□投稿者/ パニチェ -(2024/02/25(Sun) 09:24:39)
| おはようございます、時さん。レスありがとうございます。
■No36631に返信(時さんの記事) >>一方で私は大乗運動が生じた意義や価値も認める立場です。
> パニチェさんのご認識は了解しました。
>>ご存じだとは思いますが、人里離れたところで自身の悟りや解脱に集中し修行や学究を主とした上座部仏教(小乗仏教)への反動として、自身の悟りや解脱よりも釈尊が行ったように民衆に向けて釈尊の教えや仏道を説くことを菩薩行とし重視すべきではないかという見解と運動が釈尊の遺骨をおさめた塔(ストゥーバ)を礼拝対象とし、この仏塔を守っていた在家信者を中心に生じました(この文章は大乗側からみた小乗という見解が主となっていますが)。
> 時自身の現在での思いは、もともとが仏陀ありきでの教えであり、仏陀自身は文字で何も書き残してはいません。恐らくその理由は簡単で、それ(教え)に対して固執がないとき、書き記すという事(行為)が起こるでしょうか?という事だと思います。答えは否でしょう。
同意しますが、他の理由としては当時の慣習として文字は商業用として使われていたとか、文字に残すことよりも、今、目の前にいる人たちの苦を軽減させるための説法(活動)を優先したとかいろいろとあるとは思います。
あと、結集が口伝中心で行われたのは釈尊の尊い教えは自らの身につけるべきもので、忘れないために書きとめるということからして、書きとめる行為自体が教えを身から離すことになると考えられていたようです。
> 半面、仏典という書き記されたものがあったので、現代でもそれを日本語訳として我々でも目にすることができるというのも事実だと思います。 > 仮に当時、教えを受けた人々全員が阿羅漢果クラスになっていたとするならば、書き記すものは何もなかったのだと思いますが、必然的に、まだ学びの途中の弟子たちが多くいて、忘れなうちにと書き記したという事だと思っています。つまり、当時、修業中でありまだ固執があった比丘たちがいたお陰で現在にまで伝わる仏典軍が残っていると想像しています。表現が適切かはわかりませんが、怪我の功名でしょうか。
同意です。 結集についてはピピットさんも返信されていましたが、第一回の結集は釈尊の死の翌年であり、口伝の期間は400年とも500年とも言われています。 最初に文字にしたのはマウリア王朝の第三代のアショーカ王(BC269?〜BC232?第三結集が行われた時期)が上座部仏教の信者となり、石碑や摩崖に刻んだとのこと、(仏弟子による書写は諸説あるようですが一説には)BC100年頃に上座部の正統派マハーヴィハーラの比丘たちによって書写されたとのことでした。
> その仏典軍の中には、当時の仏陀の言葉や論理、行為が多く記載されていますので、結果的に、時個人の知りたいことが記載されているのですね。自灯明法灯明と言うことで、仏陀ではない時には、それで十二分だと感じています。 > 仏陀の死後、部派だ大乗だ小乗だと分岐してきた事は、その当時の弟子たち夫々の解釈によるものだと考えていますので、時にとっては無関係なことだと認識しています。 > 仮に、、、当時の大乗だ小乗だと分岐する時のその場に、今現在の仏典内容の解釈をしている時が存在していたとするならば(時代背景が矛盾しますが)、、現在の解釈を持って、どこにも属さないのではないかと思います。あくまでも学びは個人の学びで、自灯明法灯明だと考えるからです。
>>上座部仏教的発想(自身の悟りを目指す)と大乗仏教的発想(民衆の教化によって苦を軽減させる)の双方、言い換えればこのバランス(中道)を重視すべきだと考えており、 > 中道とは、実在論と虚無論の2種類の誤見にこの世の人々の多くが固執するようなことは避けて(二元での価値判断基準を避けて)、物事の両極端に近づかないという意味の記載があります。それを学ぶのも八支聖道です。 > ですので、パニチェさんの解釈される、上座部仏教的発想(自身の悟りを目指す)と大乗仏教的発想(民衆の教化によって苦を軽減させる)の双方、言い換えればこのバランス(中道)を重視すべきだと考えておられという内容は、勿論了解しますが、時個人は、中道をこのような捉え方はしないと思います。
