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■26658 / inTopicNo.13)  Re[76]: あるでもなくないでもなく
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/09/23(Fri) 19:33:25)
    No26655
    みのりさま、ありがとございます。
引用返信/返信 削除キー/
■26656 / inTopicNo.14)  ゴウさん&アサヒさん
□投稿者/ パニチェ -(2022/09/23(Fri) 19:19:40)
    横レス御免!

    No26627に返信(みのりさんの記事)
    > ヤフーでゴウさんという方が、自由意志は幻想かもしれないという話を昔されていて、そのとき私はそれを到底受け入れられなかった。
    > それから自分なりに探求っぽいことをして、一つ前に書いた見解に落ちついた。
    > というのを思い出した。

    修法中の事故でasahi838383師が遷化されたことを旧Yahoo!掲示板のニーチェトピまで知らせに来てくれたgouichi10201020師。

    そのgouichi10201020師も同じく修法中の事故で意識不明になられたとのこと。
    今、どういう状態なのかなぁ〜。

引用返信/返信 削除キー/
■26655 / inTopicNo.15)  Re[76]: あるでもなくないでもなく
□投稿者/ みのり -(2022/09/23(Fri) 19:05:00)
    悪魔ちゃん、こんばんはー。

    辞書じゃなく思いついたので書きますね。

    自由とは。。他からの干渉がない状態、様子。
引用返信/返信 削除キー/
■26651 / inTopicNo.16)  Re[75]: あるでもなくないでもなく
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/09/23(Fri) 17:32:48)
    ちょっと聞いていいかな〜?

    みのりさまの言う「自由」ってどんな感じの?
引用返信/返信 削除キー/
■26627 / inTopicNo.17)  Re[74]: あるでもなくないでもなく
□投稿者/ みのり -(2022/09/23(Fri) 17:15:43)
    ヤフーでゴウさんという方が、自由意志は幻想かもしれないという話を昔されていて、そのとき私はそれを到底受け入れられなかった。
    それから自分なりに探求っぽいことをして、一つ前に書いた見解に落ちついた。
    というのを思い出した。
引用返信/返信 削除キー/
■26623 / inTopicNo.18)  あるでもなくないでもなく
□投稿者/ みのり -(2022/09/23(Fri) 14:42:07)
    個別の人間が脳内無意識下で決定されたものを自覚しつついろんな行動をしている。
    この状況についてを自由意志のなさの根拠としているのが受動意識仮説になると思う。
    この説について私は、こうした根拠からならば別に自由意志はある、なぜなら個人とされる人間の脳内無意識において知らずのうちに決定されてはいるのだから…。
    これについては実験を通さなくても簡単な瞑想的観察をすれば実感できるものとは思う。

    私が自由意志は実はないんだなと感じる根拠は、世界のすべては分離がなく本来分けられないものだからということ。
    しかし、個別の人間が存在するというとき、自由意志も存在すると言って何の問題もないとき思う。

引用返信/返信 削除キー/
■26592 / inTopicNo.19)  ふくろうさんへ
□投稿者/ みのり -(2022/09/22(Thu) 08:15:21)
    ふくろうさん、レスありがとうございます。


    >> だとすると、永井さんのほうは「経験的自我」を『論考』の「独我論的自我」とみなしているということなのかな。
    >> 今、純理トピまで行き、「経験的自我」という正式表現を見つけ出してきました。
    >> こっちがそれなら永井さんの説ということなのかな、と。
    >> それともそういうことではない?

    >まあ間違いじゃないんですが、もう少し正確に言うと、
    永井は『ウィトゲンシュタイン入門』で、「一般的自我の独我論」だと言っています。
    >問題は、この「一般的」を、形式的一般性として解釈するか、
    経験的一般性として解釈するかで、全然意味が異なるんですが、
    >それをどう解釈しているか本人の意図としてはいずれにせよ、
    結果としては「経験的一般的自我」として解釈してしまっているんです。
    私の理解では^^

    う〜ん。。わかりません。せっかく説明頂いたのにすみません。
    永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門』は読もうとしたのですが難しすぎて無理でした。
    ですのでここ、スルーいただいてだいじょうぶです。


    >私の解釈は基本的に私自身が考えたものなので、全く一致する人がいるかどうかはわかりません。
    >超越論的主観=独我論的自己
    と解釈している人がいるかどうかはちょっと忘れたのですが、
    日本でも、何人かの近い解釈の哲学者はいます。

