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■18622 / inTopicNo.61)  Re[37]: 嘘
  
□投稿者/ みのり -(2021/11/10(Wed) 08:08:41)
    No18617に返信(pipitさんの記事)
    > みのりさん、みなさま、おはようございます♪
    >
    > ふと。
    >
    > 守りたいものがあるとき、自他に対して、嘘をつく可能性が出てくるかもと、思いました。
    >
    > 自己イメージを守りたいと、知らないうちに?自分にも嘘ついたりね。
    >
    > そう言えば、学生時代の日記に『日記は、書いた時点で嘘になる。』って書いてたなぁ。
    >
    > 嘘、ウソ・キョ、も考えると難しいね、本当があって嘘がある。では、本当って?
    > 現象学になるのかな?(ただの想像)

    pipitさん、おはようございます。

    > 守りたいものがあるとき、自他に対して、嘘をつく可能性が出てくるかもと、思いました。
    >
    > 自己イメージを守りたいと、知らないうちに?自分にも嘘ついたりね。

    こういうのはあるでしょうね。

    ほんとは、そういうことしてると逆に苦しくなってしまうと思うんだけど・・・
    そうせざるを得ないような時というのは、誰でも生きている中であるようにも思いますね〜。
引用返信/返信 削除キー/
■18621 / inTopicNo.62)  (削除)
□投稿者/ -(2021/11/10(Wed) 08:04:35)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信/返信 削除キー/
■18619 / inTopicNo.63)  自己愛
□投稿者/ pipit -(2021/11/10(Wed) 07:23:57)
    自己愛に関連して、仏教の経典思い出してたんですよね。

    私的にはおもしろいんですよー。以下途中までは、正確なものではなく記憶で書きますね。

    王様が愛妻に、
    「君は誰が一番好き?(もちろんボクだよねー)」
    と聞くと、王妃は
    「私は私が一番好きです。」
    と答えるんです。
    ムムっとした?王様に王妃は
    「では、王様は誰が一番好きですか?」
    と聞くと
    「そうだなー、わたしもわたしが一番好きだなー」
    と。

    めちゃおもしろく感じます。

    後日王様がそのことをお釈迦さまにお話しすると、
    お釈迦さまが詩を唱えられるのですが、(詩は中村元先生の訳本から引用させていただきます。)
    『どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない』(中村元先生訳、岩波文庫『ブッダ神々との対話サンユッタ・ニカーヤT』p170)

    で、
    みのりさんが健全な自己愛という言葉を書かれていて、その言葉からこの詩を勝手に連想していました。

引用返信/返信 削除キー/
■18617 / inTopicNo.64)  
□投稿者/ pipit -(2021/11/10(Wed) 06:59:41)
    みのりさん、みなさま、おはようございます♪

    ふと。

    守りたいものがあるとき、自他に対して、嘘をつく可能性が出てくるかもと、思いました。

    自己イメージを守りたいと、知らないうちに?自分にも嘘ついたりね。

    そう言えば、学生時代の日記に『日記は、書いた時点で嘘になる。』って書いてたなぁ。

    嘘、ウソ・キョ、も考えると難しいね、本当があって嘘がある。では、本当って?
    現象学になるのかな?(ただの想像)





引用返信/返信 削除キー/
■18615 / inTopicNo.65)  Re[35]: Z 第一部 説話[16]
□投稿者/ おくたがわ -(2021/11/10(Wed) 00:17:17)
    2021/11/10(Wed) 08:52:02 編集(投稿者)
    2021/11/10(Wed) 00:25:44 編集(投稿者)

    No18609に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    こんばんは。よこからすみません。
    私はどちらもイヤです。嘘は他人の人生を狂わせることすらあるから。

    ただ、ニーチェが言っている「嘘」は、他人についての嘘ではなく本人についての嘘のようですね。
    訳者(吉沢伝三郎)の注を引用します。
    ******
    「自分の無知に反して話す」
    :この場合の「無知」はとりわけ、自分自身を知らないこと。自分自身を知らないのに「自分のことを話す」とすれば、それは「自分の無知に反して話す」ことになる。無自覚な者が、いかにも自覚を持っているかのように話すことは、ある根本的な虚偽である。
    ******

