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■31385 / inTopicNo.1)  哲学全般、仏教、科学etc 13
  
□投稿者/ パニチェ -(2023/06/29(Thu) 19:51:27)
    2023/07/04(Tue) 22:30:49 編集(投稿者)

    トピ主:パニチェ

    ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、比類なき先言の<私>など哲学全般

    初期仏教、中論、唯識、華厳、大乗仏教

    脳科学、進化論、物理(相対性理論、量子力学)、科学哲学などなど

    上記でなくても何でもどうぞ♪
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■31386 / inTopicNo.2)  時さんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/06/29(Thu) 21:14:56)
    2023/06/29(Thu) 21:40:49 編集(投稿者)

    時さん、こんばんは。レスありがとうございます。

    No31364に返信(時さんの記事)

    > 後学のために、原始で1つ2つでも創作されされたことが明らかにされた内容と、その仏典研究というものがいかなるものなのかを教えていただければ幸いです。

    たくさんありますが四つほど紹介しておきます。
    ・釈尊はマーヤー夫人の右脇から生まれたという記述。
    ・苦行を捨てるきっかけとなったスジャーターからミルク粥の供養を受けたという物語(1.仏伝以外の経典には、彼女があげられていない。2.他の仏典では異なったすがたで述べれれている)。
    ・初転法輪とされる中道や八正道は後に付加された。(パーリー文「聖求経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった)
    ・神通力に関する記述(マウリア王朝時代に釈尊の神格化がすすみ釈尊は神通の神変を現ずる記述があらわれるようになる)

    上記の出自は『中村元選集第11巻&12巻 ゴータマ・ブッタT&U』です。

    > はい。少し意見が合わないかもしれませんね。^^と言いたい所ですが、偏った見解を私は持ちたくないと思ってはいますが、なんせ学び初めの時のイメージが良くなかったという事で、なにがしかの認知バイアスがかかってしまっているのかもしれませんね。ただ、今回いろいろとお話にお付き合いしていただいて、その可能性にでも気づけたのであれば大きな収穫です。

    ありがとうございます。そう言っていただければ助かります。

    > ちなみにですが、原始の中部経典にあるのですが、生後間もない菩薩は、立ち上がり七歩あゆみます。そして、雄牛のごとくに語を発します。なんていうお話は、作り話だろうなぁと思っています。通常は、生まれたての幼児が立ち上がって歩いて言葉を発しませんから。私の解釈でもこの辺りのお話は、ナンセンスだという判断で流していますが。もちろん、その他にもあったように思います。

    ここも少し私の意見を述べさせてもらいます。
    より古い仏典(マハーヴァストゥ)では『釈尊は生まれたばかりで地上を七歩もあるいた。それぞれの方角を見そなわして、大きな笑い声を発した』とあるらしいので「天上天下唯我独尊」のエピソードは後の書き足し(創作)であるとは思います、但し私はこの付け加えられたエピソードは無意味であるとは考えていません。
    「天上天下唯我独尊」の“我”とは自他の境界を超越した人間全体、「自」のことであり、釈尊と同じく言語と論理を有して生まれた人間への賛歌だと解釈しています。

    > 何かこう、お話した医者にしてもこの僧侶にしても、割との高確率で出会いガチャで外れる運命なのかもしれません(笑)

    たまたまだと思います。^^
    今、再ブレークしている台詞「はいてますよ!」ならぬ「説いてますよ!」と突っ込みたいですね。
    愛ある言葉(愛という語を含む仏語)は釈尊も説いてますよ!但し、煩悩がらみの説法で、って(笑)

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■31390 / inTopicNo.3)  パニチェさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/06/29(Thu) 22:52:18)
    2023/06/30(Fri) 11:18:44 編集(投稿者)

    パニチェさんへ。こんばんは。ご返信をありがとうございます。

    > たくさんありますが四つほど投稿しておきます。
    > ・釈尊はマーヤー夫人の右脇から生まれたという記述。
    > ・苦行を捨てるきっかけとなったスジャーターからルク粥の供養を受けたという物語(1.仏伝以外の経典には、彼女があげられていない。2.他の仏典では異なったすがたで述べれれている)。
    > ・初転法輪とされる中道や八正道は後に付加された。(パーリー文「聖求経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった)
    > ・神通力に関する記述(マウリア王朝時代に釈尊の神格化がすすみ釈尊は神通の神変を現ずる記述があらわれるようになる)
    >
    > 上記の出自は『中村元選集第11巻&12巻 ゴータマ・ブッタT&U』です。

