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■3638 / inTopicNo.1)  純粋理性批判を読んでみる。7
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/07(Tue) 22:25:40)
    トピ主:pipitさん

    引き続きよろしくお願いします。

    6は101まで投稿できます。^^
引用返信/返信 削除キー/
■3645 / inTopicNo.2)  おはようございます。
□投稿者/ 田秋 -(2020/07/08(Wed) 07:28:45)
    おはようございます、pipitさん

    元々、そういうことが好きなのですね。そういうことというのは生き方を考えるとか、考えること自体が好きとか。。。素晴らしい!
引用返信/返信 削除キー/
■3648 / inTopicNo.3)  おはようございます。
□投稿者/ pipit -(2020/07/08(Wed) 07:59:25)
    田秋さん、おはようございます

    人生は有限だから、私の場合、考えてるだけで終わらないように注意しないと
    いけないですね(^_^;)

    あ、放送大学を受講されてる記事を読んだのですが、
    新しいことにチャレンジされること、素晴らしいなぁと思いました。

    私もそうありたいです。
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■3649 / inTopicNo.4)  洞窟の喩えと感性界
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/08(Wed) 08:28:26)
    おはようございます。

    プラトンに洞窟の喩えというのがありますが、カントにおける時間と空間という枠組みからの感覚体験という捉え方は、洞窟の喩えのカントバージョンのようなところがあると思います。違いは近代人カントの方が楽観的な人間信頼をもっていることでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■3659 / inTopicNo.5)  Re[4]: 洞窟の喩えと感性界
□投稿者/ pipit -(2020/07/08(Wed) 13:30:39)
    knowing itself さん、こんにちは!

    > プラトンに洞窟の喩えというのがありますが、カントにおける時間と空間という枠組みからの感覚体験という捉え方は、洞窟の喩えのカントバージョンのようなところがあると思います。違いは近代人カントの方が楽観的な人間信頼をもっていることでしょうか。<

    はい、私も、カントの楽観性を感じます。楽観性、なのか、あるいは希望、か、希求、か、祈り、か
    そんなふうに感じることもあります。

    knowing itselfさんはご存知だと思うのですが、
    カントの時間論は感性論での記述が有名ですが、
    それ以降もあらゆるところに時間は関わってきて、
    一筋縄ではいかない論述になっているようですね。

    中島義道先生の『カントの時間論』という本が手元にあるのですが、
    私には難解なため、読めてません(u_u)
    前書きみたいなところの文章を引用します。
    『一般に、カントの時間論に関しては「感性論」内の「時間について」という
    一節だけを取りあげて論じる向きがあるが、そこでカントが語っていることは
    『純粋理性批判』でさまざまな観点から論じている時間についての考察のごく一部にすぎない。時間論は『純粋理性批判』全体に浸透してるのであり、
    そうした全体の構造を見抜くことによってのみ、われわれはカントの時間に関する
    繊細で強靭な思索を読み解くことができるのである。』p3.4

    >楽観的な人間信頼<

    このような部分からの切り口じゃないかな、と、思ってる解説書があります。
    石川輝吉さんの本で、タイトルは
    『カント 信じるための哲学 「わたし」から「世界」を考える』
    NHKブックス

    ああ、哲学は深いなぁ、と思うと同時に、
    時間かかりすぎで、瞑想とかした方がはやいんじゃないかな、とも思うのですが、
    怠け者の私は瞑想もしないので、
    なんともかんとも _| ̄|○

    できることだけでも、少しずつ試せたらいいな、と、思いました。
    何にでも造詣が深くて、簡単に私の言いたいことをわかってくださる
    knowing itself さんに感謝してます!
    ありがとうございます (^人^)

    もちろん、分かり合えないことを分かり合う過程も素晴らしいと思っていますけどね♪

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■3696 / inTopicNo.6)  宇宙はなぜあるのか。
□投稿者/ minori -(2020/07/08(Wed) 22:56:21)
    pipitさん、こんばんは。

    pipitさんは、「宇宙はなぜあるんだろう?」なんて考えたことないですか?
    考えようとしてもわかるはずもないのに、考える、というか想像しようとしている時があります。

