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■1502 / inTopicNo.13)  Re[47]: FLORAさん(関係代名詞の件)
  
□投稿者/ おくったがわ -(2019/07/15(Mon) 19:57:27)
    No1501に返信(FLORAさんの記事)
    こんばんは。

    > こんにちは、お邪魔します。
    >
    > 英語の文法を基準として、関係詞の制限的用法と非制限的用法を展開なされておられるようですが、ドイツ語の場合、関係詞にはすべてコンマを使用するようで、コンマの有無で制限的/非制限的用法を区別出来ないようです。
    >
    > カントの時代のドイツ語の文法はちょっと調べられませんが、気がついたものですから。

    うわ。そうなんですね! そこまで思い至りませんでした。ありがとうございます。

    すると、制限的か否かの意味の違いを分ける形式はドイツ語にはなく、文脈や個別の説明で表現するということでしょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■1501 / inTopicNo.14)  Re[46]: (関係代名詞の件)
□投稿者/ FLORA -(2019/07/15(Mon) 18:08:38)
    こんにちは、お邪魔します。

    英語の文法を基準として、関係詞の制限的用法と非制限的用法を展開なされておられるようですが、ドイツ語の場合、関係詞にはすべてコンマを使用するようで、コンマの有無で制限的/非制限的用法を区別出来ないようです。

    カントの時代のドイツ語の文法はちょっと調べられませんが、気がついたものですから。
引用返信/返信 削除キー/
■1500 / inTopicNo.15)  Re[45]: (関係代名詞の件)
□投稿者/ おくったがわ -(2019/07/15(Mon) 12:16:26)
    No1441に返信(pipitさんの記事)
    返事が遅くてすいません!
    カンマが付いている場合を「付加的」と書きましたが、英文法では非制限用法・継続用法と呼ばれてますね。
    He has a daughter, who is studying music.
    こういう形の場合、「娘が1人いる。(そして)彼女は音楽を勉強してる。」と、and she is…. のように訳すので継続用法と言うのかなと思いますが…。 
    今回のカントの文章では、主語-述語の間に「,which〜,」が入っている形なので、色々な訳し方が考えられそうですね。

    で、制限用法と継続用法には形だけでなく意味の違いもあって

    He has a daughter who is studying music.
    音楽を勉強している娘が一人いる → 他に音楽を勉強していない娘がいる可能性はある (「音楽を勉強中の娘」に限定して一人いると述べるので、制限用法というのかな)
    He has a daughter, who is studying music. 
    娘が一人いて、彼女は音楽を勉強している。→ 娘は一人しかいない (あらかじめ焦点を当てた一人娘について、継続して説明)

    といったことをネットで復習して気づいたのですが、
    今回のカントの文で、カンマをその意味で使っているとしたら、

    もしカンマが無い場合(制限的)
    「心が心自身あるいは心の内的な状態を観るのに用いるところの内的な感性は、客体としての魂の直観を与えない」
    → それ以外の種類の内的な感性もあって、それが客体としての魂の直観を与える可能性もある。(1)
    しかし、カンマがあるので、
    内的な感性というものは、(〜〜なのだが)客体としての魂の直観を与えない。
    全般的な否定になると思われます。

    文脈からしても、(1)の解釈は無いのだろうと思いますが、形式的にもそれを示しているのかなと。

    細かい話でめんどくさがられるかなと思ったのですが、返事いただけたので、長文書いています。

    alone については、他のバージョンでは違う単語が使われていて、どちらにしても自分には意味を取りにかったです。もう一回確かめて、また投稿するかもしれません。

    > けど、『付加的』という視点を持って、構文を探っていくと、今までよりは理解しやすくなるかも、と、今思っています。
    >
    > 推測ですが、カントは、読者にわかりやすくなるように、一生懸命、自分が使う単語のカント的定義を披露しながら、説明しているのかも。
    > そのうちに、ダラダラ長文(カント先生、激怒 !)になるのかも、と、思いました。

    取り上げた対象を考察しながら組み立てていくので、○○は、それは〜〜なのだが、とカンマを使って付け加えていく形になりやすいのかなと、pipitさんの話を読んで思いました。


    > おくったがわさん、書き込みしていただいて本当にすごく助かります!
    >
    > おくったがわさんの気が向いたときはいつでも、どんな話題でも、書き込んでいただければ、とても嬉しいです(o^^o)
    > (ちなみにメビウスリング掲示板の哲学トピ『純粋理性批判』というサイトにも、ある程度まとまった訳文を投稿しようと、感性論序文の抜粋を投稿しました)
    >
    > 感謝です(^人^)

