| パニさん、ありがとです。
ちょうど、こないだ島に帰って博物館に行って色々勉強してきたですよ!
まず、宮古島の方言には、「敬語表現がほとんどない」のですって。父からも聞いたことあるんですけど、薩摩侵攻の後、大和の役人に「おはようございます」等々の挨拶や敬語を言わないって大問題になったそうですよ(^◇^)
次にやはりこれは大きいかと思うですが「離島の庶民は文字を使うことを禁止された時代があった」ことですかねぇ。 税金だけはガッツリ取られるので、藁を結んで、数字のメモの代わりにした「ワラザン」や、独自の文字を作った島があったとの資料を博物館で見てきましたよ。 博物館で資料を色々見せてもらって、学芸員さんに聞いたら論文とか本とか出してきてくれました。 薩摩侵攻以降、明治になる頃まで、ですねぇ。
江戸時代の頃だと、地方であってもお寺や人別帳や旅籠や商家の大黒帳等に記される名前や数字などが残ってるじゃないですか?日記などでもうかがい知ることがありますよね。 島にはないのです。当時の、庶民の文字的記録は皆無に近いですね。薩摩藩の大和の役人の書いたものは、あるようですけどね。 千と千尋の神隠しに、名前を奪われるってシーンがありますが、当時の島の人の名前は、どんな文字で書くか、分からなかったりするのです。だからかもしれないんですけど、沖縄では新生児が誕生すると名前を書いて家に張り出すんですよ。オバアの家なんか子供に孫にひ孫にすごい数貼られてたりします(^◇^)
人頭税石と呼ばれているものがあるのだけれど、それが本当に税金のためだったのか、史実としての証明は不可能になってますんで、過酷な税金が本当だったかどうか、否定されればそれまで、ですねぇ。だから今でも、薩摩がどれだけ琉球から搾り取ったか?は、語れない、語られないのですねぇ。
ということを踏まえると。
>宮古島で個々人のアイデンティティーを重んじようとする文化は、どのような背景があって醸成されたんですかねぇ〜。
・上下関係に疎い ・文字記録に頼らない、頼れない ・音声言語、消えてしまう音、今この時の言葉が最重要の「その人」になる
そんな感じのことは言えるのかもしれないなぁ〜とは思います!
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