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■33492 / inTopicNo.37)  Re[15]: ウィトゲンシュタインの魅力
  
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/09/24(Sun) 16:35:17)
    2023/09/24(Sun) 18:00:09 編集(投稿者)

    田秋さん、余計なお世話かと思いながら、取り急ぎ私見をお伝えします。

    No33487に返信(田秋さんの記事)
    > パニチェさん、ザビビのふくろうさん
    >
    > お二人ともありがとうございました。
    >
    > 日記は買ってみようと思います。『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』の他に『秘密の日記』(春秋社:3800円)というのも見つけましたが、これは別の日記なんですか?
    >
    > ザビビのふくろうさんの「論理的に徹底して考え抜く、という点がウィトゲンシュタイン哲学の魅力」という部分、元々ザビビのふくろうさんがそういう思考性を持っていて、それでウィトゲンシュタインに魅せられたのですか?それとも逆?(ではないような気がしますが・・・)
    >
    > お二人の文章を読んで、お二人ともご自身を第三者的な目で見ることが出来るのだなあということを感じました。
    >
    > ===
    > ありがとうございました。日記読んで何か書けることがあったら横入りしてみたいと思います。

    秘密の日記を先に読むのはやめたほうがいいです。

    ウィトゲンシュタインの人となりを最初に知るのには、

    ノーマンマルコムとフォンウリクトが書いた
    『ウィトゲンシュタイン』(平凡社ライブラリー)

    がおすすめです。
    ウィトゲンシュタインの直弟子二人が、彼の死後そんなに経ってない時期に書いたもので、弟子たちから見たウィトゲンシュタインの姿が活写されています。
    著者二人も著名な哲学者で、ウィトゲンシュタインについて書かれた解説書などで伝記的な事柄にふれる場合は、必ずと言っても良いほど参照される第一次資料とも言える著作です。
    また、そういう資料的価値を除いても、時代を代表する天才の稀有な精神を、身近で愛情と畏怖を抱きながら見守った弟子たちの文章は、読み物としても大変興味深いものと思います。

    今アマゾンで調べたら、絶版か品切れのようですので、古書か図書館かになってしまいますが、構わなければぜひ。


    決定版とも言える伝記もありますが、まあこれははまってからでいいと思います。

    あと、ウィトゲンシュタイン自身の書いたものでは、
    『反哲学的断章 文化と価値』
    という著作が、クラシック音楽についての記述も多く、田秋さんにはおすすめです。
    取り急ぎ、ご参考まで

    【補足】
    ちなみに、ウィトゲンシュタインが同性愛者であったことは事実とわかっています。

引用返信/返信 削除キー/
■33490 / inTopicNo.38)  Re[13]: 安泰寺はハンパなく見性否定のお寺
□投稿者/ knowingitself -(2023/09/24(Sun) 16:25:12)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >昨日、安泰寺住職、ネルケ無方氏がNHK「こころの時代」に出演してましたね。
    観られましたか?

    観ていません。知っていたら録画していたでしょう(笑)。

    「バージョンII」の後にもう一冊でていて、そこにはネルケ無方氏も執筆しています。安泰寺の主流の立場は藤田氏よりむしろネルケ無方氏かもしれない。
引用返信/返信 削除キー/
■33489 / inTopicNo.39)  Re[15]: ウィトゲンシュタインの魅力
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/24(Sun) 16:23:26)
    No33487に返信(田秋さんの記事)

    > パニチェさん、ザビビのふくろうさん
    > お二人ともありがとうございました。

    どういたしまして。

    > 日記は買ってみようと思います。『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』の他に『秘密の日記』(春秋社:3800円)というのも見つけましたが、これは別の日記なんですか?

    『哲学宗教日記』は1930〜1932年/1936〜1937年で、『秘密の日記』は第一次世界大戦中に書きとめられた日記ということですから1914〜1918年で、時期が違うので別の日記ですね。
    全集第1巻の付録「ウィトゲンシュタイン年譜」には1914年8月22日から翌年6月22日、1916年4月15日から翌年1月10日までのノート残存とありました(このノートかどうかは分かりませんが)。

    > お二人の文章を読んで、お二人ともご自身を第三者的な目で見ることが出来るのだなあということを感じました。

    ザビビのふくろうさんはそうでしょうが私はどうかなぁ〜。
    でも、ありがとうございます。^^;

    > ===
    > ありがとうございました。日記読んで何か書けることがあったら横入りしてみたいと思います。

    是非、是非、どんな内容でどのような感想を持たれたか教えて下さい。
引用返信/返信 削除キー/
■33488 / inTopicNo.40)  Re[13]: ウィトゲンシュタインの魅力
□投稿者/ knowingitself -(2023/09/24(Sun) 16:13:40)
    田秋さん こんにちは 横レス失礼します。


    >その他、日記など彼が書いた物とか、周りの人から見たウィトゲンシュタインのエピソードなどは残っているのでしょうか?