    ありがとうございます。ご面倒なことをお願いして申し訳ありませんでした。なるほど、知らない事ばかりでした。それもそのはずで、右脇から生まれた、スジャータ名の登場(有名なミルクの逸話)、中部経典26経「聖求経」の内容での中道や八支聖道の記述は、私の見ている原始仏典に記載がないようです。なくて良いのですよね?神通力のお話は、ある方のとのお約束で語れませんが、ご容赦ください。ですので、問題はなさそうですね。。。

    多分ですが、多くの訳文が出ているようですので、中村元氏が研究されたものと、私が参考にしているものの違いのように思いました。

    > ここも少し私の意見を述べさせてもらいます。
    > より古い仏典(マハーヴァストゥ)では『釈尊は生まれたばかりで地上を七歩もあるいた。それぞれの方角を見そなわして、大きな笑い声を発した』とあるらしいので「天上天下唯我独尊」のエピソードは後の創作であるとは思います、但し私はこの付け加えられたエピソードは無意味であるとは考えていません。
    > 「天上天下唯我独尊」の“我”とは自他の境界を超越した人間全体、「自」のことであり、釈尊と同じく言語と論理を有して生まれた人間への賛歌だと解釈しています。

    パニチェさんのご認識は、了解しました。

    > たまたまだと思います。^^
    > 今、再ブレークしている台詞「はいてますよ!」ならぬ「説いてますよ!」と突っ込みたいですね。
    > 愛ある言葉(愛という語を含む仏語)は釈尊も説いてますよ!但し、煩悩がらみの説法で、って(笑)

    うーん、、偶然ですかね?(笑)アングリマーラが石をぶつけられて血まみれになりながらも、その業の異熟により数千年を地獄で苦しめられるべきところの業の果報を今世で経験しているのですから耐えなさいよと、仏陀が言ったというお話を思い出したのですが、、、(笑)私は何かしたのかしら?考えすぎでしょうね?(笑)

    大変、学びの多い一時でした。では今回も、お付き合いをありがとうございました。m(__)m
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■31391 / inTopicNo.4)  田秋さんへ
□投稿者/ 時 -(2023/06/29(Thu) 23:07:41)
    田秋さんへ。こんばんは。わざわざご親切なレスをありがとうございます。

    No31388

    > 誤解があるといけませんので。
    > 「取経」という経典ありません。

    了解しました。^^

    > 西遊記は玄奘三蔵が中国にいたのではどうしてもわからない経典の疑問点を確かめるために天竺まで行った旅が土台になっていています。なので玄奘はお経を取りに行く事が目的ではありませんでしたが(結果的に大量の経典を持ち帰りました)、西遊記は最初から経典を持ち帰るのが目的でした。

    > 経緯を要約すると、あるときお釈迦さまが世界の四大部州を見渡すと南贍部州だけが乱れていました(ご存じのようにここに長安があります)。それで仏教で人々を教化するため天竺までお経を取りに来る人間を探させに観音菩薩を南贍部州までやりました。

    > 一方、唐の太宗にも色々あって、とある龍王の恨みを買い呪い殺されますが、太宗の部下魏徴と義兄弟の契りを結んだ崔判官が冥界にいて崔判官の機転により太宗は生還することができました。ただ生還したら地獄で苦しむ亡者救済のため施餓鬼法要をすることを約束します。

    > 太宗は生き返り約束通り盛大に施餓鬼法要を催しましたが、そこで選ばれた高僧が玄奘三蔵でした。玄奘は台上で次々とお経を唱えていましたが、そこに現れたのが丁度長安にいた観音菩薩。
    > 「そなたの説いているのは全て小乗(原文のママ)のみだ。大乗の教えを説くことができるか」
    > 「存じませぬ」