    そうなんですね。


    >いえ、私の言うことはわかりにくいでしょうに、読んでくださってありがとうございます。

    古田徹也さんという方の『論考』の入門的な本を読み、「一」からの解説について理解できたと思うところを投稿する、というのを春頃にしてたんです。
    暑くなりやる気なくしてやめたんですが、また読みだそうかと考えてたんです。
    今後は、読み進めるすべてについてではなく、おもしろいと感じた点、解りそうで解らない点などを書いて行くスタイルで投稿しようかな、と考えていたところでした。
    そんな状態に私はいます。

    やりとりしていただいてありがとうございました。^^

引用返信/返信 削除キー/
■26566 / inTopicNo.20)  みのりさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/09/21(Wed) 17:14:56)
    みのりさん、こんにちは。


    No26564に返信(みのりさんの記事)
    > ■No26557に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>みのりさん、こんにちは。
    >>ちょっと、言い忘れていたことの補足です。
    >>
    >>■No26553に返信(みのりさんの記事)
    > >>(記憶に残すためにこちらにも仮保存させていただく。)
    > >>
    > >>
    > >>
    > >>■No26536に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>
    >>>>■No26526に返信(みのりさんの記事)
    > >>>>↑ でいいんですよね。
    > >>>>なんだか気になりだしたら気になるので。
    > >>>>pipitさん、ふくろうさん、割り込みしてすみません。
    > >>>>
    > >>>>
    > >>>>超越論的主観(読み)ちょうえつろんてきしゅかん
    > >>>>世界大百科事典内の超越論的主観の言及
    > >>>>【認識論】より
    > >>>>…しかし当時の数学やニュートン力学の根底になっている原理的な知識とその諸条件を析出し,それらによって〈可能なる経験〉の基本構造を再構成することを理論的作業の中心とした点では,カントは近世合理主義の継承者でもあった。 カント認識論の立場は超越論的観念論あるいは超越論的主観主義と呼ばれている。彼の考えかたでは,科学的認識の対象である自然の基本構造は主観の形式によって,すなわち感性や悟性の形式(時間・空間,カテゴリーなど)によって決定されているが,この主観は個人的・経験的な意識主体ではなく,経験的自我の根底に向かう哲学的反省によってはじめて明らかになる意識の本質構造であり,意識一般とも呼ぶべき超越論的主観transzendentales Subjektである。…
    > >>>>
    > >>>>
    > >>>>さすがに、ここでの「私」=「神」はないだろうと思い、私の投稿一つ削除させていただきますね。
    > >>>>夜中に目覚めてふとスマホで見て、ここでの「私」は「え? 神?」と思ったのですけど・・
    > >>>
    >>>>>超越論的主観=超越論的自我
    > >>>
    >>>>で、いいです。さらに
    >>>>=純粋自我=意識一般(一般的意識)
    >>>>でもいいですし、
    >>>>『論考』で言えば、
    >>>>=哲学的自我=独我論的私
    >>>>ってことになります。
    >>>>ただ、これがカントとウィトゲンシュタインでは、ビミョーかつ重要なところで違うからややこしいんですよ。
    >>
    >>
    >>まあ、言うまでもないことなのかもしれませんが、以上は、あくまでふくろう個人の見解です。
    >>
    >>特に、『論考』の独我論的自己を超越論的主観とみなす解釈は、
    >>長らく日本においてウィトゲンシュタインの独我論研究の第一人者とされてきた永井均が、否定している見解です。
    >>このあたり、ご注意くださるようお願いします。
    >
    > ふくろうさん、こんにちは。
    >
    > だとすると、永井さんのほうは「経験的自我」を『論考』の「独我論的自我」とみなしているということなのかな。
    > 今、純理トピまで行き、「経験的自我」という正式表現を見つけ出してきました。
    > こっちがそれなら永井さんの説ということなのかな、と。
    > それともそういうことではない?

