『決して空間や時間そのものではない。謎にみちた力だ。この力こそ、私たちの認識能力を強いて、空間と時間という形式の内で物を表象させるものである。(略)自然の素材だけが五感の感覚によって私たちに入ってくるにすぎず、自然の形式は私たちによって、自分の精神によって与えられるのである。(略)』
『(略)こうして、あらゆる内的な思惟形式には、外的な思惟形式が、つまり自然そのものを形成する思惟形式が対応する。(略)(たとえば水という)概念が、性質の変化にもかかわらず持続的に不変な意味を持つ場合、この概念の意味には、出来事の変化にもかかわらず自然物そのものがもつ不変な持続が対応する。(略)』 (引用終了) ---------------------
(pipit感想) 形式の捉え方として、何かを感覚した時、空虚な時空容器が変化する、変容する、という捉え方もできるのかな?とおもしろかったです。心の変容、と言った時、基体としての心も想起している。 物事を認識する時の縛りが、知らぬ間に、認識に息づいているイメージを持ちました。
それから、、、 p147-149が、時間と量を絡めた記述でおもしろかったので、また引用して、自分でも考えてみたいと思います。
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