    > そこで太宗も交えて観音と会話が交わされ、天竺へ玄奘三蔵がお経を取りに行くことになったのでした。
    > 要約と言っておきながら長くなってしまいました。

    > と言う訳で、悟空や八戒、沙悟浄を引き連れた天竺への旅を取経の旅と言います。また西遊記として拡大・膨張する前の最古の西遊記の祖本を「大唐三蔵取経詩話」と言います。

    ありがとうございます。全く知りませんでした(^^;
    そのような歴史があるのですね。私ももしも菩薩と出会ったのであれば…天竺への旅が強制的に始まったかもしれません(笑)

    > 堺正章西遊記をご存じなのですね!それではキャスティングネタを一つ。
    > 最初日本テレビは坂東玉三郎に声を掛けたそうです。しかしすげなく断られてしました。そこで発想の大転換、女性にやらせてみてはどうか!?ということになり、夏目雅子に白羽の矢が立ったわけです。それが大当たりとなりました。
    >
    > 以後何度も西遊記は制作されていますが、三蔵は全部女性です(宮沢りえ、牧瀬里穂、深津理恵)。
    > 西遊記の訳者中野美代子氏は北海道大学で教鞭を執っていましたが、かつて
    > 「本気で玄奘三蔵は女性だったと信じている学生がいる」と嘆いていました。

    あり得ますね(笑)といいますか、実話でしょうから、本当でしょうね。
    でも、西遊記のドラマは、最初の夏目雅子でその中性的なイメージでヒットしたのでしょうかね。美しかったですね、彼女は。将来の大女優を約束された方のように感じておりましたが。

    では、短い返信になりましたが、ご丁寧にありがとうございました。
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■31402 / inTopicNo.5)  パニチェさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/06/30(Fri) 23:47:02)
    パニチェさんへ。こんばんは。

    昨日より、少しですが調べなおしてみました。

    ・乳粥のお話でのスジャーター

    私の記憶でも乳粥のお話はありませんでしたので、一応、調べてみましたが、名前自体が違う場合は正確には今は分かりませんが、乳粥や乳がゆ等の文字で探しても、見つけることができませんでした。

    スジャーター(乳粥のお話での)という名前が見つかりませんでしたので、ネットで検索しました所、wikiにありました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

    > 釈迦は、スジャーターから与えられた乳がゆ(P?y?sa)を食して、ナイランジャナー川に沐浴した。なお、『スッタニパータ』では、スジャーターは、この乳がゆに、滋養素(Oja)を加えていたと記している。

    スッタニパータも一応は調べましたが、この乳がゆに、滋養素(Oja)を加えていたと記している。とのことですが、これも見つけることはできませんでした。

    登場経典としては、いろいろとあると記載されているようですが、大乗の『大般涅槃経』では、釈迦仏が涅槃する直前に最後に供養したチュンダ(純陀)と、釈迦が成道する直前に供養したスジャーターの両者は、ともに価値のある供養を為した人物と定めている。とwikiには記載されていますが、原始の長部16経「大般涅槃経」に鍛冶師の息子チュンダが最後の施食を与えたお話は出てくるのですが、スジャーターの最初の施食とされる乳粥のお話は出てきていないようなのですね。もちろん、この経典にスジャーターのお話も登場しません。

    wikiの出典としては、丸山勇『ブッダの旅』岩波書店〈岩波新書〉と記載がありました。

    ・仏陀は、母親の右脇から誕生した。

    例えば、このことが原始に記載があったとしても、私は、記載があるのだから歴史的な事実だ!とは言わないと思います。ただ、このような記載がありますね。とだけでしょうか。イエスの母の処女懐胎と同じ感じで、脇から生まれたのですか?あっそうですか?でお終いにするだろうお話です。

    ・パーリー文「聖求経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった。

    私の理解のベクトルは、全体として仏陀は何を言ったのか?行ったのか?という事に向かっていましたので、その順番等に特にこだわりはないのですね。こちらも日本語訳で確認しましたが、中道、八支聖道ともに記載はありませんでした。中部経典26経「聖求経」がいつの時期につくられたのか?等は、上記で書きましたが、あまり興味がありません。^^ですので、中道や八支聖道もいつ誕生したのかは、私には分かりません。それらについては、ただ単純に、中道や八支聖道の理解に務めたというだけですので。

