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超越論的な根拠づけへの移行 3.4
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□投稿者/ pipit -(2022/02/24(Thu) 22:10:06)
| みなさまこんばんは (^○^) -------------------------------- 読んでる場所の参考★中山元先生の段落タイトルリスト参照
第一四項 カテゴリーから超越論的な根拠づけへの移行 1.対象を認識するための条件137 2.超越論的な根拠づけの原理138 3.イギリス経験論の問題点139★ 4.本書の課題 140★ 5.判断表の概念とカテゴリー表の概念の違い――実体の概念を例として141
※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照
https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf
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3.イギリス経験論の問題点139★ 該当部分英訳(Translator: J. M. D. Meiklejohn)から抜粋引用
省略 m(_ _)m
※機械翻訳アプリDeepL翻訳 しかし、この二人の哲学者が経験的に導き出した概念は、我々が純粋数学や一般物理学といった科学的なアプリオリな認識を持っているという事実と調和することはあり得ないのである。
(pipit注) 二人とは、ロックとヒュームのことです。 カント的には純粋数学や一般自然科学はアプリオリな認識が得られているのが事実、と判断してるんですね。(賛否両論?)
次の段落です↓
4.本書の課題 140★ 該当部分英訳(Translator: J. M. D. Meiklejohn)
省略 m(_ _)m
DeepL機械翻訳 この二人の著名な人物のうち前者は、贅沢への扉を大きく開いた-(理性がいったん疑いなく正しいことを味方につけたなら、曖昧な節制の勧告によって自らを一定の限界に閉じ込めることは許されないからだ)、後者は完全に懐疑に身を委ねた-認識能力が信頼できないことを発見したと考えた以上、当然の結果である。我々は今、理性をこの二つの岩の間に安全に導き、理性に明確な限界を与え、しかも理性の正当な活動の全領域を開放しておくことができないか、試してみるつもりである。
(pipit雑感) 前者はロック、後者はヒューム、です。 ロックの部分はpipitには、カントが何を言っているのかわかりませんが、ヒュームは懐疑論に陥った、と言ってるみたいです。 自分(カント)は、
> 我々は今、理性をこの二つの岩の間に安全に導き、理性に明確な限界を与え、しかも理性の正当な活動の全領域を開放しておくことができないか、試してみるつもりである。<
とのこと。 o(・x・)/ カントせんせい、ふぁいとー
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