| 2022/06/21(Tue) 17:24:01 編集(投稿者) 2022/06/21(Tue) 15:26:32 編集(投稿者)
平泉で芭蕉が「夏草」の季語を入れて詠んだのは、実際に生い茂った夏草を観ての偶然とも言えることだったのか、それとも、藤原氏が滅亡に至った時期ももしかしたら夏の時期だったのだろうか、と気になり調べてしまいました。
栄華が滅んでしまって今は夏草だけが茂っている、という意味が、この句の本来の意味だと思うのですが、なんとなく気になりました。
平泉 衣川の戦いで源義経が自害に追い込まれたのは、1189年、旧暦年4月30日。 新暦だと6月15日。
松尾芭蕉が平泉を訪問したのは、1689年、旧暦5月13日。 新暦だと6月29日。
二週間の差があるけれど、梅雨に入るか入ったかぐらいのちょうど今頃の時期に、衣川の戦いがあり、芭蕉は平泉を訪れていたのですね。 気温が高くなり、雨もよく降り、草がよく伸び始める時期。
芭蕉がもし、時代は違っても季節の時期的に近いことを知っていたなら、生い茂る夏草を見る芭蕉の感慨もひとしおだったのだろうと想像します。
義経の死と、その後の奥州藤原氏の滅亡。。 無常です。
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