はい。私の中道解釈は拡大解釈だという自覚はありますが、実生活のさまざまな場面での指針にはしています。 例えば子育てにおいても過保護も過放任もよくないとか、右だと思った時には左も想定してみて、自身のバランス感覚を省みる。。。etc。
これは後学のためにお聞きします。 パーリ律蔵 大品(マハーヴァッガ)にある有名な「箜篌の喩」。釈尊が肉体を極限にまで追い詰める苦行から離れたとさせる逸話(中村元博士の見解によれば、後に創作されたエピソードとされているようですが)は、断・常の二見や有・無の二辺より、もう少し広範囲な教説だと思うのですが、如何でしょうか。
>>例え一人でも本来の仏道を知る切っ掛けになればそこから優秀な人が出てくる可能性もゼロではなく(日本人の無意識的な仏教的精神、排他的ではない和の心や他者を思いやる利他的発想も持ち合わせていることから)いつかは大きな流れとなり本来の仏教哲学が日本人的な思想として根付いてくるのではないかという期待もあります。 > はい、そうですね。それらへの期待もほんの少しはありますが、、それらも含めて、時個人は運命にお任せし、今まで通りその運命を受けいれると思います。
了解しました。
>>大袈裟に言えば私は仏教哲学(融和的精神と利他の心)こそ世界平和への唯一の教義(道しるべ)だと考えています。 > これは仏教哲学とは言わずとも、古来から受け継がれてる日本文化の精神、おもてなしの文化、配慮や思いやりの心を、日本人が取り戻せれば良いように時個人は思っています。
私は聖徳太子が仏教精神を政治的に体現した「十七条憲法(和をもって尊しとなす)」や神仏習合(外来の仏教と神道を融合させた)は日本人的な和の心を重んじる原点だと考えています。大乗仏教自体も日本に伝来する途上でインドや中国の神々も集合しており、仏教の懐の深さをあらわしていると思っています。
> 全く詳しくはないのですが、ここで永遠回帰という概念について少し考えてみました。 > 永劫回帰を、あらゆる出来事が今までと同じ順番で、永遠に繰り返し起こるような世界と仮定してみます。 > 問いは、そのあなたの人生を肯定できますか?とします。 > 答えは、Yesです。
> 理由は、時の人生哲学で、全く同じという概念は存在しませんが、仮に存在するとしてという事を考えてみました。そこで、今現在では、前世の記憶は想像の中にありますが、確定的な事が言えないのが現状です。ですので、永遠回帰の思想では、同じことの繰り返しですね。つまりは、来世に、また、来来世にも同じことが起こるのであれば、今を観れば来るべき来世のその時(瞬間)と同じです。 > 仏教の輪廻転生思想とは似て非なるもののように感じますが、原始には、危難がないなら厭離しないという表現があります。 > 危難(苦しみ・患い・災難)がこの世間にないのであれば、人々は、厭離(それを嫌って離れること)を望みませんと言う意味ですが、その為に梵行が実行され、時個人はそれ(厭離)を目指しました。 > 永遠回帰のお話に戻すと、自らの苦しみや災いを滅しつつの現在の環境が、もう一度来世にも起こるのであれば現世と同じことになり、現在、前世の記憶がはっきりとしていないという事は、来世でも同じことですね。 > つまり、永遠回帰の問いは、現在、今の現状である今現在の人生を肯定できますか?と言う問いだと思いましたので、答えはYesになりました。
素晴らしい!その通りです。 永劫回帰の問いに“Yes”と答えることは、最高にして最も厳しい自己肯定だと思います。 現在の自分を肯定するなら、自身を形成したこれまでの生も全肯定せよ、と。
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