□投稿者/ パニチェ -(2023/06/29(Thu) 21:14:56)
| 2023/06/29(Thu) 21:40:49 編集(投稿者)
時さん、こんばんは。レスありがとうございます。
■No31364に返信(時さんの記事)
> 後学のために、原始で1つ2つでも創作されされたことが明らかにされた内容と、その仏典研究というものがいかなるものなのかを教えていただければ幸いです。
たくさんありますが四つほど紹介しておきます。 ・釈尊はマーヤー夫人の右脇から生まれたという記述。 ・苦行を捨てるきっかけとなったスジャーターからミルク粥の供養を受けたという物語(1.仏伝以外の経典には、彼女があげられていない。2.他の仏典では異なったすがたで述べれれている)。 ・初転法輪とされる中道や八正道は後に付加された。(パーリー文「聖求経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった) ・神通力に関する記述(マウリア王朝時代に釈尊の神格化がすすみ釈尊は神通の神変を現ずる記述があらわれるようになる)
上記の出自は『中村元選集第11巻&12巻 ゴータマ・ブッタT&U』です。
> はい。少し意見が合わないかもしれませんね。^^と言いたい所ですが、偏った見解を私は持ちたくないと思ってはいますが、なんせ学び初めの時のイメージが良くなかったという事で、なにがしかの認知バイアスがかかってしまっているのかもしれませんね。ただ、今回いろいろとお話にお付き合いしていただいて、その可能性にでも気づけたのであれば大きな収穫です。
ありがとうございます。そう言っていただければ助かります。
> ちなみにですが、原始の中部経典にあるのですが、生後間もない菩薩は、立ち上がり七歩あゆみます。そして、雄牛のごとくに語を発します。なんていうお話は、作り話だろうなぁと思っています。通常は、生まれたての幼児が立ち上がって歩いて言葉を発しませんから。私の解釈でもこの辺りのお話は、ナンセンスだという判断で流していますが。もちろん、その他にもあったように思います。
ここも少し私の意見を述べさせてもらいます。 より古い仏典(マハーヴァストゥ)では『釈尊は生まれたばかりで地上を七歩もあるいた。それぞれの方角を見そなわして、大きな笑い声を発した』とあるらしいので「天上天下唯我独尊」のエピソードは後の書き足し(創作)であるとは思います、但し私はこの付け加えられたエピソードは無意味であるとは考えていません。 「天上天下唯我独尊」の“我”とは自他の境界を超越した人間全体、「自」のことであり、釈尊と同じく言語と論理を有して生まれた人間への賛歌だと解釈しています。
> 何かこう、お話した医者にしてもこの僧侶にしても、割との高確率で出会いガチャで外れる運命なのかもしれません(笑)
たまたまだと思います。^^ 今、再ブレークしている台詞「はいてますよ!」ならぬ「説いてますよ!」と突っ込みたいですね。 愛ある言葉(愛という語を含む仏語)は釈尊も説いてますよ!但し、煩悩がらみの説法で、って(笑)
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