    空間は無限か、それとも有限か、というのはアンチノミーの説明の一つとしてありますよね。

    「宇宙はなぜあるんだろう?」 もしこの答えを人間が知ったとしたら、絶望するのか、それとも喜びに包まれるのか。
    あ〜、なぜ宇宙はあるんだろう?
引用返信/返信 削除キー/
■3701 / inTopicNo.7)  Re[6]: 宇宙はなぜあるのか。
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/09(Thu) 07:32:19)
    横レス失礼します。

    No3696に返信(minoriさんの記事)

    > pipitさんは、「宇宙はなぜあるんだろう?」なんて考えたことないですか?
    > 考えようとしてもわかるはずもないのに、考える、というか想像しようとしている時があります。

    ひとつの答えが神による創造で、(ご存知かもしれませんが)もうひとつの答えとして人間原理というのがあります。

    人間原理
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/2001/multiverse-anthropic-principle/

    人間の存在から宇宙や私たちの存在を説明する人間原理は、ニーチェを先駆者とする無神論的な実存主義(Wikipedia:人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想)とも相通じるところがあります。

引用返信/返信 削除キー/
■3702 / inTopicNo.8)  Re[7]: 宇宙はなぜあるのか。
□投稿者/ minori -(2020/07/09(Thu) 08:41:21)
    No3701に返信(パニチェさんの記事)
    > 横レス失礼します。
    >
    > ■No3696に返信(minoriさんの記事)
    >
    >>pipitさんは、「宇宙はなぜあるんだろう?」なんて考えたことないですか?
    >>考えようとしてもわかるはずもないのに、考える、というか想像しようとしている時があります。
    >
    > ひとつの答えが神による創造で、(ご存知かもしれませんが)もうひとつの答えとして人間原理というのがあります。
    >
    > 人間原理
    > https://www.nagaitoshiya.com/ja/2001/multiverse-anthropic-principle/
    >
    > 人間の存在から宇宙や私たちの存在を説明する人間原理は、ニーチェを先駆者とする無神論的な実存主義(Wikipedia:人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想)とも相通じるところがあります。
    >


    パニチェさん、ありがとうございます。
    リンク、拝見しました。
    人間原理という名称となんとなくの内容は知ってはいましたが、それだけでしたので興味深く拝見しました。

    弱い人間原理は常識の範囲内。
    強い人間原理の方は、リンクにあるように確かに過激といえばそう感じる人も多いかもしれないですね。
    なにしろ。宇宙の存在は人間のような知的生命の認識にかかっており、知的生命がなかったら宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも当然。
    「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という超越論的観念論の世界だと、あります。

    私はこの強い人間原理に途中まで納得がいくんです。
    その通りだと。 でも、観測したり数学的な計算をしたりするだけでなく、実際に宇宙空間に物を飛ばせるということは・・・
    これをどう考えたらいいんだろう? というところで引っかかってしまうのです。

    ニーチェを先駆とする無神論的実存主義と人間原理は、通じるところがある、ということなのですね。
    神による創造という話が普通だった時代があり、それを懐疑しはじめた近代に登場してきた思想。

    ニーチェは私もいいな、と思う哲学者です。
    強者と弱者の論理とか、はっきりと言いにくいことを言ってくれてるところとかいいと思います。





引用返信/返信 削除キー/
■3704 / inTopicNo.9)  Re[8]: 宇宙はなぜあるのか。
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/09(Thu) 09:08:24)
    No3702に返信(minoriさんの記事)
    > パニチェさん、ありがとうございます。

    どういたしまして。

    > リンク、拝見しました。
    > 人間原理という名称となんとなくの内容は知ってはいましたが、それだけでしたので興味深く拝見しました。

    > 弱い人間原理は常識の範囲内。
    > 強い人間原理の方は、リンクにあるように確かに過激といえばそう感じる人も多いかもしれないですね。
    > なにしろ。宇宙の存在は人間のような知的生命の認識にかかっており、知的生命がなかったら宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも当然。
    > 「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という超越論的観念論の世界だと、あります。

