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Re[31]: エピクテトス
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□投稿者/ 時 -(2024/03/12(Tue) 11:08:55)
| 2024/03/12(Tue) 12:47:29 編集(投稿者) 2024/03/12(Tue) 12:47:19 編集(投稿者) 2024/03/12(Tue) 12:16:02 編集(投稿者)
akaimiさんへ。こんにちは。返信をありがとうございます。
■No36780に返信(akaimiさんの記事)
> 何種類もの経典に関連するものが出ているのですね。 > 教えていただいてありがとうございます。 > 私は読んだことはありません。 > 四種類の在り方については、昨日載せていただいているものと同じように現代語になっているものを、以前にネット上のどこかで見た記憶があってそれを憶えていたのかもしれません。
了解しました。^^ "普通は"、読みませんよね(笑)
> 当人の考えをきちんと識別しないうちに、それが本当に悪いかどうかを君はどこから知るのかね。
仮に、エピクテトスを師とし、時が弟子と仮定したお話としてお尋ねします。
師よ、師の仰ることは間違いではないと考えますが、師が私に尋ねられた「本当に悪いかどうか」は、私は何を基準にして判断すれば良いのでしょうか?
なぜならば、師の仰ることを理解するのであれば、まずは標準装備としての私の中での判断基準があった上で、お相手の考えの理解とその後の善悪の識別があると考えるからです。
著書にそれらしき答えは書かれているのでしょうか?もしもあるのであれば、教えていただければと思います。もしも書かれていないのであれば、akaimiさんのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。m(__)m
> なぜそうなっているのか、そういうことを言ったのか、そこへの理解なしに自分なりの判断で決めてしまう、しまわれる、というのもありがちなことですよね。
はい。そうですね。お相手が何を言っているのか?を理解できないままに、自ら妄想にとらわれないように気を付けるというのは、まずは、対話においての基本的な自身でできる最大限の事でしょうか。その為には、双方の誤解の回避の為に、分からないところを質問し、確認のために問いかけるという事が必要な場合がありますね。答える場合にも同じことで、相互理解を求めるのならば真摯に答える。という事だろうと思います。
> 時と場合で難しいこともあるけれど、相手の話をよく聞き、またこちらの意図も上手く伝える努力をすると互いに誤解や嫌悪を抱かない話し合いがしやすいのだろうと思います。 > そうは言ってもそれが簡単ではない、という経験が私にはたくさんあります。
簡単ではないどころか、私の経験では、それは~ほぼ~不可能なんですね。勿論、それが可能な場合もありはしますが。多分ですが、、akaimiさんも、そういう経験が多くおありという事ですので、、ほぼ不可能なのではないだろうかという答えに行きついているのではないでしょうか。
こちらの掲示板での少ない機会での会話ですが、私がakaimiさんとお話していて感じるのは、何の違和感もなく、聡明な方なのだろうなという事です。こちらが問いかけたことについて真摯に返答をいただける。それだけでも私にとっては十分にお話が通じ、誤魔化しのない方だろうと感じていますが。
余談ですが、人それぞれが観ている、生きている世界は、皆違う世界なのではないかな?と過去によく考えたことがありました。なぜならば、一つの事象についても、各人によって事の善悪・美醜・好き嫌い等々が違ってくるからですね。男性には男性の、女性には女性の、子供には子供の、大人には大人の、会社員には会社員の、自営業者には自営業者の、部長には部長の、新入社員には新入社員のと言った具合にです。つまりは、、各人での共通した物事への判断基準はないのではないでしょうか。
例えば、人は命を賭しても守るべきものがある。という事で戦争をはじめ、命よりも尊いものはない。という事で戦争を終わらせたりします。
私の人生哲学で、長年その答えが出なかった事なのですが、では何を基準にすればよいのか?ですが、、自身の世界観での自身の善悪での判断で良いと私はなりました。
そこで冒頭の、師よ、師の仰ることは間違いではないと考えますが、師が私に尋ねられた「本当に悪いかどうか」は、私は何を基準にしてどのように判断すれば良いのでしょうか?
akaimiさんは、どのようにお考えになられるでしょうか?
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