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No33545 の記事


■33545 / )  Re[43]: 純粋理性批判B164
□投稿者/ pipit -(2023/09/26(Tue) 22:52:09)
    みなさまこんばんはー(^ ^)
    No33538、No33541-33543の日本語訳をまとめて、感想を書いてみました。

    『全ての可能的知覚は覚知の総合に依拠するから、
    そしてこの経験的総合それ自体が超越論的総合、つまりカテゴリーに依拠してるから、』

    (pipit感想)
    覚知の総合(経験的総合)により知覚が生じるが、
    覚知の総合(経験的総合)は、、、
    超越論的総合(カテゴリーを規則とした総合)により生じる。から、、、


    『すべての可能的知覚、すなわち、経験的意識に常に到達が可能なすべてのもの、すなわち、自然のすべての現象は、その結合に関しては、そのカテゴリの下になければならず、』

    (pipit感想)
    自然のすべての現象は、知覚可能な領域のものとして、ということかな?
    知覚可能な領域のものということは、覚知総合、ひいては、超越論的総合すなわちカテゴリーが根源に働いている、ということかな。


    『(単に自然一般として考えられる)自然は、(形式から見られた自然としての)その必然的法則性の根源的根拠をカテゴリーに依拠している。』

    私が自然と感じられるものは、知覚されたものであり、知覚に到達するためには、カント的には把握の総合(pipit的に言えば顕在意識に形成・構成するような総合)が必要であり、把握の総合は超越論的総合が根拠として働いている。
    カテゴリーに則していろいろ結合して自然を認識してるのだから、その自然の必然的法則性がカテゴリーに重なる、というのは当たり前の事態、ということかな。
    カント的にはー です!
    (^◇^;)
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