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Re[13]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/02(Fri) 18:39:24)
| わたしの物語りつづける。
No36322のような見方から、 No36316を参考にして、 〈(端的な)知覚〉と〈想像〉、それぞれの志向的「対象」(ノエマ)は、何? って。
*(端的な)知覚の対象 ひとまず(端的な)は省略するよ。
〈するもの-知覚〉は、〈感覚〉へ志向し、これが〈知覚-されるもの〉(知覚の対象/ノエマ)となってる。 〈感覚〉は、「現前(現在)する現実的なもの」――「もの(それ)」の前面(見えてるもの)――が感覚器官によって提示されたもの。 このような〈感覚〉を、〈するもの-知覚〉が〈知覚-すること〉(知覚の作用/ノエシス)によって、〈知覚-されたもの〉(知覚の内容)が構成される。これって、〈知覚-されたもの〉(知覚の内容)は〈感覚-されたもの〉(感覚の内容)によって構成されてる、って見ることができるのかも。 No36131の「ファンタスマ」に、 〔知覚においてその体験された内容が感覚と呼ばれる〕ってあるように。 結局、〈するもの-知覚〉は、「現実的なもの」を構成している(現在化)、っていうことになるんだと思う。
こんな感じでいいかな。 これ、 No36240で見たように。 「ものそのもの」と関係してくるんだけど、これ後で。 あと、 〈端的な知覚-されたもの〉(知覚の内容)を、「物理的像」とか「知覚像」ってしちゃおっかな?とも思ってる。 で、 ひとまず、 (D)(端的な)知覚の(志向的)対象は、現実的なもの。 そして、〈知覚-されたもの〉(知覚の内容)は現実的なもの。 ってしとく。
図にして見たので、添付しま〜す。
わたしの問題は〜、〈するもの-想像〉の志向的「対象」は、何?
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