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■5889 / inTopicNo.73)  十四無記
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/30(Sun) 16:33:16)
    No5888に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、書き込みありがとうございます。

    どういたしまして。

    > なるほど、了解しました。
    > また、いろいろ考えてみたいと思います。
    > ところで、予定説については、どのようにお考えになりますか。

    哲学にも「予定調和」という考え方があります。
    でも、厳密に考えると私たちの感覚器官では、それが正しいかどうかを知る手段はありません。
    決定論的な予定説であろうと、なかろうと、それを考えることに私は意味や価値は見出せません。

    私は原始仏教の十四無記を支持しています。
    形而上学的な問いやテーマはハナから結論など出るはずもなく、思考の俎上に載せないという教えです。
    それより重要なのは生に伴う苦を如何に軽減し滅していくかということです。


引用返信/返信 削除キー/
■5890 / inTopicNo.74)  追記:決定論的世界観について
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/30(Sun) 17:47:37)
    2020/08/30(Sun) 17:48:22 編集(投稿者)

    量子力学の登場によって決定論的世界観は崩れ去ったと言われています。

    相対論までの古典物理においてはラプラスの悪魔という思考実験上の存在が理論上成立し、過去から未来においての全てを予測可能とする発想がありました。

    ラプラスの悪魔というのは機械論的な古典物理において、全ての状態を完全に把握し解析する能力があれば未来は完全に予測することができるという決定論的な世界観を象徴する仮想の生き物です。

    ところが量子力学の不確定性原理によって決定論的な世界観とともにラプラスの悪魔も葬り去られたということです。


引用返信/返信 削除キー/
■5892 / inTopicNo.75)  Re[75]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ ななし -(2020/08/30(Sun) 18:33:12)
    パニチェさん、詳しい解説ありがとうございます。

    ラプラスの悪魔の否定ということは、決定論はない
    ということですね。

    これからも、いろいろ勉強していきたいと思いますので、
    よろしくお願いします。

引用返信/返信 削除キー/
■5901 / inTopicNo.76)  Re[76]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/30(Sun) 20:10:28)
    No5892に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、詳しい解説ありがとうございます。

    どういたしまして。

    > ラプラスの悪魔の否定ということは、決定論はない
    > ということですね。

    量子力学の主流派(コペンハーゲン学派)によればそうです。
    不確定性原理や観測問題は異なる解釈もあることはありますが、今のところはラプラスの悪魔とともに決定論的世界観は否定されていますね。

    > これからも、いろいろ勉強していきたいと思いますので、
    > よろしくお願いします。

    こちらこそ、よろしくお願いします。
    ようこそ、ニーチェクラブへ♪^^
引用返信/返信 削除キー/
■6086 / inTopicNo.77)  Re[77]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ ななし -(2020/09/04(Fri) 21:26:54)
    パニチェさん、こんばんは。

    あれから、いろいろ調べたり、考えたりしましたが、
    基本的には、科学的法則で因果関係があるわけなので
    決定論的ではあるけど、自分というものは、カオス的な
    無我、空なのではと思いました。

    カオスが、決定論的な規則にしたがっているにもかかわらず、
    予測不可能な不規則な振る舞いをします。
    それは、ロジスティック方程式がカオス的な結果に至るように。

    カオスとは、自然法則は確定的で未来は予測可能とする決定論とも、
    自然法則は不確定で未来は予測不可能とする不可知論とも違って、
    自然法則は確定的だが未来は予測不可能なのですね。

    https://ameblo.jp/nibbaana/entry-10369656648.html

    それから、三位一体の神という意味は、どういうことか。

    自灯明、法灯明そして四念処の「身・受・心・法」は何なのか。

    身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
    受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
    心念処(心念住) - 心の無常を観ずる(諸行無常)
    法念処(法念住) - 諸法の無我を観ずる(諸法無我)

    個人的には、すべては神仏の慈愛から来ているものなので
    私自身も、神仏を愛していきたいと思います。

    思いやる心は、神仏も人も関係なく好ましく感謝すべきことなのかなと思いました。


引用返信/返信 削除キー/
■6092 / inTopicNo.78)  Re[78]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/04(Fri) 22:39:52)
    2020/09/04(Fri) 22:44:01 編集(投稿者)

    こんばんは、ななしさん

    No6086に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、こんばんは。

    > あれから、いろいろ調べたり、考えたりしましたが、
    > 基本的には、科学的法則で因果関係があるわけなので
    > 決定論的ではあるけど、自分というものは、カオス的な
    > 無我、空なのではと思いました。

    > カオスが、決定論的な規則にしたがっているにもかかわらず、
    > 予測不可能な不規則な振る舞いをします。
    > それは、ロジスティック方程式がカオス的な結果に至るように。

    > カオスとは、自然法則は確定的で未来は予測可能とする決定論とも、
    > 自然法則は不確定で未来は予測不可能とする不可知論とも違って、
    > 自然法則は確定的だが未来は予測不可能なのですね。