    上記は、私の知る原始には記載がありませんが、勝手な想像ですが、仏陀が母親の右脇から生まれたというお話、スジャーターの乳粥のお話というのは、神話創作や逸話としての伝承、中部経典26経「聖求経」の中道や八支聖道のお話は時期的にあり得ないというお話ならば、中村先生が25年以上も以前に研究された原始(聖求経に中道や八支聖道の記載)と、私の参考にしている原始(聖求経に中道や八支聖道の記載なし)が違うという事なのではないでしょうか。。

    結論として、だから原始には矛盾はないのだとは、私は考えていません。何れにしましても遠い昔のお話ですので、実際に仏陀は本当に存在したのか?から疑おうと思えば、歴史の研究者ではない素人の私には疑えそうですが、その世界観に惹かれただけで、それはそれでOKではないでしょうか。パニチェさんは、原始も大乗も含めての良いとこどりで自己探求をされ、私は原始だけで人生の哲学を行えましたので、各人それぞれで良いと思いました。^^

    実は、今回の件(仏経話)について、本日を一応の最終日と決めておりましたので、失礼ながらもご返信を待たずして、これにて一時、仏教関係の投稿を控えたいと思います。有意義な時間をありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■31406 / inTopicNo.6)  時さんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/01(Sat) 08:29:50)
    2023/07/01(Sat) 08:37:51 編集(投稿者)

    時さん、おはようございます。レスありがとうございます。
    先の投稿をもって一時、仏教関係の投稿を控えたいとのことでしたが私の方からは情報交換も含め何点かレスさせていただきます。
    昨日を一応の最終日と決めるとのことでしたので、このレスへのお返信はお気遣いなく。^^

    No31390に返信(時さんの記事)

    > 多分ですが、多くの訳文が出ているようですので、中村元氏が研究されたものと、私が参考にしているものの違いのように思いました。

    以下は(中途半端な私の投稿にすると著作権に抵触してしまう可能性もありますので)引用します。

    『原始仏教の聖典として現存しているものは、パーリ語の聖典と、これに相当する漢訳緒経典(阿含経など)および少数のサンスクリット聖典の断片とがある。釈尊自身はおそらく中インドのマガダ語の一種で説法したと考えられる。マガダというのは、今日のビハル州のあたりである。専門家のうちには、このあたりに行われていた言語を「古代東部インド語」と呼んでいる。それが幾多の変遷を受けて、パーリ語、ガンダーラ語、サンスクリット語などの諸言語で記されるようになったのである。(中村元著「仏教経典散策)よりの引用』

    中村元先生はサンスクリット語、パーリ語、チベット語をマスターしており、英語、ドイツ語、ギリシャ語、フランス語にも精通していたらしく、偉大な功績のひとつとしてパーリ語聖典やサンスクリット語聖典から和訳し、中国経由で日本に伝来しなかった原始仏典を紹介したことです。中村元先生による原始仏典の研究と和訳は(大乗)仏教伝来に寄与した玄奘三蔵が為した偉業に匹敵するほどのものだと私は思います。


    No31402に返信(時さんの記事)
    > 結論として、だから原始には矛盾はないのだとは、私は考えていません。何れにしましても遠い昔のお話ですので、実際に仏陀は本当に存在したのか?から疑おうと思えば、歴史の研究者ではない素人の私には疑えそうですが、その世界観に惹かれただけで、それはそれでOKではないでしょうか。パニチェさんは、原始も大乗も含めての良いとこどりで自己探求をされ、私は原始だけで人生の哲学を行えましたので、各人それぞれで良いと思いました。^^

    それぞれがそれぞれの機根に合った仏典(法門)を選び、それを人生哲学の指針とすればよいという時さんの結論には全く異論はなく同意します。
    ただ少し議論が噛み合ってないと思うところがあります。

    先に投稿した通り、パーリ語で書かれた聖典の成立には幾世紀にわったって逐次成立して拡大されており、古い層もあれば新しい層もあるとのことです。さらに先に引用したように中村元先生は現存するパーリ語の聖典とサンスクリット聖典の断片を元に研究されており、その研究成果としての選集からNo31386を返信しました。