    ありがたいです。こちらこそ感謝します。

引用返信/返信 削除キー/
■1498 / inTopicNo.16)  追記
□投稿者/ パニチェ -(2019/07/15(Mon) 11:45:31)
    No1487に返信(pipitさんの記事)

    > 純粋理性批判の感性論序文の中に以下の記述があります。

    > 『この超越論的感性論という学において、わたしたちは最初に、
    > 受け取るものに、知性の概念によって付け加えられるものから、(知性によるものを)分離して、
    > 感性あるいは感覚の能力を孤立させてみよう。
    > そうすれば、経験的な直観だけが残される。
    >
    > 次に、わたしたちはその(経験的な)直観から感覚に属するものを全て取り去ってみよう、
    > そうすれば、純粋な(=経験的ではない)直観だけが残されるだろう、
    > (残されたもの、純粋なものは)現象の単なる形式であり、それだけが感性がアプリオリにもたらすことのできるものなのである。』

    ここだけ読んだ印象としては、臨済宗で言うところの「無為の真人」とか、西田哲学の「純粋経験」をアプリオリなるものとして説明しているのかな、と。
引用返信/返信 削除キー/
■1497 / inTopicNo.17)  Re[61]: ご質問
□投稿者/ パニチェ -(2019/07/15(Mon) 11:08:28)
    おはようございます、ピピットさん。

    No1491に返信(pipitさんの記事)
    > パニチェさん、返信ありがとうございます

    こちらこそ、返信ありがとうございます。

    > あ!オンリーワンの〈私〉!
    > パニチェさんが、前にニーチェ関連で発言されていた
    > 『世界に一つだけの花』を思い出しました。
    > (勘違いしてたらすみません)

    そうですね。ニーチェが賛歌する人間ならではの尊重されるべき個性とか唯一無二性も含みますが、文脈的に近いのはウィトゲンシュタインが指し示した語りえないところの独我論的(永井均的には「独在論」的)存在だと思います。

    > オンリーワンの〈私〉だけど、
    > 『わたし』と言ったとたん、『わたし』という内容空虚な言葉が立ち現れる。
    > 言ったとたん、は、少しのタイムラグもないとすれば、
    > 言語化は不可能。。。

    個々の個性であれば言語化可能だと思うんですね。

    >>いえいえ、私でよければ、なんなりとどうぞ。^^<
    > わ〜い、そんなこと言ってもらえたら
    > 聞いちゃいますよ〜
    > また、いろいろ教えていただければありがたいです、
    > よろしくお願いしますm(_ _)m

    大歓迎です。私はサイトとか、あとすぐに退会したミクシィとかアメーバをやってみて気付いたのですが、一人でコツコツを書き綴っていくことにモチベーションを見出せないタイプのようで、こうして人と会話したり議論することで、いろいろ調べたり考えたり、自分の思考を見直した上で返信することにモチベーションを見出し維持できるタイプみたいです。
    考えてみればパニチェルームでまとめた私のカキコは、ほとんどが誰かへの返信とか、議論で触発されて気付いたことを書き留めたことなんですねぇ〜。
    返信は土日になるので遅れがちになりますが、こちらこそよろしくお願いします。

    No1492に返信(pipitさんの記事)
    > >オンリーワンの〈私〉だけど、
    > 『わたし』と言ったとたん、『わたし』という内容空虚な言葉が立ち現れる。<
    > あ、すみません、ここ説明不足かもです。
    > カントの自我論的なところで、
    > 内容空虚、ゆえ、様々なものを統べることが可能、というような考え方がでてくるみたいで、(勘違いしてたらすみません)
    > そのことが念頭にあって、

    ここはむしろ私が教えてもらいたいところですがカントが言うところの「内容空虚」というのは究極の自我の本質について述べた表現なんでしょうか?
    それと「内容空虚」というのは言語化が不可能という意味での「空虚」なのか、それとも言語化できるかできないかに限らず「空虚」と述べているのかどちらなんでしょうか?
    カントも究極の自我に何がしかのアプリオリなるものを認めているのであれば、前者のような気もしますが、それならウィトゲンシュタインの「語りえぬもの」や〈私〉とも同じ文脈にあるとは思います。


    No1493に返信(pipitさんの記事)
    > カントと切り離して考えるはずが、
    > すみません、カントコントロールされてるかも(*_*)
    > むむむ
    > む〜

    私的にはカントが勉強できて有難いです。
    ピピットさんに限らずカントに関しての横レスは歓迎します。

引用返信/返信 削除キー/
■1493 / inTopicNo.18)  Re[60]: ご質問
□投稿者/ pipit -(2019/07/14(Sun) 18:51:47)
    カントと切り離して考えるはずが、