    エピソードは強烈なものがたくさんあるようですね。

    ケンブリッジの学生だった頃、ラッセルに「私が完全なるバカ者かどうか教えてください。完全なるバカ者なら哲学をやめてパイロットになる。そうでないなら哲学者になるつもりですから」と性急に問いかけ、「すぐにわかるわけがないから論文を書いてもってきなさい」、書いてきた論文を読み始めるや否や冒頭からこの男は天才であると確信し、どんなことがあってもパイロットになってはいけない、哲学にとどまるようにと、ラッセルはウィトゲンシュタインを説得したと・・・

    ヨーロッパ有数の超大富豪の子息でありながら、相続財産を全額放棄し、質素な小学校の教師になり(ケンブリッジはやめた、後年復帰しますが)。

    小学校教師としてはトラブルをおこして失意のうちに挫折。その後、修道士になろうとするも、修道院長の許可がおりず、庭師として働いた。

    間違っていたら誰か訂正してください。他にもたくさんあると思います。


    >アインシュタインの理論は難しくてわかりませんが、色々読んだりしていると彼の人格に温かみを感じます。そういうものをウィトゲンシュタインから何か感じることはありますか?

    温かみというより、妥協のない峻厳さをイメージしますね。衝突やトラブルは珍しくなかったようです。
引用返信/返信 削除キー/
■33487 / inTopicNo.41)  Re[14]: ウィトゲンシュタインの魅力
□投稿者/ 田秋 -(2023/09/24(Sun) 15:56:00)
    パニチェさん、ザビビのふくろうさん

    お二人ともありがとうございました。

    日記は買ってみようと思います。『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』の他に『秘密の日記』(春秋社:3800円)というのも見つけましたが、これは別の日記なんですか?

    ザビビのふくろうさんの「論理的に徹底して考え抜く、という点がウィトゲンシュタイン哲学の魅力」という部分、元々ザビビのふくろうさんがそういう思考性を持っていて、それでウィトゲンシュタインに魅せられたのですか?それとも逆?(ではないような気がしますが・・・)

    お二人の文章を読んで、お二人ともご自身を第三者的な目で見ることが出来るのだなあということを感じました。

    ===
    ありがとうございました。日記読んで何か書けることがあったら横入りしてみたいと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■33486 / inTopicNo.42)  井筒俊彦と華厳
□投稿者/ knowingitself -(2023/09/24(Sun) 15:29:03)
    気まぐれさん レスありがとうございます

    >井筒先生の著作はそれなりに読んではいますが、何分素人なもので過度に期待はしないでください。
    ラフな感じで話していただければ嬉しいです。

    わたしは素人として気ままに井筒俊彦を読んでいるレベルなので、ラフな話ししかできません。井筒俊彦に限らず、ラフな話しから、それぞれの人が何かヒント、気づき、発見、方向をつかめれば十分だと思っています。





    >私は西田の場所の論理で華厳やイブン・アラビーの神的顕現を基礎づけてみたいというようなことを漠然と思っていましたので、上褐書p.182で「逆対応」の4分類が華厳哲学と重ね合わせて述べられる箇所は興味深いと思いました。以下引用ではなく、別の機会に当該箇所を箇条書きにしたものを記載します。
    (一昨日に井筒先生の『スーフィズムと老荘思想』を読了したばかりなのですが、西田とイブン・アラビーの比較を目標とする今の私にとっては、かなり示唆的な書でした。この著作は井筒先生の英語論文の和訳書なのですが、訳者の仁子寿晴先生の解説が、これがまた、とても興味深かったです。)


    >@絶対者と個との関係は「理」と「事」との関係(理事無礙)
    A絶対者自身の内部の関係は「理」の内部の関係(理理無礙)
    B「個が個自身において逆対応的」は「事」の内部の関係(後期西田哲学から見ると華厳哲学においてはこのBの視点が弱い)
    C無数の個相互の関係は「事」と「事」との関係(事事無礙)

