□投稿者/ みのり -(2023/09/09(Sat) 09:56:04)
| 時さん、おはようございます。 投稿ありがとうございます。
■No32936に返信(時さんの記事) > みのりさんへ。おはようございます。 > > 非二元(ノンデュアリティ)について、少しお尋ねしたいことが見つかりました。^^ > > No32913 >>おまかせということですよね。 >>現代版アドヴァイタではあまり神ということは言われないんです。 >>最終的には純粋意識に溶けていくというような言い方がされ、つまり、いろいろと心配せずにおまかせで安心して過ごすようになるってことのようです。 >>神は出てこないけど同じ意味合いなのだろうと思っています。 > > ・何が何にお任せという事が言われているのでしょうか?
起きることというのは起きるように起きるので、自分的にはできる限りの努力をするなどして心配しないで暮らしていればいい、というようなことです。 なるようになっていく、なるようにしかならないとも言い換えられますが。
> ・最終的に、何が純粋意識に溶けていくと言われているのでしょうか?
まず、非二元の理解の順番というか段階として説明されているものを書きますね。 これは、ルパートスパイラさんという非二元の覚者が説明されていたものだそうで、私も実感としてその通りだなと思うので。
第一段階として、身体や心というのは自分ではない、という理解が起きるとされます。 それでは何が真の自分なのかというと、「気づいている何か」がそうだというう理解がきます。 そしてそれは自分の中のどこかにあるように感じている状態とされます。
次の第二段階では、その「気づいてる何か」これは意識と言い換えてもいいと思うのですが、それを自分の内に探そうとするのですがどこにも見つけることができないのに気づきます。 ここの部分はたまたまなのか、受動意識仮説で言われる「意識はイリュージョンである」と重なると思います。
そし次に第三段階で、「気づいてるもの」は、時空間を超えたものであるとされます。 哲学的にはこのように表現されるわけですが、イリュージョンであるのが本当であるならどこにも見つけられなくても当然と言えるなぁ、とも思うのです。
次に純粋意識について。 何かに熱中している時を思い浮かべれば誰でも理解可能だと思うのですが、私という意識も無く、ただ周りの状況と一つになり起きることが起きていますよね。 そうしたことがいつでもそうである状態を、「純粋意識に溶けていく」というのだと思います。 哲学的には、「気づいている何か」は自分の中にあるのではなく、時空間を超えたものとしてある、という説明になるのだと思います。
> ・今まで非二元の理解者と会われた(お話された)事はあるのでしょうか?
ありません。 本やブログを読み、YouTubeを観たりしただけです。
> ・非二元の理解において、何か生活上での実践も含まれるのでしょうか?それとも読書による知識的な理解という事でしょうか?
最初の頃は坐禅もどきのことをして、思考が流れてきて消えゆくのを見ていたりしましたが今はそういうのもしないですね。 非二元を理解しようとしては特に何も今はしていないです。
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