| 気まぐれさんへ。返信をありがとうございます。
非一非異は、真如と現象が「同じでも別でもない」という中道を表しているようですが、現象は実在とするそうです。
梵我一如は、ブラフマンとアートマンが同一という哲学ですので、非二元ということでの視点から、現象自体が幻想ということになります。
ここでの相違点は、現象を実在(非一非異)と捉えるのか、幻想(梵我一如)と切り捨てるのかの違いのようですね。
ただし、真如とブラフマンという実在性については同じようですので、この点で解釈すると、一如という表現では、同じ次元だと思います。
> 梵我一如の一如に「非一非異」を読み取るのは無理筋ですかね。
しかし、梵我一如自体の次元的概念は同じでも、非一非異は、現象を実在ととらえ、梵我一如はその現象自体を幻想だと切り捨てますので、そこに矛盾が生じると思います。
少し調べただけの結果ですので、はっきりとは理解に及んでいないかもしれませんが、私の解釈としては、梵我一如の一如に「非一非異」を読み取るのは無理筋だと思います。^^
大乗仏教の世界観が絡むと、ややこしいですね(笑)
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