    > https://ameblo.jp/nibbaana/entry-10369656648.html

    決定論的世界観とその象徴であるラプラスの悪魔を葬り去ったのは量子力学の不確定性原理で、カオスや複雑系とは異なります。
    カオスや複雑系というのは期値鋭敏性(バタフライ効果)やフラクタルが有名で、具体的な事例としては天気予報や砂紋、東京スカイツリーからテッシュペーパーを落下させた時の軌跡などなど原理的に予測は可能であるが多くの要素が複雑に絡み合うこともあり、全体としては何らかの性質は示すものの予測困難(カオス系においては未来予測が不可能という説もありますが)な系のことです。
    不確定性原理とは位置と運動量のどちらかが決定されると一方が不確定になるという原理的なもので、時間とエネルギーについても同じで、これが古典物理的な機械論的世界観を葬り去ったということになります。


    > それから、三位一体の神という意味は、どういうことか。

    > 自灯明、法灯明そして四念処の「身・受・心・法」は何なのか。

    > 身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
    > 受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
    > 心念処(心念住) - 心の無常を観ずる(諸行無常)
    > 法念処(法念住) - 諸法の無我を観ずる(諸法無我)

    > 個人的には、すべては神仏の慈愛から来ているものなので
    > 私自身も、神仏を愛していきたいと思います。

    > 思いやる心は、神仏も人も関係なく好ましく感謝すべきことなのかなと思いました。

    ななしさんの仏教や神仏対する畏敬の念は尊重します。
    私は仏教の信仰的な側面にはあまり興味がないのです、同じく中東から起こった人格神かつ一神論にも興味がないという偏屈です。^^

引用返信/返信 削除キー/
■6106 / inTopicNo.79)  Re[79]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/05(Sat) 07:38:43)
    おはようございます パニチェさん ななしさん

    横レス的な思いつきなのでスルーで構いません

    決定論や必然については、過去に起きたことは変更不能、もはや変えられない!ではないでしょうか。ごく素朴な自然法則で因果関係の説明がつく単純過ぎる小さな出来事も、気候変動や地震や生命現象のような複雑でカオス的なものも、過去に起きたことは変更不能の一回性の出来事としてあるほかない。

    変化・動き・アクションが可能なのは、現在この瞬間だけですね。現在この瞬間における、変化を引き起こせる可能性は、ある自由度(場合によってはかなりの)のもとで、認めざるをえないのではないでしょうか。例えば、どういうカキコをするか、朝メシに何をたべるか。もうカキコしたので過去になってしまいましたが。
引用返信/返信 削除キー/
■6108 / inTopicNo.80)  Re[80]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/05(Sat) 08:12:18)
    おはようございます、knowing itselfさん
    レスありがとうございます。

    No6106に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 横レス的な思いつきなのでスルーで構いません

    以下のレスは大変興味深いので、勝手ながら返信順序を変えてレスさせてもらいます。

    > 変化・動き・アクションが可能なのは、現在この瞬間だけですね。現在この瞬間における、変化を引き起こせる可能性は、ある自由度(場合によってはかなりの)のもとで、認めざるをえないのではないでしょうか。例えば、どういうカキコをするか、朝メシに何をたべるか。もうカキコしたので過去になってしまいましたが。

    同意しますし、私たちは身体的能力も含めて限定的な自由度を有していると私も思います。
    その上で。。。。

    > 決定論や必然については、過去に起きたことは変更不能、もはや変えられない!ではないでしょうか。ごく素朴な自然法則で因果関係の説明がつく単純過ぎる小さな出来事も、気候変動や地震や生命現象のような複雑でカオス的なものも、過去に起きたことは変更不能の一回性の出来事としてあるほかない。

    ここ少し疑問があります。
    たとえば非決定論的世界、つまり不確定性原理により未来は原理的に予測不能であるとしても、過去に起きたことは変更不能、もはや変えられません。
    逆に言うと、過去に起きたことが変更不能をもって決定論とか非決定論の判定基準にはならないと思うのですが、私が上記を誤読してますか?

引用返信/返信 削除キー/
■6115 / inTopicNo.81)  Re[81]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ ななし -(2020/09/05(Sat) 10:06:47)
    おはようございます。
    パニチェさんknowing itselfさん。

    確かに、量子力学の不確定性原理とバタフライ効果などのカオス理論とは
    別物ではありますが、両者は、決定論に打撃を与えた理論かなと思います。

    とは言え、科学的な法則で因果関係のある世界に住んでる以上、こうした
    ままならない状態から簡単には、抜け出せない訳であり、だからこそ、
    苦を避ける自灯明と法灯明が必要になるのだと思います。

    そして、お釈迦さまは、凡夫を憐れんで、自己執着を離れるよう
    この教えをされたのだと思います。

    それから、三位一体については、牧師の先生も意味が分からない、
    ひょっとして神は三位一体でないのではないか?
    と悩んでいる韓国ドラマを見たのです。

    自分としては、そんなことはない、それは、神への愛と思いやりがあれば
    三位一体は、簡単に、わかることなのではないかなと思い見ていました。
引用返信/返信 削除キー/
■6116 / inTopicNo.82)  Re[82]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/05(Sat) 10:48:12)
    2020/09/05(Sat) 10:51:31 編集(投稿者)

