| パニさん、こんばんは。
レスありがとうございます。
>P120にありました。<
あ、すいません、ごめんなさい。
>いいところに注目されますね。<
独我論の(わたし)でも、先言の(わたし)でもそうでしょうが、オブジェクトの「私」、つまり言語化されると同時に、位相が変容される形式があると思います。
サブジェクトの「私」は、言語化するのですが、自己省察の中においてです。
☆ヤフー時代、つばめさんと私で、「客観は存在するか。全ては主観ではないのか。」と話し合ったことがあります。
全ては主観とするつばめさんが優勢で、それに反する(間主観の存在を認める)私が明らかに劣勢だったのですが、今は降伏して、つばめさんに同意しています。
この立場からすると、「論考」は相対化され、時には否定されます。
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