    すみません、カントコントロールされてるかも(*_*)


    むむむ


    む〜
引用返信/返信 削除キー/
■1492 / inTopicNo.19)  Re[59]: ご質問
□投稿者/ pipit -(2019/07/14(Sun) 18:48:29)
    >オンリーワンの〈私〉だけど、
    『わたし』と言ったとたん、『わたし』という内容空虚な言葉が立ち現れる。<

    あ、すみません、ここ説明不足かもです。

    カントの自我論的なところで、
    内容空虚、ゆえ、様々なものを統べることが可能、というような考え方がでてくるみたいで、(勘違いしてたらすみません)
    そのことが念頭にあって、

    『わたし』が内容空虚ゆえ、個々にフィットして使用でき、
    それゆえに、オンリーワンの〈私〉を表現でき得る言語として『わたし』は存在できない、
    というイメージで書き込みました。

引用返信/返信 削除キー/
■1491 / inTopicNo.20)  Re[58]: ご質問
□投稿者/ pipit -(2019/07/14(Sun) 18:12:27)
    パニチェさん、返信ありがとうございます

    > カントは詳しくないので、以下はカントとは切り離して(万が一の確率としてカントの言っていることと同義かもしれませんが)読んで下さい。
    >
    > 結論から言えば究極的な〈私〉(日常的に使う「私」という言葉とは区別して、永井均氏に倣って〈私〉と表記します)が知識や感覚に属するものを取り去った後に残るものだと考えています。
    >
    > 〈私〉とは言語に先立って、今、ここにあるがままにある唯一無二の存在、他のどのようなものも並び立つことができない世界の限界に位置する独在論的存在〈特異点〉で、究極の自己(仏教的には真我と同義かもしれませんが。ここはまだ探究中です)みたいなものだと考えています。<

    あ!オンリーワンの〈私〉!
    パニチェさんが、前にニーチェ関連で発言されていた
    『世界に一つだけの花』を思い出しました。
    (勘違いしてたらすみません)


    > 言葉によるラベリングで誰にも当てはまるような対象となり、一般化されることで変質してしまうような存在であるため、言語表現できない対象です。<

    オンリーワンの〈私〉だけど、
    『わたし』と言ったとたん、『わたし』という内容空虚な言葉が立ち現れる。
    言ったとたん、は、少しのタイムラグもないとすれば、

    言語化は不可能。。。

    というようなことを思いました。


    >>変な質問ですみませんm(_ _)m
    >
    > いえいえ、私でよければ、なんなりとどうぞ。^^<

    わ〜い、そんなこと言ってもらえたら
    聞いちゃいますよ〜

    また、いろいろ教えていただければありがたいです、
    よろしくお願いしますm(_ _)m

    おつかれさまです!
引用返信/返信 削除キー/
■1488 / inTopicNo.21)  Re[57]: ご質問
□投稿者/ パニチェ -(2019/07/14(Sun) 09:38:00)
    No1486に返信(pipitさんの記事)
    > 言葉で指し示せる真実は世俗諦、っておもっていいのかなぁ、と、自分では思いました。

    そうです。^^

    > ちゃんと指し示せてる、って概念、新鮮です。
    > 書き込みありがとうございます!

    どういたしまして。^^

    No1487に返信(pipitさんの記事)
    > パニチェさんは、座禅とか瞑想ってされますか?

    以前していた時期もありましたが今は訳あってほとんどしていません。

    > あと、思考止まった世界、見たかも?って経験ありますか?

    坐禅による魔境みたいな経験はありますが、それは単なる変性意識(オルタードステイツ)みたいなもので、思考を超えた見性体験ではないですね。

    > カント勉強してて、

    > 純粋理性批判の感性論序文の中に以下の記述があります。
    > 『この超越論的感性論という学において、わたしたちは最初に、
    > 受け取るものに、知性の概念によって付け加えられるものから、(知性によるものを)分離して、
    > 感性あるいは感覚の能力を孤立させてみよう。
    > そうすれば、経験的な直観だけが残される。

    > 次に、わたしたちはその(経験的な)直観から感覚に属するものを全て取り去ってみよう、
    > そうすれば、純粋な(=経験的ではない)直観だけが残されるだろう、
    > (残されたもの、純粋なものは)現象の単なる形式であり、それだけが感性がアプリオリにもたらすことのできるものなのである。』

    > この中で、
    > みてるものから、知性によるものをはぶいた世界、って
    > 実際的には私は、意識的に見たいけど見れてなくて、
    > パニチェさん、見たことあるのかなぁ、と聞いてみたくなりました。