    おはようございます。ななしさん。
    今回も忌憚なく返信させてもらいます。

    No6115に返信(ななしさんの記事)

    > 確かに、量子力学の不確定性原理とバタフライ効果などのカオス理論とは
    > 別物ではありますが、両者は、決定論に打撃を与えた理論かなと思います。

    それはそうですね、同意します。

    > とは言え、科学的な法則で因果関係のある世界に住んでる以上、こうした
    > ままならない状態から簡単には、抜け出せない訳であり、だからこそ、

    ここあえて偏屈なことをカキコさせて下さい。^^
    因果関係というのは、そこにある全体運動の部分を切り取り、フォーカスすることで浮かび上がる、どちらかと言えば私たちも認識が生み出す関係性である要素の強いものだと考えています。

    具体的には。。。男Aがピストルの引き金を引くことによって男Bが射殺された。
    因を引き金を引く、果を男Bの死といったように複雑系えである現実を単純化し、一対一対応の如くに認識した結果、因果関係が生じるというようなイメージです。

    でも考えてみればピストルを発明した人間やその動機、そのピストルを製造した工場、販売した店などなど、原因は無数にあり、その原因もまた結果でもあるわけで、これらを分断化した上に言葉によってラベリングしたものが因果であると、私は仏教においても輪廻転生と結び付けられることが多い業感縁起(因果)や分位縁起は好みではなく、中論の相依性縁起を支持しています。

    > 苦を避ける自灯明と法灯明が必要になるのだと思います。

    苦を避けるという表現はしっくりきません。
    苦は無常なるものに常住不変を執着することで生じるというのが仏陀の教えであり、自洲・法洲(自灯明・法灯明)は、本来(実相としては)自と一如である法を拠りどころとすることで苦を滅却する(涅槃寂静)道への指針をあらわす金言であって、苦を避けるのではなく、苦と真正面から対峙しつつ自己をあきらかにする(四諦)ことで、苦を軽減あるいは滅却するということだと思います。

    > そして、お釈迦さまは、凡夫を憐れんで、自己執着を離れるよう
    > この教えをされたのだと思います。

    自己が無自性であることを体得するれば、自己の苦も消滅するということになりますが、自己も含めたあらゆる事物や現象は無常かつ無自性(無我=空)であるにもかかわらず、そこに常住不変を願ったり、単体でもそこに実体のようなものがあるかの如く錯誤するところに凡夫の苦が生じるということだと思います。

    > それから、三位一体については、牧師の先生も意味が分からない、
    > ひょっとして神は三位一体でないのではないか?
    > と悩んでいる韓国ドラマを見たのです。

    > 自分としては、そんなことはない、それは、神への愛と思いやりがあれば
    > 三位一体は、簡単に、わかることなのではないかなと思い見ていました。

    三位一体については詳しくないのですが、どうもキリスト教以降に後付けされた教義であるようには思います。
    そもそも旧約聖書に登場する傲慢で強制的な神とキリスト教の信仰対象とする新約の神はイメージが違い過ぎます。
    これも後付けで人間がつくりだした教義に過ぎないと私は考えています。

引用返信/返信 削除キー/
■6118 / inTopicNo.83)  Re[81]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/05(Sat) 11:05:59)
    パニチェさん レスありがとうございます。

    >>決定論や必然については、過去に起きたことは変更不能、もはや変えられない!ではないでしょうか。ごく素朴な自然法則で因果関係の説明がつく単純過ぎる小さな出来事も、気候変動や地震や生命現象のような複雑でカオス的なものも、過去に起きたことは変更不能の一回性の出来事としてあるほかない。
    >
    > ここ少し疑問があります。
    > たとえば非決定論的世界、つまり不確定性原理により未来は原理的に予測不能であるとしても、過去に起きたことは変更不能、もはや変えられません。
    > 逆に言うと、過去に起きたことが変更不能をもって決定論とか非決定論の判定基準にはならないと思うのですが、私が上記を誤読してますか?

    述べたかったのは、決定論非決定論どちらを採っても、過去は変更不能であって、残るのはその解釈・評価のみだということです。過去の変更不能から決定論か非決定論かの支持が決まることはないのが正確なところかと。個人的には非決定論を支持しますが、決定論か非決定論かどちらかにこだわることはあまり意味がないと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■6119 / inTopicNo.84)  Re[82]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/05(Sat) 11:09:50)
    No6118に返信(knowing itselfさんの記事)

    こちらこそ、レスありがとうございます。

    > 述べたかったのは、決定論非決定論どちらを採っても、過去は変更不能であって、残るのはその解釈・評価のみだということです。過去の変更不能から決定論か非決定論かの支持が決まることはないのが正確なところかと。個人的には非決定論を支持しますが、決定論か非決定論かどちらかにこだわることはあまり意味がないと思います。

    了解しました。同意します。確認できて良かったです。
引用返信/返信 削除キー/

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