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■36791 / inTopicNo.13)  Re[22]: 純粋理性批判B 175
  
□投稿者/ pipit -(2024/03/13(Wed) 23:38:30)
    (次の箇所)
    In all subsumptions of an object under a conception, the representation of the object must be homogeneous with the conception; in other words, the conception must contain that which is represented in the object to be subsumed under it. For this is the meaning of the expression: “An object is contained under a conception.” Thus the empirical conception of a plate is homogeneous with the pure geometrical conception of a circle, inasmuch as the roundness which is cogitated in the former is intuited in the latter.

    (DeepL日訳)
    つまり、概念には、その概念に包含される対象の中に表されているものが含まれていなければならない。これがこの表現の意味である:「対象は観念の下に含まれる」。このように、皿という経験的な観念は、円という純粋幾何学的な観念と同質である。

    上記引用箇所から読んでいこうと思います♪
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■36790 / inTopicNo.14)  Re[21]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/13(Wed) 23:35:33)
    みなさまこんばんはー
    とりあえず次のタイトルだけ....

    TRANSCENDENTAL DOCTRINE OF THE FACULTY OF JUDGEMENT OR, ANALYTIC OF PRINCIPLES

    Chapter I. Of the Schematism at of the Pure Conceptions of the Understanding

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26

    『the Schematism (図式)』論ということですね

    今日は眠いのでおやすみなさいー(( _ _ ))..zzzZZ
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■36776 / inTopicNo.15)  Re[16]: YouTubeショート日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/11(Mon) 18:59:02)
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■36775 / inTopicNo.16)  YouTubeショート日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/11(Mon) 18:45:37)
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■36759 / inTopicNo.17)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/10(Sun) 09:30:52)
    2024/03/10(Sun) 09:45:20 編集(投稿者)

    No36756に返信(pipitさんの記事)
    > みなさまこんにちは!
    > No36685 の続きの英訳です。
    >
    > ( J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    > 略
    > https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26
    >
    > (英訳のpipit意訳.日訳)
    >
    > 私たちの判断機能の超越論的理論は2章からなる。
    >
    > 第一章は、その下でのみ純粋知性概念が使用されうる感性的な条件---すなわち、純粋知性の図式論---について論じる。
    >
    > 第二章は、そのような条件(純粋知性の図式論)のもとで、純粋知性概念からアプリオリに導かれ、他のすべての認識の基礎にアプリオリに横たわる総合的判断---つまり純粋知性の原則----について論じる。


    なるほどー、、、
    第一章で概念と直観をつなぐことを可能にする条件を描き出し、
    第二章で、概念と直観がつながることで【アプリオリな総合判断】が生じる流れ方を描くつもりかな、、、と想像しました。

    御子柴先生の解説読んでみようっと..

    わ、丁寧さにびっくり、〈原則の分析論は二つの章からなる〉として、2ページ弱のボリュームでこの箇所を解説されてました。ありがたやー(^人^)善之清水!
    (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生著、角川選書、p240-242)
     
    、、、
    今読みまして、本題から外れたところがちょっとおもしろかったです、、、引用します、、、

    『「判断力の超越論的理説」すなわち「原則の分析論」は、第一章「純粋悟性概念の図式機能について」と第二章「純粋悟性のすべての原則の体系」を主要な部分としてもっています(実際には、第三章もあります)。』

    第三章もあるんですねー(^◇^;)

    と、中山元先生訳の第三章を開いてみたら、、(純粋理性批判の中では有名そうな)魅力的な文章から始まっている箇所でした!(第三巻p221-)B.294

    題名は(中山元先生訳)
    『第三章 すべての対象一般を感覚的な存在(フェノメノン)と叡智的な存在(ヌーメノン)に区別する根拠について』

    一年以内に辿り着けるかなぁ( ;∀;)
引用返信/返信 削除キー/
■36757 / inTopicNo.18)  Re[21]: 純粋理性批判B 175・英訳
□投稿者/ pipit -(2024/03/10(Sun) 08:52:07)
    2024/03/10(Sun) 08:52:49 編集(投稿者)

    No36756

    Our transcendental doctrine of the faculty of judgement will contain two chapters.