    まあ間違いじゃないんですが、もう少し正確に言うと、
    永井は『ウィトゲンシュタイン入門』で、「一般的自我の独我論」だと言っています。
    問題は、この「一般的」を、形式的一般性として解釈するか、
    経験的一般性として解釈するかで、全然意味が異なるんですが、
    それをどう解釈しているか本人の意図としてはいずれにせよ、
    結果としては「経験的一般的自我」として解釈してしまっているんです。
    私の理解では^^

    >
    > >『論考』で言えば、
    >>=哲学的自我=独我論的私
    >>ってことになります。
    >
    > =超越論的主観ですね。(ここ、説明いただいた分になりますね。)
    > こちら(ふくろうさん説ですね)を取る研究者の方もいらっしゃるのでしょうね。
    >
    >
    私の解釈は基本的に私自身が考えたものなので、全く一致する人がいるかどうかはわかりません。
    超越論的主観=独我論的自己
    と解釈している人がいるかどうかはちょっと忘れたのですが、
    日本でも、何人かの近い解釈の哲学者はいます。

    > 私の書いたこと、もし意味不明でしたらスルーしてくださいね。
    >

    いえ、私の言うことはわかりにくいでしょうに、読んでくださってありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■26564 / inTopicNo.21)  ふくろうさんへ
□投稿者/ みのり -(2022/09/21(Wed) 16:11:43)
    No26557に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > みのりさん、こんにちは。
    > ちょっと、言い忘れていたことの補足です。
    >
    > ■No26553に返信(みのりさんの記事)
    >>(記憶に残すためにこちらにも仮保存させていただく。)
    >>
    >>
    >>
    >>■No26536に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>
    > >>■No26526に返信(みのりさんの記事)
    >>>>↑ でいいんですよね。
    >>>>なんだか気になりだしたら気になるので。
    >>>>pipitさん、ふくろうさん、割り込みしてすみません。
    >>>>
    >>>>
    >>>>超越論的主観(読み)ちょうえつろんてきしゅかん
    >>>>世界大百科事典内の超越論的主観の言及
    >>>>【認識論】より
    >>>>…しかし当時の数学やニュートン力学の根底になっている原理的な知識とその諸条件を析出し,それらによって〈可能なる経験〉の基本構造を再構成することを理論的作業の中心とした点では,カントは近世合理主義の継承者でもあった。 カント認識論の立場は超越論的観念論あるいは超越論的主観主義と呼ばれている。彼の考えかたでは,科学的認識の対象である自然の基本構造は主観の形式によって,すなわち感性や悟性の形式(時間・空間,カテゴリーなど)によって決定されているが,この主観は個人的・経験的な意識主体ではなく,経験的自我の根底に向かう哲学的反省によってはじめて明らかになる意識の本質構造であり,意識一般とも呼ぶべき超越論的主観transzendentales Subjektである。…
    >>>>
    >>>>
    >>>>さすがに、ここでの「私」=「神」はないだろうと思い、私の投稿一つ削除させていただきますね。
    >>>>夜中に目覚めてふとスマホで見て、ここでの「私」は「え? 神?」と思ったのですけど・・
    >>>
    > >>>超越論的主観=超越論的自我
    >>>
    > >>で、いいです。さらに
    > >>=純粋自我=意識一般(一般的意識)
    > >>でもいいですし、
    > >>『論考』で言えば、
    > >>=哲学的自我=独我論的私
    > >>ってことになります。
    > >>ただ、これがカントとウィトゲンシュタインでは、ビミョーかつ重要なところで違うからややこしいんですよ。
    >
    >
    > まあ、言うまでもないことなのかもしれませんが、以上は、あくまでふくろう個人の見解です。
    >
    > 特に、『論考』の独我論的自己を超越論的主観とみなす解釈は、
    > 長らく日本においてウィトゲンシュタインの独我論研究の第一人者とされてきた永井均が、否定している見解です。
    > このあたり、ご注意くださるようお願いします。

    ふくろうさん、こんにちは。

    だとすると、永井さんのほうは「経験的自我」を『論考』の「独我論的自我」とみなしているということなのかな。
    今、純理トピまで行き、「経験的自我」という正式表現を見つけ出してきました。
    こっちがそれなら永井さんの説ということなのかな、と。
    それともそういうことではない?

    >『論考』で言えば、
    > =哲学的自我=独我論的私
    > ってことになります。

    =超越論的主観ですね。(ここ、説明いただいた分になりますね。)
    こちら(ふくろうさん説ですね)を取る研究者の方もいらっしゃるのでしょうね。


    私の書いたこと、もし意味不明でしたらスルーしてくださいね。

引用返信/返信 削除キー/
■26557 / inTopicNo.22)  みのりさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/09/21(Wed) 11:54:40)
    みのりさん、こんにちは。
    ちょっと、言い忘れていたことの補足です。

