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Re[12]: 原始仏典の「空」について
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□投稿者/ 時 -(2023/07/08(Sat) 01:55:48)
| パニチェさん、こんばんは。レスをありがとうございます。
■No31594に返信(パニチェさんの記事)
> ありがとうございます。私も感じたところを思うがままに書いてみますので時さんの興味のないところはスルーしていただいても結構です。
ありがとうございます。了解しました。^^
> なるほど。これ「思考が苦を生む」ということも含まれているのなら、ジッドゥ・クリシュナムルティをはじめとした現代の覚者による金言の先駆けです。
はい。原始では思考の事を、尋や伺と表現しているようですが、四禅定の初禅では、逆にその尋伺を伴いながら欲と不善の諸法から遠離します。
> 中論は何冊か読みました。めちゃめちゃ難解です。言い換えれば無数の読解があるかもしれません。 > 中村元先生の読解と西嶋和夫老師の解説書から理解したのは二義的な空です。 > 単体では無自性であるということ。また全てが連関する全体運動たる実相(相依性縁起)も空性と同義ということです。
中論での一番大切な核は、今も「戯論の寂滅」だと思っています。
> なるほど。得心しました。死王は見ることはないというのは解脱のことでしたか。ここを私は読み違えていたために違和感があったのでしょうね。
私はパニチェさんが、もしかすると龍樹の空の捉え方でスッタニパータの空(1119)を読まれているのかな?と感じておりましたが、得心されたのであれば、よかったです。^^
原始の中では、仏陀が略式の法をさらっと説いて引っ込むという事が割とあるようです。今回の場合には、死王は見ることはないという一文で、本当に意味合いとしての解脱や輪廻を含めて説かれていたのか否か?今となっては、その本当の答えは見つかりそうにはありませんが。。
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