    The first will treat of the sensuous condition under which alone pure conceptions of the understanding can be employedーthat is, of the schematism of the pure understanding.

    The second will treat of those synthetical judgements which are derived a priori from pure conceptions of the understanding under those conditions, and which lie a priori at the foundation of all other cognitions, that is to say, it will treat of the principles of the pure understanding.
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■36756 / inTopicNo.19)  純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/10(Sun) 08:50:36)
    2024/03/10(Sun) 09:44:41 編集(投稿者)

    みなさまこんにちは!
    No36685 の続きの英訳です。

    ( J. M. D. Meiklejohnさん英訳)

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26

    (英訳のpipit意訳.日訳)

    私たちの判断機能の超越論的理論は2章からなる。

    第一章は、その下でのみ純粋知性概念が使用されうる感性的な条件---すなわち、純粋知性の図式論---について論じる。

    第二章は、そのような条件(純粋知性の図式論)のもとで、純粋知性概念からアプリオリに導かれ、他のすべての認識の基礎にアプリオリに横たわる総合的判断---つまり純粋知性の原則----について論じる。

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■36750 / inTopicNo.20)  作ってみた2
□投稿者/ pipit -(2024/03/09(Sat) 00:13:53)
    みなさま、こんばんはー。
    ワードで作ってみた2です。

    No36622
    > 【諸表象様式の段階】
    > ----------------------------
    > カント純粋理性批判B376.377
    >
    > 『以下は、諸表象様式の段階である。
    > 類は表象一般(repraesentatio)である。
    > 表象の下に、意識を伴った表象(perceptio)が属している。
    > 知覚は、主観の状態の変様としてもっぱら主観に関する場合、感覚(sensatio)であり、客観的知覚は、認識(cognitio)である。
    > 認識は、直観か概念のいずれか(intuitus vel conceptus)である。
    > 直観は直接に対象に関係し、個別的であるが、概念は、いくつかの事物に共通でありうる徴表を介して、間接的に対象に関係する。
    > 概念は、経験的概念か純粋概念のいずれかである。
    > そして純粋概念は、それがもっぱら悟性のうちにその源泉を有するかぎり(感性の形象のうちにではなく)、悟性概念[Notio]と呼ばれる。
    > 悟性概念から生じ、経験の可能性を超える概念が、理念もしくは理性概念である。』
    >
    > 『純粋理性批判 上』カント、宇都宮芳明監訳、以文社、p403、鈴木恒夫先生訳
    > ----------------------------
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ruihyoushoukaisou.jpg
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■36724 / inTopicNo.21)  文章の見える化にチャレンジ
□投稿者/ pipit -(2024/03/05(Tue) 14:37:19)
    2024/03/06(Wed) 06:36:43 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちは!
    図式論に入る前にもう一度、カント的考え方を振り返ってみたいなと、いらすとやさんのフリーイラストを使ってワードで作成してみました。(なんやかんやでJPEG化)

    No36622
    > 【諸表象様式の段階】という記述で、表象の側面から定義してる箇所はB376.377にあるので、引用しますね。
    >
    > ----------------------------
    > カント純粋理性批判B376.377
    >
    > 『以下は、諸表象様式の段階である。
    > 類は表象一般(repraesentatio)である。
    > 表象の下に、意識を伴った表象(perceptio)が属している。
    > 知覚は、主観の状態の変様としてもっぱら主観に関する場合、感覚(sensatio)であり、客観的知覚は、認識(cognitio)である。
    > 認識は、直観か概念のいずれか(intuitus vel conceptus)である。
    > 直観は直接に対象に関係し、個別的であるが、概念は、いくつかの事物に共通でありうる徴表を介して、間接的に対象に関係する。
    > 概念は、経験的概念か純粋概念のいずれかである。
    > そして純粋概念は、それがもっぱら悟性のうちにその源泉を有するかぎり(感性の形象のうちにではなく)、悟性概念[Notio]と呼ばれる。
    > 悟性概念から生じ、経験の可能性を超える概念が、理念もしくは理性概念である。』
    >
    > 『純粋理性批判 上』カント、宇都宮芳明監訳、以文社、p403、鈴木恒夫先生訳
    > ----------------------------