    No26553に返信(みのりさんの記事)
    > (記憶に残すためにこちらにも仮保存させていただく。)
    >
    >
    >
    > ■No26536に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >
    >>■No26526に返信(みのりさんの記事)
    > >>↑ でいいんですよね。
    > >>なんだか気になりだしたら気になるので。
    > >>pipitさん、ふくろうさん、割り込みしてすみません。
    > >>
    > >>
    > >>超越論的主観(読み)ちょうえつろんてきしゅかん
    > >>世界大百科事典内の超越論的主観の言及
    > >>【認識論】より
    > >>…しかし当時の数学やニュートン力学の根底になっている原理的な知識とその諸条件を析出し,それらによって〈可能なる経験〉の基本構造を再構成することを理論的作業の中心とした点では,カントは近世合理主義の継承者でもあった。 カント認識論の立場は超越論的観念論あるいは超越論的主観主義と呼ばれている。彼の考えかたでは,科学的認識の対象である自然の基本構造は主観の形式によって,すなわち感性や悟性の形式(時間・空間,カテゴリーなど)によって決定されているが,この主観は個人的・経験的な意識主体ではなく,経験的自我の根底に向かう哲学的反省によってはじめて明らかになる意識の本質構造であり,意識一般とも呼ぶべき超越論的主観transzendentales Subjektである。…
    > >>
    > >>
    > >>さすがに、ここでの「私」=「神」はないだろうと思い、私の投稿一つ削除させていただきますね。
    > >>夜中に目覚めてふとスマホで見て、ここでの「私」は「え? 神?」と思ったのですけど・・
    > >
    >>>超越論的主観=超越論的自我
    > >
    >>で、いいです。さらに
    >>=純粋自我=意識一般(一般的意識)
    >>でもいいですし、
    >>『論考』で言えば、
    >>=哲学的自我=独我論的私
    >>ってことになります。
    >>ただ、これがカントとウィトゲンシュタインでは、ビミョーかつ重要なところで違うからややこしいんですよ。


    まあ、言うまでもないことなのかもしれませんが、以上は、あくまでふくろう個人の見解です。

    特に、『論考』の独我論的自己を超越論的主観とみなす解釈は、
    長らく日本においてウィトゲンシュタインの独我論研究の第一人者とされてきた永井均が、否定している見解です。
    このあたり、ご注意くださるようお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■26554 / inTopicNo.23)  pipitさんへ
□投稿者/ みのり -(2022/09/21(Wed) 07:59:19)
    pipitさん、わざわざすみません。
     ありがとうございました。^^
引用返信/返信 削除キー/
■26553 / inTopicNo.24)  仮保存させてもらおう。
□投稿者/ みのり -(2022/09/21(Wed) 07:57:45)
    (記憶に残すためにこちらにも仮保存させていただく。)



    No26536に返信(ザビビのふくろうさんの記事)

    > ■No26526に返信(みのりさんの記事)
    >>↑ でいいんですよね。
    >>なんだか気になりだしたら気になるので。
    >>pipitさん、ふくろうさん、割り込みしてすみません。
    >>
    >>
    >>超越論的主観(読み)ちょうえつろんてきしゅかん
    >>世界大百科事典内の超越論的主観の言及
    >>【認識論】より
    >>…しかし当時の数学やニュートン力学の根底になっている原理的な知識とその諸条件を析出し,それらによって〈可能なる経験〉の基本構造を再構成することを理論的作業の中心とした点では,カントは近世合理主義の継承者でもあった。 カント認識論の立場は超越論的観念論あるいは超越論的主観主義と呼ばれている。彼の考えかたでは,科学的認識の対象である自然の基本構造は主観の形式によって,すなわち感性や悟性の形式(時間・空間,カテゴリーなど)によって決定されているが,この主観は個人的・経験的な意識主体ではなく,経験的自我の根底に向かう哲学的反省によってはじめて明らかになる意識の本質構造であり,意識一般とも呼ぶべき超越論的主観transzendentales Subjektである。…
    >>
    >>
    >>さすがに、ここでの「私」=「神」はないだろうと思い、私の投稿一つ削除させていただきますね。
    >>夜中に目覚めてふとスマホで見て、ここでの「私」は「え? 神?」と思ったのですけど・・
    >
    > >超越論的主観=超越論的自我
    >
    > で、いいです。さらに
    > =純粋自我=意識一般(一般的意識)
    > でもいいですし、
    > 『論考』で言えば、
    > =哲学的自我=独我論的私
    > ってことになります。
    > ただ、これがカントとウィトゲンシュタインでは、ビミョーかつ重要なところで違うからややこしいんですよ。
引用返信/返信 削除キー/

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