    西平氏の該当箇所を改めて精読してみたいと思います。

    「スーフィズムと老荘思想」を読了されたとは、かなり本格的ですね。井筒俊彦の著書の中では最も分厚い本?
    わたしは、井筒俊彦の日本語の著書はだいたい読んでいますが、井筒俊彦の欧文著作はまだまだこれからです。(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■33484 / inTopicNo.43)  Re[13]: ウィトゲンシュタインの魅力
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/24(Sun) 15:10:23)
    2023/09/24(Sun) 15:26:35 編集(投稿者)

    こんにちは、田秋さん。レスありがとうございます。

    No33479に返信(田秋さんの記事)

    > 「比類なき先言の<私>」に気付いているであろう数少ない一人の哲学者なんですか(と言ってもよくわかりませんが、気にしないでください)!

    ^^

    > ウィトゲンシュタインは「論考」以外にも何か出版しているのですか?その他、日記など彼が書いた物とか、周りの人から見たウィトゲンシュタインのエピソードなどは残っているのでしょうか?

    大修館書店のウィトゲンシュタイン全集は10巻ありますが、ウィトゲンシュタインが出版したのは『論理哲学論考(論考)』のみで、出版予定であった原稿を元に死後出版された『哲学探究(探究)』があります。
    あと有名なのは講義ノートをまとめた『青色本』『茶色本』と呼ばれる書籍と、死の直前まで書き綴っていた覚書を書籍とした『確実性の問題』があります。他、講義集、論文、聴講者ノート、手紙等々が全集には含まれています。
    また死後40年以上経って1993年に発見された日記帳が『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』として2005年11月に出版されました。

    > アインシュタインの理論は難しくてわかりませんが、色々読んだりしていると彼の人格に温かみを感じます。そういうものをウィトゲンシュタインから何か感じることはありますか?

    温かみとは少し違いますがウィトゲンシュタインが同性愛者であったかどうかは未だ議論のあるところですが自殺未遂や自殺への衝動がありイメージ的には生涯苦悩していたように見受けられます。

引用返信/返信 削除キー/
■33480 / inTopicNo.44)  Re[11]: ウィトゲンシュタインの魅力
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/09/24(Sun) 12:52:09)
    田秋さん、こんにちは。

    No33463に返信(田秋さんの記事)
    > おはようございます、パニチェさん、ザビビのふくろうさん
    >
    > お二人の濃いレス交換、内容は殆ど理解できていませんが、お二人ともウィトゲンシュタインへの思い入れが深いことはよく伝わってきます。
    >
    > それでお二人にお尋ねしたいのですが、ウィトゲンシュタインのどういった処に魅せられるのでしょうか?
    >
    > もし宜しければお聞かせください(専門用語が出てこないとありがたいです^^;)。

    ごく個人的な見解として述べさせていただきます。
    『論考』の捉え方の一つとして、「世界とはなにか?」という問いに対して、論理的に徹底して考え抜き、答えを与えた書物である、という捉え方が可能と思います。

    私自身は、その答え以上に、論理的に徹底して考え抜く、という点がウィトゲンシュタイン哲学の魅力と思います。

引用返信/返信 削除キー/
■33479 / inTopicNo.45)  Re[12]: ウィトゲンシュタインの魅力
□投稿者/ 田秋 -(2023/09/24(Sun) 11:09:53)
    パニチェさん、お返事ありがとうございます。

    「比類なき先言の<私>」に気付いているであろう数少ない一人の哲学者なんですか(と言ってもよくわかりませんが、気にしないでください)!

    ウィトゲンシュタインは「論考」以外にも何か出版しているのですか?その他、日記など彼が書いた物とか、周りの人から見たウィトゲンシュタインのエピソードなどは残っているのでしょうか?

    アインシュタインの理論は難しくてわかりませんが、色々読んだりしていると彼の人格に温かみを感じます。そういうものをウィトゲンシュタインから何か感じることはありますか?
引用返信/返信 削除キー/
■33476 / inTopicNo.46)  Re[16]: < >の中はなぜ私なのか?
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/24(Sun) 09:21:28)
    2023/09/24(Sun) 15:34:19 編集(投稿者)

    おはようございます、気まぐれさん。レスありがとうございます。

    No33467に返信(気まぐれさんの記事)

    >>そんなことはないですよ。
    >>〈私〉が見性の前段階なのかどうかも私には未だ分からないのです。
    >>何故なら、私は見性してませんから(笑)