    全然違うかもなのだけど、意識を伴った、って、有名な「私は考える」が伴い得なくてはならない・の意識でしょう?

    (客観的)認識行為とは、一つの意識に該当表象を統一する行為と捉え、その統一機能(統覚)を悟性が担っているとしたとき、
    同時の作業として、純粋悟性概念を通して直観を統一させる行為も悟性により機能している、とカントは考えているのかなあ?って、今の段階では思いました。

    表象(直観)をすべて純粋悟性概念の下に配置する作業を悟性が行っている、ゆえに、認識は純粋悟性概念と一致するのは必定、というか…

    『一つ』という概念が先にあるので、私は自然の対象に『一つ』を認識する、って感じかなぁ
    全然間違えてたらすみません!

    勉強を続けたいと思っています( ..)φ
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ruihahyoushouippan.jpg
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■36688 / inTopicNo.22)  B 175 を考えてみた日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/02(Sat) 15:45:28)
    みなさまこんにちは。
    No36685の箇所、、、
    難しくてわかりませんが、考察してみました(T ^ T)

    今読んでる箇所の一つ前の『純粋悟性概念の演繹』の箇所で、【純粋悟性概念に客観的妥当性がある】と証明できたとカントは考えていそうです。

    ということは、純粋悟性概念の中に既に、客観内容と対応できる規則を含んでいて、対象に適用可能な条件も提示できる、ということになると思います。

    そして、このようなアプリオリ性の中で何かを述べることのできる学問は数学を除いては超越論的哲学だけだとカントは言ってるのかな?と思いました。

    『演繹』で概念としての客観的妥当性が証明されても、その概念に対象物が〈いかなる条件によって〉包摂されるのか、を超越論的哲学のうちで明らかにしなければ、、、
    単なる論理的な形式となり、内容を欠き、純粋悟性概念として存せない、ということかなと思いました。

    ・・・違うかもで、難しいー!!

    解説本など再読してみます(T . T)

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■36685 / inTopicNo.23)  Re[19]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/02(Sat) 11:33:08)
    みなさまこんにちはー
    No36679英訳を意訳日訳してみました (*_*) 間違えてたらスミマセン

    超越論的哲学が、数学を除く他のすべての学より優れている原因は、この点にある。
    超越論的哲学は、アプリオリにその対象に関係すべき概念 を取り扱う。
    したがって、取り扱う概念の客観的妥当性をアポステリオリに証明することはできない。
    と同時に超越論的哲学は、その下でそのような概念と調和するような対象が与えられる条件 を 一般的に、しかし十分な試金石として、明示する義務の下にある。
    さもなければ、それら(アプリオリに対象に関係すべき概念)は単なる論理的な形式となり、内容を欠き、悟性の純粋な概念ではなくなるのである。

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■36679 / inTopicNo.24)  純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/01(Fri) 09:55:42)
    今回読みチャレンジするB175の英訳です(°_°)

    The cause of the superiority which, in this respect, transcendental philosophy possesses above all other sciences except mathematics, lies in this: it treats of conceptions which must relate a priori to their objects, whose objective validity consequently cannot be demonstrated a posteriori, and is, at the same time, under the obligation of presenting in general but sufficient tests, the conditions under which objects can be given in harmony with those conceptions; otherwise they would be mere logical forms, without content, and not pure conceptions of the understanding.
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