| 2023/06/30(Fri) 11:18:44 編集(投稿者)
パニチェさんへ。こんばんは。ご返信をありがとうございます。
> たくさんありますが四つほど投稿しておきます。 > ・釈尊はマーヤー夫人の右脇から生まれたという記述。 > ・苦行を捨てるきっかけとなったスジャーターからルク粥の供養を受けたという物語(1.仏伝以外の経典には、彼女があげられていない。2.他の仏典では異なったすがたで述べれれている)。 > ・初転法輪とされる中道や八正道は後に付加された。(パーリー文「聖求経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった) > ・神通力に関する記述(マウリア王朝時代に釈尊の神格化がすすみ釈尊は神通の神変を現ずる記述があらわれるようになる) > > 上記の出自は『中村元選集第11巻&12巻 ゴータマ・ブッタT&U』です。
ありがとうございます。ご面倒なことをお願いして申し訳ありませんでした。なるほど、知らない事ばかりでした。それもそのはずで、右脇から生まれた、スジャータ名の登場(有名なミルクの逸話)、中部経典26経「聖求経」の内容での中道や八支聖道の記述は、私の見ている原始仏典に記載がないようです。なくて良いのですよね?神通力のお話は、ある方のとのお約束で語れませんが、ご容赦ください。ですので、問題はなさそうですね。。。
多分ですが、多くの訳文が出ているようですので、中村元氏が研究されたものと、私が参考にしているものの違いのように思いました。
> ここも少し私の意見を述べさせてもらいます。 > より古い仏典(マハーヴァストゥ)では『釈尊は生まれたばかりで地上を七歩もあるいた。それぞれの方角を見そなわして、大きな笑い声を発した』とあるらしいので「天上天下唯我独尊」のエピソードは後の創作であるとは思います、但し私はこの付け加えられたエピソードは無意味であるとは考えていません。 > 「天上天下唯我独尊」の“我”とは自他の境界を超越した人間全体、「自」のことであり、釈尊と同じく言語と論理を有して生まれた人間への賛歌だと解釈しています。
パニチェさんのご認識は、了解しました。
> たまたまだと思います。^^ > 今、再ブレークしている台詞「はいてますよ!」ならぬ「説いてますよ!」と突っ込みたいですね。 > 愛ある言葉(愛という語を含む仏語)は釈尊も説いてますよ!但し、煩悩がらみの説法で、って(笑)
うーん、、偶然ですかね?(笑)アングリマーラが石をぶつけられて血まみれになりながらも、その業の異熟により数千年を地獄で苦しめられるべきところの業の果報を今世で経験しているのですから耐えなさいよと、仏陀が言ったというお話を思い出したのですが、、、(笑)私は何かしたのかしら?考えすぎでしょうね?(笑)
大変、学びの多い一時でした。では今回も、お付き合いをありがとうございました。m(__)m
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