    「無自覚な者が、いかにも自覚を持っているかのように話す」
    に対する嫌悪感をニーチェが言っているのなら、それはそれで分かるわ。


    > お邪魔しま〜す。
    >
    > ちょっと気になったところがあったので、
    >
    > >ニーチェの遺稿に、「私はそれと知りながら嘘をつく者たちよりも、君たち無意識の嘘つきのほうがずっといやでたまらない。」とあるそうです。<
    > っていうところ。
    >
    > わたしの逆。
    > 無意識の嘘つきよりも、それと知りながら嘘をつく者たち、こっちのほうがわたしいやでたまらない。
    >
    > どうしてわたしがニーチェのに嫌悪感を抱いていたのひとつが少しわかった感じ。
    > ありがと、みのりさま。

引用返信/返信 削除キー/
■18609 / inTopicNo.66)  Re[34]: Z 第一部 説話[16]
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/09(Tue) 20:09:10)
    お邪魔しま〜す。

    ちょっと気になったところがあったので、

    >ニーチェの遺稿に、「私はそれと知りながら嘘をつく者たちよりも、君たち無意識の嘘つきのほうがずっといやでたまらない。」とあるそうです。<
    っていうところ。

    わたしの逆。
    無意識の嘘つきよりも、それと知りながら嘘をつく者たち、こっちのほうがわたしいやでたまらない。

    どうしてわたしがニーチェのに嫌悪感を抱いていたのひとつが少しわかった感じ。
    ありがと、みのりさま。


引用返信/返信 削除キー/
■18592 / inTopicNo.67)  Z 第一部 説話[16]
□投稿者/ みのり -(2021/11/09(Tue) 09:30:52)
    2021/11/09(Tue) 09:49:13 編集(投稿者)

    [16] 隣人愛について

    ・・・・・
    10 自分の知に反して話す者だけが、嘘つきなのではなくて、自分の無知に反して
      話す者こそが、いっそう嘘つきなのだ。
      ところできみたちは、交際において自分のことをそういう仕方で話し、自分
      をも隣人をも、嘘でだます。
    ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p110より引用

    自分で知っていて自覚的に偽りを話す人だけが嘘つきなのではなくて、
    自覚なしに知らずのうちに偽りを話す人は、いっそう嘘つきである。

    ところが、人々は人間関係において、自覚なしに知らずのうちに自分のことを
    こういう仕方で話しがちで、自分と隣人をだます。

    ニーチェの遺稿に、「私はそれと知りながら嘘をつく者たちよりも、君たち無意識の
    嘘つきのほうがずっといやでたまらない。」
    とあるそうです。
    (訳注 p383より)

    自分の考えていること(思考)に対して自覚なしにいて、無自覚にそのままに発言する
    人をニーチェは嫌だと言っているのですね。

    自分の思考に自覚的であること、これはとても大切だと私も思います。
    すべてはここから始まると言っても過言ではないと考えます。

    ・・・・・
    12 或る者は、自分を得ようとするがゆえに、隣人のもとへ行き、そして他の者は、
      自分を失いたいと思うがゆえに、隣人のもとへ行く。
     きみたちの不十分な自己愛のために、孤独がきみたちの牢獄となる。
    ・・・・・同書 p111より引用

    隣人を自分の目的のために利用しようとするのは、不十分な(利己的な)自己愛
    がそうさせるものである。
    そうした不十分な(利己的な)自己愛は孤独を生み、精神を閉じ込めてしまう。


引用返信/返信 削除キー/
■18493 / inTopicNo.68)  手記
□投稿者/ みのり -(2021/11/07(Sun) 14:08:55)
    2021/11/07(Sun) 16:44:40 編集(投稿者)

    うましかさんご紹介の、軍隊所属時のウィトゲンシュタインの手記には
    興奮したな〜。

    ・・・・・
    世界の出来事を私の意志によって左右するのは不可能であり、私は完全に無力である。
     私は出来事への影響を専ら断念することによって、自分を世界から独立させることができ、従って世界をやはり或る意味で支配しうるのである。
    ・・・・・
    最後の部分、お借りしました。(無断ですみません。)

    世界を自分の意志でコントロールすることは不可能で自分は無力だと断念することによって、逆にある意味、世界を支配しうる、と。
    コントロール不能と知ることにより、逆に世界とうまくいく(真の主体性が出る)、というようにも読め、なんとなく非二元での言説とやはり似てるんですよね。

