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No31616 の記事


■31616 / )  我空法空
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/08(Sat) 08:00:03)
    おはようございます、時さん。レスありがとうございます。

    No31605に返信(時さんの記事)

    >>なるほど。これ「思考が苦を生む」ということも含まれているのなら、ジッドゥ・クリシュナムルティをはじめとした現代の覚者による金言の先駆けです。
    > はい。原始では思考の事を、尋や伺と表現しているようですが、四禅定の初禅では、逆にその尋伺を伴いながら欲と不善の諸法から遠離します。

    内観や内省ですね。

    >>中論は何冊か読みました。めちゃめちゃ難解です。言い換えれば無数の読解があるかもしれません。
    >>中村元先生の読解と西嶋和夫老師の解説書から理解したのは二義的な空です。
    >>単体では無自性であるということ。また全てが連関する全体運動たる実相(相依性縁起)も空性と同義ということです。
    > 中論での一番大切な核は、今も「戯論の寂滅」だと思っています。

    同意です。
    ちなみに中観派にとっての寂滅すべき戯論というのは、説一切有部の我空法有で、中観派は我空法空です。

    >>なるほど。得心しました。死王は見ることはないというのは解脱のことでしたか。ここを私は読み違えていたために違和感があったのでしょうね。
    > 私はパニチェさんが、もしかすると龍樹の空の捉え方でスッタニパータの空(1119)を読まれているのかな?と感じておりましたが、得心されたのであれば、よかったです。^^

    最近よく使われている悪い意味での忖度(相手の顔色を伺う:本来はこのような意味はないとのことですが、言葉の意味は使われ方によって変化するということを支持しているので適当な表現も見当たらないので用います)も含めた綺語(十悪の一つ)になってはいけませんので、念のために返信しておきます。

    龍樹菩薩の空と原始仏典の空は同義であることは確認できましたし、龍樹菩薩の空と捉えても先の釈尊の説法とは何ら矛盾していませんでした。
    中観派は「法空」ですから「世界を空なりと観ぜよ」の説法と合致します。
    「死王は見ることはない」を「死苦の寂滅」と読解したための違和感でした。

    > 原始の中では、仏陀が略式の法をさらっと説いて引っ込むという事が割とあるようです。今回の場合には、死王は見ることはないという一文で、本当に意味合いとしての解脱や輪廻を含めて説かれていたのか否か?今となっては、その本当の答えは見つかりそうにはありませんが。。

    これを探究するのも仏道、見性悟道だと思います。^^
    また機会があれば非我と無我についての時さんの見解を教えて下さい。

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