    私自身は時さんのように長部経典、中部経典、相応部経典、増支部経典、小部経典の全ての仏典を読んだわけではないので断言はできませんが、中村元先生によれはスジャータのエピソードは小部(クッダカ・ニーカヤ)の『ジャータカ序』に記されているとのことでした。

    あと私が先に引用したのは大乗仏典と同じく原始仏典にも後の世の創作があるという投稿に対して、時さんの「原始で1つ2つでも創作されされたことが明らかにされた内容と、その仏典研究というものがいかなるものなのかを教えていただければ幸いです」とのレスに対して返信したものであって、原始仏典の矛盾に関する指摘のための引用ではありません。

    上記は念のための投稿です。
    私も有意義なレス交換となり感謝です。ありがとうございました。

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■31414 / inTopicNo.7)  パニチェさんへ
□投稿者/ 田秋 -(2023/07/01(Sat) 18:22:20)
    2023/07/01(Sat) 18:26:02 編集(投稿者)

    こんにちは、パニチェさん

    仏教の哲学性についてパニチェさんのご意見をお聞かせ下さい。

    キリスト教はギリシア哲学と出会い、それを取り込み、教義の理論武装(整備?)には大いに役立ちました。

    一方仏教はウィキペディアのインド哲学の項を見ると
    「インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。」
    とあります。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%93%B2%E5%AD%A6

    僧侶にとって仏教の哲学的思考というのは最初から自然に身についていたのかもしれません。

    パニチェさんは仏教の教義やその展開に哲学的な物をけっこう感じますか?

    時さんにもお尋ねしたかったのですが「終了」ということなので、パニチェさんにお尋ねしてみました。

    もう一歩踏み込んで、ニーチェと仏教がお好きなのは、哲学的な部分で何か共通性(「考え」が似ている、或いは「考え方」が似ているなど)を感じるからですか?
引用返信/返信 削除キー/
■31422 / inTopicNo.8)  田秋さんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/01(Sat) 22:12:26)
    こんばんは、田秋さん。レスありがとうございます。

    No31414に返信(田秋さんの記事)

    > 一方仏教はウィキペディアのインド哲学の項を見ると
    > 「インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。」
    > とあります。
    > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%93%B2%E5%AD%A6
    > 僧侶にとって仏教の哲学的思考というのは最初から自然に身についていたのかもしれません。

    もともと釈尊はバラモン教の教徒です。
    で、バラモン教はヴェーダ(古代インドの宗教文献)を元にしており、その主流派であったヴェーダーンタ学派はヴェーダーンタ哲学とも呼ばれています。
    古代インドから釈尊〜大乗仏教まで共通しているのは存在の本質にかかわるテーマであり、西洋哲学とも共通します。
    但し、私の同級生でヨガのインストラクターに言わせれば「ヴェーダーンタは哲学ではなく信仰だ」と譲りませんが(笑)

    > パニチェさんは仏教の教義やその展開に哲学的な物をけっこう感じますか?

    先にも投稿しましたが仏教は、存在論、認識論、実在論、観念論、一元論、独我論などを扱っていますし、哲学的な主題として、真理、本質、普遍性、言語、観念、行為、世界、空間、現象、人間一般、理性、自由、因果性、正義、善、意識、精神、自我などなどを扱っています。

    > もう一歩踏み込んで、ニーチェと仏教がお好きなのは、哲学的な部分で何か共通性(「考え」が似ている、或いは「考え方」が似ているなど)を感じるからですか?

    今となっては笑い話なんですけど、今から25年程前、私は仏教とニーチェの共通性(親和性)を見出し、秘かにこういうことに注目しているのはひょっとしたら自分だけではないか?と優越感に浸っていた時期がありました。

    ところがどっこい調べれば調べるほど、古くは昭和7年薗田香勲著『ニーチェと佛教』、私が道元禅師との共通性を発見したと思ってたら昭和46年に駒井義昭著『ニーチェと道元』、最近では平成10年に新田章著『ヨーロッパの仏陀』なる本まで出版されおりショックを受けました。