    > 私はこの強い人間原理に途中まで納得がいくんです。

    私も強い人間原理の途中までは支持しますが、残りはペンディング(保留)です。
    以下は、私の意見というよりも、こういう見解もあるという意味で返信させてもらいます。

    > その通りだと。 でも、観測したり数学的な計算をしたりするだけでなく、実際に宇宙空間に物を飛ばせるということは・・・
    > これをどう考えたらいいんだろう? というところで引っかかってしまうのです。

    数学的に記述することは、現実の世界のどこかに数学的な世界があるということを意味するものではない。
    で、宇宙空間にロケットを飛ばしたり、ある事象を観測したりすることは、夢の中でも可能なわけで、これは観念論の範疇にも治まりうることなので、人間が認識するから宇宙が存在するという観念論的世界観の反証にはならないとも言えます。

    > ニーチェを先駆とする無神論的実存主義と人間原理は、通じるところがある、ということなのですね。
    > 神による創造という話が普通だった時代があり、それを懐疑しはじめた近代に登場してきた思想。

    > ニーチェは私もいいな、と思う哲学者です。
    > 強者と弱者の論理とか、はっきりと言いにくいことを言ってくれてるところとかいいと思います。

    猛毒にもなるし、劇薬にもなるし、読む人の解釈によって、如何様にも価値や意味を創造することができる哲学だと思います。
    別名に解釈の哲学という呼び名もあるように、ニーチェ自身もそれを推奨しています。

    『いまや、わたしはきみたちに、わたしを失い、みずからを見出せ、と命じる。そして、きみたちがみな私を否認したときに初めて、わたしはきみたちのもとへ帰って来ようと思う。まことに、わたしたちの兄弟たちよ、そのときわたしは、違った目で、自分の失った者たちを捜し求めるであろう。そのときわたしは、或る違った愛で、きみたちを愛するであろう。そして、さらにいつの日か、きみたちはわたしの友となり、同じ希望の子となっているであろう。そのとき、わたしは三たびきみたちのもとにあって、きみたちと共に大いなる正午を祝おうと思う。ところで、大いなる正午とは、人間が自分の軌道の真ん中にあって、動物と超人の中間に立ち、自分が歩み行くべき夕暮れへの道を自分の最高の希望として祝う時である。というのは、それは或る新しい朝への道だからだ。そのとき、没落して行く者は、自分がかなたへ渡って行く者であるというので、みずから自分を祝福するであろう。そして、彼の認識の太陽は、彼にとって真南に位置しているであろう。「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは、超人が生きんことを欲する」──これが、いつの日か大いなる正午において、われわれの最後の意志であらんことを!──このようにツァラトゥストラは語った。(ツァラトゥストラ 贈与する徳について3)』

引用返信/返信 削除キー/
■3706 / inTopicNo.10)  悪魔ちゃんさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/09(Thu) 11:31:11)
    返事ありがとうございます。トピが変わってからの返事になりすみません。

    > 現象学絡みで、カントについての記述があったら、また書き写して見ようと思ってます。

    現象学おもしろそうだと思いながら勉強したことがないので、楽しみに読ませてもらいます。
    というか、既にさっき別トピで悪魔ちゃんさんの引用を読みました。
    この後、人間原理について投稿するつもりなのですが
    実際に人間というものが存在して宇宙を観測できているというこの事実から→宇宙について何が言えるか を導く人間原理
    現象学の考え方と関係ありそうかな… 分かりませんが。

    > ふと、「おくったがわ」と「おくられたがわ」、同じがわ?異なるがわ?

