■14478 / ) |
自然とは?現象?対象?物自体は?
|
□投稿者/ pipit -(2021/06/27(Sun) 14:53:29)
| 2021/06/27(Sun) 14:59:31 編集(投稿者)
うましかさん、返信ありがとうございます!(^-^)
■No14474に返信(うましかさんの記事) > pipitさん、こんにちはー > おじゃまします。 > > pipitさんのNo.14468の問いとはズレているような気がしますが(;´・ω・) > いまの私に応えられる範囲での返信ですm(__)m > > ******* > > 私がカント『純粋理性批判』そのものを読もうとおもったのは、まだつい数ヶ月前のことですが、そのあまりにも頭にはいってこない文章のおかげで途方にくれていたところ、帰ってきたロシュフコーさんの動画を知ることとなり、事前学習としてまとめ作業をしました。その際おもしろいなーとおもったのは、カントの出発点の一つは物理の研究だったということです。私はこのことを忘れちゃいけないとおもってその後のまとめにもくり返し書き留めておきました。→ No.11777 等<
カントは、物理法則が支配しているような世界への関心が高かったかもしれませんね。
> 先にあげたペーター・プラース『カントの自然科学論』も、上に述べた私の関心のもと調べていて知った研究書です。この本は『純粋理性批判』そのものについての研究ではなく『自然科学の形而上学的原理』(1786)という著作についてのものです。『純粋理性批判』第一版(1781)序文(原佑訳上巻、p.37)に強調されるかたちで「自然の形而上学」という標題で提供したいと予告されているのが、この『自然科学の形而上学的原理』に当たるとみなされうると原佑(訳上巻、p.534)はのべています。 > > この著作や、これについてのプラースの研究について何かいうことは私の力では到底できないのですが、今回pipitさんが、引用箇所をめぐるカントの"natuerlich"の二義性(多義性)、或いは"natuerlich"を「自然因果的」と解釈する可能性について指摘してくださったのをきっかけにプラースの本を開いたところ、興味ぶかいことに、プラースはカント『自然科学の形而上学的原理』をとおして、「自然」という語の二つの意味(第1章第1節、p.28〜)、カントの自然概念(同第2節、p.30-p.31)について論じていました。 > > 余裕があるときに、私の力のおよぶ範囲内でその箇所を紹介したいとおもいます。<
楽しみにしていますけど、もちろん約束ーとかは思われずに、うましかさんの気分次第にされてくださいね(^-^)
おもしろいですよね、 わたしたちは、わたしたちを通してしか、わたしたちの認識を得られない。
当たり前と切り捨てられるかもの、このおもしろさを、感覚を、みんながどう思ってるのかはわからないけど、 それでもこのように、うましかさんはじめいろんな方とお話しできるの嬉しいです。 (パニチェさんに大感謝!(^人^))
いろいろ検索してたら、物理とついた論文をたまたま見つけたので、アドレス貼ります。 私は中身を理解できていませーん( ̄▽ ̄;) //www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/ron38/07-katayama.pdf 『物理法則が経験に先立つとはいかなることか ーカント『自然科学の形而上学的原理』における作用・反作用の法則ー』 片山光弥さん (『片山光弥 物理』の検索で上記の論文のリンクが出てくるかもです。)
あと、アンチノミー関連で、 https://www.kek.jp/ja/essay/20210325/ 【KEKエッセイ #41】現代宇宙論と素粒子論で哲学者カントに挑戦 郡 和範 さん
因果と自由についてもいろいろありそうだなー
それではー ♪ (^O^)/
|
|