    今から考えれば、私なぞが考えることなんてとうに誰かが見出しているのが当たり前で「ほんま目出度いヤツやなぁ〜」と自嘲していました。

    若き日のニーチェに多大な影響を与えたショーペンハウアーが西洋の仏教徒と名乗っていたことや「盲目的な力」はシャンカラの「マーヤの覆い」が元となっていたこともあり、ニーチェの仏教に対するアフォリズムはキリスト教に対する批判とは異なり好意的かつ親近感を抱いていたようです。

    ちなみにニーチェが読んだと判明している仏教書は、ケッペン著「仏陀の宗教」、英訳本「スッタニパータ」、オルデンベルグ著「仏陀──その生涯、教説、教団」、ヴァッカーナーゲルの論文「バラモンの起源について」との事です。

    あと静養先のシルヴァプラナ湖畔を散策中に巨大な尖った三角岩のほとりで、突然ニーチェに襲来した「永劫回帰」の思想は、その体験談の告白を読むかぎり(仏教的な)見性にかすったような内容であり、正法眼蔵の画餅と共通性があります。

    ニーチェと仏教ならびに道元禅師との親和性は「Panietzsche Room > ニーチェU> 第11章 永劫回帰 2.永劫回帰と有時 & 3.ニーチェと道元や第13章ヨーロッパの龍樹」にまとめました。

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■31427 / inTopicNo.9)  パニチェさんへ
□投稿者/ 田秋 -(2023/07/02(Sun) 01:27:49)
    こんばんは、パニチェさん

    お返事ありがとうございます。

    >の同級生でヨガのインストラクターに言わせれば「ヴェーダーンタは哲学ではなく信仰だ」と譲りませんが(笑)
    同じものを見ても人によって感じ方が違う、というのはそれ自体が奥深いからだと思います。底が浅ければ見方も一通りしかなくなると思います。

    >秘かにこういうことに注目しているのはひょっとしたら自分だけではないか?と優越感に浸っていた時期がありました。
    そういう勘違い、ボクにも西遊記でありました。「この発見で論文が書けるんじゃないか!?」と思ったのが西遊記のイロハのイだった・・・

    古代中国では仏教と道教で論戦をするのですが、道教は全く勝てず、これではいけないと道教は一所懸命仏教の論法や体系を勉強したそうです。
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■31435 / inTopicNo.10)  パニチェさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/07/02(Sun) 13:07:12)
    パニチェさんへ。こんにちは。レスをありがとうございます。

    No31406

    > 先の投稿をもって一時、仏教関係の投稿を控えたいとのことでしたが私の方からは情報交換も含め何点かレスさせていただきます。
    > 昨日を一応の最終日と決めるとのことでしたので、このレスへのお返信はお気遣いなく。^^

    ご丁寧にありがとうございます。m(__)m 蛇足ながら、私の方からも少し書き足しておきたいと思います。

    > 私自身は時さんのように長部経典、中部経典、相応部経典、増支部経典、小部経典の全ての仏典を読んだわけではないので断言はできませんが、中村元先生によれはスジャータのエピソードは小部(クッダカ・ニーカヤ)の『ジャータカ序』に記されているとのことでした。

    情報をありがとうございます。ここの所を正確に記しますと、長部経典、中部経典、相応部経典、増支部経典は一応全て読んでいますが、小部経典だけは有名どころしか読んでいませんので、小部経典13経「ジャータカ」は読んでいませんでした。という事は、仏陀が右脇から生まれたというお話も小部経典の中のまだ読んでない経典に記載があるのかもしれません。内容的に、長部、中部に仏陀の思想的な背景や梵行の意味、方法等の大半が記載されているようですので、あまり小部は重要視していなかったというのが、正直な所です。

    本当に有意義な時間でした。今後もお話が噛み合うには至らないかも知れませんが、また機会がありましたら、これに懲りずに宜しくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■31436 / inTopicNo.11)  田秋さんへ
□投稿者/ 時 -(2023/07/02(Sun) 13:16:59)
    2023/07/02(Sun) 13:19:23 編集(投稿者)