    > ありがとうございます。
    > 当然、私も見性していません。
    > 見性を得たいという心もちよりも、存在しているとはどういうことかを知りたいという動機が勝ってしまうので。

    なるほど。おそらく存在の探究も私の探究と隣接するんでしょうね。^^

    > < >にすることで、<私>から抜け落ちてしまう独在性語りえない。ということなんでしょうね。語れば頽落すると。
    > < >自体が語りえず頽落しているので、頽落の頽落ということになるのでしょうね。

    頽落の頽落ですか。。。確かに。
    「私」に頽落するのが下方頽落なら、見性に頽落するのは上方頽落、あるいは頽昇でしょうか(笑)。

    > ですが私には(ウィトゲンシュタインのではなく、仏教等の東洋思想的観点での)語りえぬものに、語りえる(マーヤー的な)私が混入しているように見えるのです。

    同意します。
    ザビビのふくろうさんへの返信でもカキコしたのですが、言葉にする以前、意識した時点で語りえる自意識に変質してしまうんですね。
    で、自意識と〈私〉は全く別物か?といえばそうではない、もちろん同じではないのですが〈私〉の変質系ではあります。
    おそらく仏教の勝義諦と世俗諦も〈私〉と自意識のような関係だと思われます。

    > <>の本来の意味は抹消記号×を私に重ねることができなかったことに由来する記号でしたね(確か…)。その意味で非我ということを示すのですね。

    そうです。普段、私たちが日常的に使ってる一人称単数代名詞である「私」では非ずということです。

    > ですが脳は否定形を理解できないので、<>にどんな意味を込めても、私が意識されてしまう気がします。それならばいっそ書かない方がよいと思うのです。単純に。
    > “私”にアートマン以上の何か(意味)があるということでしょうか。

    私の本質という点では共通していますが、アートマンも独在性が削げ落ちていますよね?
    梵我一如(アドヴァイタ)も普遍的真理ですから。。。

    〈私〉の本質は非対称(自分と他者の関係において)であることです。
    よって一切衆生悉有仏性であるところのアートマンとは今のところ区別しています。
引用返信/返信 削除キー/
■33475 / inTopicNo.47)  Re[11]: ウィトゲンシュタインの魅力
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/24(Sun) 09:05:49)
    おはようございます、田秋さん。レスありがとうございます。

    No33463に返信(田秋さんの記事)

    > お二人の濃いレス交換、内容は殆ど理解できていませんが、お二人ともウィトゲンシュタインへの思い入れが深いことはよく伝わってきます。

    > それでお二人にお尋ねしたいのですが、ウィトゲンシュタインのどういった処に魅せられるのでしょうか?

    > もし宜しければお聞かせください(専門用語が出てこないとありがたいです^^;)。


    私の場合は簡単な理由です。
    幼少の頃よりライフワークならぬライフホビーとして探究している「比類なき先言の<私>」に気付いているであろう数少ない一人の哲学者であるからです。
引用返信/返信 削除キー/
■33474 / inTopicNo.48)  Re[12]: 安泰寺はハンパなく見性否定のお寺
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/24(Sun) 09:02:12)
    2023/09/24(Sun) 16:38:53 編集(投稿者)

    おはようございます、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No33471に返信(knowingitselfさんの記事)
    > 横レス失礼します。

    > 見性と〈私〉哲学の関係ですが、〈私〉哲学の永井氏が数多の禅者から内山興正ただ一人だけ(他の禅者にはほぼ興味なしのようです)を選んで自己漫画図を哲学的に検討している。これが「バージョンII」ですね。

    > ところで、澤木興道→内山興正と継承された曹洞宗安泰寺(藤田、山下両氏はここの出身)は、見性否定を徹底することにおいて徹底しているところですね。臨済禅に比べて、道元にはもともと見性否定の要素が強いのかもしれないが、安泰寺はそこがハンパでないと。見性を求めない、見性を語らない、何らかの体験があっても一切執着しない。何にもならない、効果のない禅でいいじゃないか。

    > その安泰での内山興正からみても、どこか禅から外れる要素をもってしまった書、その中の第四図、第五図ですから、基本的に「見性」とは次元が異なるような気もします。

    同意します。
    なんか、奇遇です!
    昨日、安泰寺9世住職、ネルケ無方氏がNHK「こころの時代」に出演してましたね。
    観られましたか?
引用返信/返信 削除キー/

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