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Re[32]: エピクテトス
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□投稿者/ akaimi -(2024/03/13(Wed) 12:14:45)
| 時さん、こんにちは。 レスありがとうございます。 春の長雨とでもいうのでしょうか、昨日はよく雨が降りました。 桜や春の花々、草木にとっても人間にとっても潤いの雨でした。
■No36781に返信(時さんの記事) > 2024/03/12(Tue) 12:47:29 編集(投稿者) > 2024/03/12(Tue) 12:47:19 編集(投稿者) > 2024/03/12(Tue) 12:16:02 編集(投稿者)
> 仮に、エピクテトスを師とし、時が弟子と仮定したお話としてお尋ねします。 > > 師よ、師の仰ることは間違いではないと考えますが、師が私に尋ねられた「本当に悪いかどうか」は、私は何を基準にして判断すれば良いのでしょうか? > > なぜならば、師の仰ることを理解するのであれば、まずは標準装備としての私の中での判断基準があった上で、お相手の考えの理解とその後の善悪の識別があると考えるからです。 > > 著書にそれらしき答えは書かれているのでしょうか?もしもあるのであれば、教えていただければと思います。もしも書かれていないのであれば、akaimiさんのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。m(__)m
昨日私が本から引用させていただいた短い文章は、エピクテトスの教え子がまとめた『提要』45の一部分でした。 今日はまずその全文を引用してみますね。
=== ある人が素早く入浴する。「彼は入浴の仕方が悪い」とは言うな。 「素早く入浴する」と言いなさい。 ある人がたくさん酒を飲む。「彼は飲酒の仕方が悪い」とは言うな。 「たくさん酒を飲む」とだけ言いなさい。 というのも、当人の考えをきちんと識別しないうちに、それが本当に悪いかどうかを君はどこから知るのかね。 そのように慎重になれば、君がある事実について把握可能な心像を掴んでいながら、それとは別の事柄【価値】について同意を与える、などというおかしなことにはならないだろう。
(『提要』45)
=== 『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』荻野弘之 著 p145より引用
p147に解説があります。 === 行為者本人が何を意図していたか、動機や目的が決定的に重要である。 そうだとすれば、我々は他人の行動の表面だけを見て、その意図を正確に見抜くことなしに軽々と行為の善悪を判断するわけにはいかない。 ===同書p147より引用
=== 事実を把握するところで立ち止まれ。そこから先の、善悪の価値判断を下すには慎重であれ、と。 ===同書p148より引用
> 師よ、師の仰ることは間違いではないと考えますが、師が私に尋ねられた「本当に悪いかどうか」は、私は何を基準にして判断すれば良いのでしょうか? というご質問ですね。
同書に載っている『提要』の言葉の中に、「物事の判断の基準」としてエピクテトスが、「このように判断しなさい」というような「エピクテトスが勧める一つの基準」を説いていると思われる箇所は無いように私には思えます。 『提要』には、この本に収められている言葉以外にもエピクテトスの言葉が収められているようなので、もしかしたらふれられている言葉もあるかもしれないですが、現状ではわかりません。
今、引用した『提要』45の文章と解説から読み取れるのは、 「事実を把握するところで立ち止まり、善悪の価値判断には慎重であるべき」ということだと思います。
もちろん最終的には自分の判断ということにはなりますが、表面だけを見ずに慎重に判断することの大切さを説いていると私は捉えています。 私自身、共感できる言葉だなぁ、と感じてます。 例えば、一見乱暴でとっつきにくい言動をする人でも本当は優しい人な場合もあったりしますし。 価値判断への慎重さというのは他者への寛容とも関わってくると思いますから心がけたいです。
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