    田秋さんへ。こんにちは。パニチェさんへのレスを書ていましたところ、田秋さんの投稿を拝見しました。

    No31414

    > 時さんにもお尋ねしたかったのですが「終了」ということなので、

    すみません、多少疲れていました(笑)私の場合には、東洋の思考形式?が頭の構造的にあっているようで、何を言っているのかが割と理解できるように感じています。

    東洋では西洋のような論理形式ではありませんで、その道理として理解を促す形態が割とあるように感じています。西洋では三段論法があると思いますが、東洋では五支論証法と言ったでしょうか?遠い昔に少し見ただけの記憶ですが、あったように思います。。

    五支論証法は、提案・理由・喩例・適用・結論の五つの支分から成立する論証法のようですが、、あまり細かく正確には理解していませんが、、^^

    (提案) 音は無常である
    (理由) 生起するものであるから
    (喩例) 生起するものであるトランペットの実体は無常である
    (適用) 同じく音も生起するものである
    (結論) ゆえに、生起するものであるから、音は無常である

    このような論法だったように思いいます。邪魔くさそうですね(笑)しかし本当にインド等でこのような五支論証法を学ぶのかというと、、、どうなのでしょうか。分かりません。細かく意識したことはありませんが、確かに仏典を読んでいますと、回りくどく、同じようなフレーズが続くのは常のようですね。理論武装というよりも、主張する内容の道理を導く一つの方法として用いられているのでしょうか。あまり意識したことがありませんので、よくわかりません。

    哲学についてですが、私は哲学を「何だろう?何故だろう?から始まり、そういう事か!で終わるもの」と単純に思っています。哲学とは知を愛することだとか、それを考えるのも哲学ですとかではなくてです。ですので私の身の回りで起こる事柄で「ん?なぜだろう?」という疑問が生じれば、その時点で私の人生哲学が無意識にでも始まり「なるほど、そういう事か!」と納得できればその哲学は終わります。それの繰り返しですかね。

    私は、仏教を信仰だとも哲学だとも感じておりませんで、誰の視点で見ているのかだと思っています。例えば、仏陀が実際に存在したものだとして、仏典の内容が本当だったとしたらという事で考えますと、仏陀の視点ではその内容は事実、真実という真理でしょう。しかし他の人からの視点でその教えを見聞きした場合、ん?仏陀はなぜこう言ったのか?何を説いているのか?を考察中には、その人にとっては仏教哲学(何故だろう?何だろう?)になり、彼は仏陀で彼が言うのだから信用するんだと思い込んでいる人には、それは信仰と呼べるのではないでしょうか。ここで真理、哲学、信仰の3つに分かれるように思いますが、、、どのように思われるでしょうか?

    仏陀自身も、有名な四門出遊のお話で、城から出て初めて病に苦しむ人や死にゆく人をみて、結果的に出家に至ったのだろうと思います。そして生とはなんだろう?死とは何だろう?これらの苦しみから解放される方法は?と考え続けたのではないでしょうか。もしもそうであれば、その当時、仏陀にとっての「何だろう?何故だろう?」ですので、私の分け方では哲学となり、それを経て悟りを開いた瞬間に、それは事実、真実、真理となったのだとも思えます。

    このような感じに思いました。
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■31438 / inTopicNo.12)  時さんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/02(Sun) 14:08:09)
    こんにちは、時さん。レスありがとうございます。

    No31435に返信(時さんの記事)

    > 情報をありがとうございます。ここの所を正確に記しますと、長部経典、中部経典、相応部経典、増支部経典は一応全て読んでいますが、小部経典だけは有名どころしか読んでいませんので、小部経典13経「ジャータカ」は読んでいませんでした。という事は、仏陀が右脇から生まれたというお話も小部経典の中のまだ読んでない経典に記載があるのかもしれません。内容的に、長部、中部に仏陀の思想的な背景や梵行の意味、方法等の大半が記載されているようですので、あまり小部は重要視していなかったというのが、正直な所です。

    了解しました。

    > 本当に有意義な時間でした。今後もお話が噛み合うには至らないかも知れませんが、また機会がありましたら、これに懲りずに宜しくお願いします。

    私も有意義なレス交換ができて感謝です。
    懲りるなんてとんでもないです。^^

    今は少しお疲れとのことですので、またタイミングがよい時に中村元先生が訳されたスッタニパータの「空」についての一文と、原始佛典での非我あるいは無我関連でお聞きしたいことがありますので、こちらこそ今後ともよろしくお願いします。
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