    ただ、戦時中という特殊な心境が、そのように思わせただけかもしれず、後には
    また違う見解を持ったかもしれない。

引用返信/返信 削除キー/
■18492 / inTopicNo.69)  (削除)
□投稿者/ -(2021/11/07(Sun) 14:03:20)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信/返信 削除キー/
■18475 / inTopicNo.70)  自己愛について
□投稿者/ みのり -(2021/11/07(Sun) 08:13:49)
    『ツァラトゥストラ』の「隣人愛について」について。

    今、読んできたところまででツァラトゥストラが語っているのは、

    病的な満たされなさに苛まれた空虚さに裏付けられた自己愛を持って
    隣人に近づき、隣人から感謝や称賛を得て、それにより満たされようと
    することを、ツァラトゥストラは勧めない、ということ。

    代わりに、自らが自己超克をして、健全な自己愛を持つ者となることを
    勧める、と。

    これだけのことなんですよね。


    まず、社会的弱者に手を差し伸べるな、などと言っていないし、そうした点について触れられてもいません。
    書いてもいない点についてあれこれ想像で考えてみてもしかたないでしょう。


    ここからは私の考えを書きます。
    病的な自己愛によって、その本人と周りの人が苦しむ、というのは現実にたしか
    にあることだと思います。

    本人が自覚をすること。
    まずはこれに勝るスタートは無いと思います。

    自分の苦しみは、バックボーンとして環境や成育歴があることを踏まえた上で、
    いつまでもそれのせいにしていてもしかたないのだから、自ら自覚して超克
    していく。
    こうしたことをせずに、いつまでも他者たちのせいにしていても何もなりません。
    私が、「なんでも他者のせいだけにして、自らの省みる部分を考慮せずに他責だけを言う人」に対して何か言いたくなってしまうのは、このようなところから来ているのだと自覚しています。

    ただ、こうした私の言動も行き過ぎたものになることがこれまで多かったので、
    人によっている地点は違うということを考慮すべきだと考えています。
    (具体的には、なんでもかんでも言えばいいというものではないということだったり、言っても無理と思う人については言わない、とか。)

    私自身、父がアルコール依存で、母からはよく父の愚痴を聞かされて育った
    アダルトチルドレンだった(親にありのままでいることを否定されることが多かった)ために、病的な自己愛を持つようになったと、ネットをするようになってから気づき、そこから、ツァラトゥストラの言葉を借りるなら「超克」が開始されたのだと思っています。

    私自身がたどってきた道なのです。

    きつくても辛くても、自覚がまずは必要です。
    そこからスタートです。

    たまたま今、「隣人愛について」を読解していて、自己愛についてが出ているので、思うところを書いてみました。
引用返信/返信 削除キー/
■18456 / inTopicNo.71)  Re[29]: Z 第一部 説話[16]
□投稿者/ みのり -(2021/11/06(Sat) 20:20:56)
    No18442に返信(パニチェさんの記事)

    > (´・ω・`)ごもっとも。。。。
    >
    > でも、わしゃ嫌い!(`・ω・´)


    正直に生きるのが一番と思うので、嫌いは嫌いもいいと思います。^^
引用返信/返信 削除キー/
■18442 / inTopicNo.72)  Re[28]: Z 第一部 説話[16]
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/06(Sat) 15:11:57)
    No18441に返信(みのりさんの記事)

    > 白取さんの本は、『ツァラトゥストラ』の読解をする前に読みながら投稿もしたのですが、その本とはまた違う『ニーチェ[超]入門』でした。
    > タイトル忘れてたので今、確認してきました。

    > 『超訳 ニーチェの言葉』は読んでないのでなんともなんですが、そんなに激甘なんですか。(^▽^;)
    > たしかベストセラーだったとか。

    > ニーチェにとても詳しい方からすれば物足りないんだろうな、と思うけど、また別の角度から考えてみると、それを読んで生きる勇気をもらえた、というような人もいたかもしれないし、それはそれでかな、と。

    > こうしたことはニーチェに限らず思います。
    > その人の能力に応じた内容で、入門書だったりもっと簡単な漫画のようなものであっても、その人にとって何か役に立ち、物の観方が変化したりすればそれでいいのかな、って。

    > そして。頭って使っていくうちに進化もある程度は可能みたいなので、簡単なものから始めて、次第に難易度を上げていく、そうした中で達成感を得られればその人にとって良いギフトであるように思います。

    (´・ω・`)ごもっとも。。。。

    でも、わしゃ嫌い!(`・ω・´)
引用返信/返信 削除キー/

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