    カントは詳しくないので、以下はカントとは切り離して(万が一の確率としてカントの言っていることと同義かもしれませんが)読んで下さい。

    結論から言えば究極的な〈私〉(日常的に使う「私」という言葉とは区別して、永井均氏に倣って〈私〉と表記します)が知識や感覚に属するものを取り去った後に残るものだと考えています。

    〈私〉とは言語に先立って、今、ここにあるがままにある唯一無二の存在、他のどのようなものも並び立つことができない世界の限界に位置する独在論的存在〈特異点〉で、究極の自己(仏教的には真我と同義かもしれませんが。ここはまだ探究中です)みたいなものだと考えています。

    言葉によるラベリングで誰にも当てはまるような対象となり、一般化されることで変質してしまうような存在であるため、言語表現できない対象です。

    > 変な質問ですみませんm(_ _)m

    いえいえ、私でよければ、なんなりとどうぞ。^^

    > ちょっといろいろ用事してきま〜〜す

    私も出かけてきます。

    > 休みさいこー ! \(^o^)/

    禿同!!^^


引用返信/返信 削除キー/
■1487 / inTopicNo.22)  ご質問
□投稿者/ pipit -(2019/07/14(Sun) 09:04:53)
    パニチェさんへ

    すみません、ご質問いいでしょうか?

    パニチェさんは、座禅とか瞑想ってされますか?
    あと、思考止まった世界、見たかも?って経験ありますか?

    あんまし答えたくない質問だったら、そう教えてくださいね(o^^o)

    カント勉強してて、

    純粋理性批判の感性論序文の中に以下の記述があります。
    『この超越論的感性論という学において、わたしたちは最初に、
    受け取るものに、知性の概念によって付け加えられるものから、(知性によるものを)分離して、
    感性あるいは感覚の能力を孤立させてみよう。
    そうすれば、経験的な直観だけが残される。

    次に、わたしたちはその(経験的な)直観から感覚に属するものを全て取り去ってみよう、
    そうすれば、純粋な(=経験的ではない)直観だけが残されるだろう、
    (残されたもの、純粋なものは)現象の単なる形式であり、それだけが感性がアプリオリにもたらすことのできるものなのである。』

    この中で、
    みてるものから、知性によるものをはぶいた世界、って
    実際的には私は、意識的に見たいけど見れてなくて、
    パニチェさん、見たことあるのかなぁ、と聞いてみたくなりました。

    変な質問ですみませんm(_ _)m

    ちょっといろいろ用事してきま〜〜す

    休みさいこー ! \(^o^)/


引用返信/返信 削除キー/
■1486 / inTopicNo.23)  二諦について
□投稿者/ pipit -(2019/07/14(Sun) 08:56:53)
    パニチェさん、おはようございます\(^o^)/

    >二諦に関して言えば言語化できる真理が世俗諦で、言語化できない(不立文字)真理が勝義諦ってことになります。
    世俗諦は例えば三法印(諸法無我・諸行無常・涅槃寂静)や大乗の一実相印(諸法実相)、四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)などなどのことで。今風に言えば形式知(マニュアル化可能な知識)ですね。
    これに対して勝義諦は暗黙知みたいなもので職人芸みたくマニュアル化できないために体得するしかない境地のことです。
    魔境や野狐禅ではなく、正しい境地(ニルヴァーナ)へ至るためには、その指針となる世俗諦が必要であると、間違った空観への見解に反論しています。<


    ご説明、めっちゃわかりやすいです !(◎_◎;)
    といいつつ、アホな私は勘違いしてるかもですけど(T . T)

    言葉で指し示せる真実は世俗諦、っておもっていいのかなぁ、と、自分では思いました。

    ちゃんと指し示せてる、って概念、新鮮です。

    書き込みありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■1485 / inTopicNo.24)  昨日思い出したこと
□投稿者/ pipit -(2019/07/14(Sun) 08:48:15)
    textreamでixtlanさんに純粋理性批判の話題を
    ほんのすこしだけ教えてもらっていたとき

    ixtlanさんが、『純粋』を『純水』と変換し間違えて
    書き込みされたことがありました。
    純水直観、とかだったかなぁ、記憶違いしてたらすみません。

    私は、確信的に『純水』という漢字を使われてたと勘違いして、
    なんてきれいな表現されるんだ!、と、思ったら

    変換ミスだったとのことで

    なんか、昨日、そのことをふと思い出しました。

    ixtlanさんとお話していただいたことはほんのすこししかないのですけど、
    (途中で無視リストに入れられたりしてましたし(^^;;)
    今更ながら、様々な哲学者についてのあの知識量はすごいなぁと思いました。

    存在に感謝です。
    死後があってもなくても
    御多幸を願っています。

引用返信/返信 削除キー/

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