    本来は一方的に おくった側のつもりでしたが、その後、おくられた側にもなったかも(意味不明ですね。

    悪魔ちゃんさん、でなく 悪魔ちゃんと呼んでいいですか?
引用返信/返信 削除キー/
■3707 / inTopicNo.11)  Re[8]: 宇宙はなぜあるのか。
□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/09(Thu) 12:05:01)
    No3702に返信(minoriさんの記事)
    はじめまして。横レス失礼します。

    > 弱い人間原理は常識の範囲内。
    > 強い人間原理の方は、リンクにあるように確かに過激といえばそう感じる人も多いかもしれないですね。
    > なにしろ。宇宙の存在は人間のような知的生命の認識にかかっており、知的生命がなかったら宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも当然。
    > 「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という超越論的観念論の世界だと、あります。
    >
    > 私はこの強い人間原理に途中まで納得がいくんです。
    > その通りだと。 でも、観測したり数学的な計算をしたりするだけでなく、実際に宇宙空間に物を飛ばせるということは・・・
    > これをどう考えたらいいんだろう? というところで引っかかってしまうのです。

    永井さんの書き方は語弊があると思います。(本当に誤解しているのか表現のせいかは分かりません)
    「人間という知的生命がこの宇宙を観測している(できている)」という事実から宇宙について分かることを導くのが人間原理で、その基本は強い人間原理でも同じだと思うのです。

    物理定数が少しでも違っていたら、知的生命は発生できず「その宇宙」は誰にも観測されない。
    『知的生命がなかったら宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも同然。』
    は、「存在しない」ではないです。誰にも一切観測されない以上、存在しないのと変わらない、と。しかもそれは、目を向けたら見えるとか遮蔽物を取り除いたら見えるではなく、原理的にけっして誰にも観測され得ないのだから。


    「我思う、ゆえに我あり」は、あらゆるものを疑っても、疑っているその思い自体が存在することから、それを為している我が存在することだけは分かるということですよね。
    それに似せて言うと、
    「我思う、ゆえに宇宙は〜」は、知的生命としての人間がこの宇宙に存在するのだから、この宇宙は、それが可能となるような成り立ち・構造であることだけは確実だ。

    で、人間が思うから宇宙が存在するとか、人間が思うように宇宙は存在するということではないと思います。
    もしかしたら、そのような過激な方向に向かった学者もいて、永井さんがそれを差して強い人間原理と書いているのかもしれません。が、本来の提唱者のブランドン・カーター(の強い人間原理)は、弱い人間原理より対象を広げただけで、観念論というのは違うと思います。

    自分の説明、下手かもしれません。すいません。
引用返信/返信 削除キー/
■3710 / inTopicNo.12)  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/09(Thu) 13:14:38)
    パニチェさん、ありがとうございます。


    > 私も強い人間原理の途中までは支持しますが、残りはペンディング(保留)です。
    > 以下は、私の意見というよりも、こういう見解もあるという意味で返信させてもらいます。
    >
    >>その通りだと。 でも、観測したり数学的な計算をしたりするだけでなく、実際に宇宙空間に物を飛ばせるということは・・・
    >>これをどう考えたらいいんだろう? というところで引っかかってしまうのです。
    >
    > 数学的に記述することは、現実の世界のどこかに数学的な世界があるということを意味するものではない。
    > で、宇宙空間にロケットを飛ばしたり、ある事象を観測したりすることは、夢の中でも可能なわけで、これは観念論の範疇にも治まりうることなので、人間が認識するから宇宙が存在するという観念論的世界観の反証にはならないとも言えます。

    宇宙区間にロケットを飛ばしたり、ある事象を観測したりすることは夢の中でも可能・・・
    たしかにそれはそうだと思います。かなり壮大な規模での夢ということにはなるでしょうけれど。
    それと。夢だとするならその夢を見ている主体は誰なのか?ということにもなるのだと思います。



    > 猛毒にもなるし、劇薬にもなるし、読む人の解釈によって、如何様にも価値や意味を創造することができる哲学だと思います。
    > 別名に解釈の哲学という呼び名もあるように、ニーチェ自身もそれを推奨しています。
    >
    > 『いまや、わたしはきみたちに、わたしを失い、みずからを見出せ、と命じる。そして、きみたちがみな私を否認したときに初めて、わたしはきみたちのもとへ帰って来ようと思う。まことに、わたしたちの兄弟たちよ、そのときわたしは、違った目で、自分の失った者たちを捜し求めるであろう。そのときわたしは、或る違った愛で、きみたちを愛するであろう。そして、さらにいつの日か、きみたちはわたしの友となり、同じ希望の子となっているであろう。そのとき、わたしは三たびきみたちのもとにあって、きみたちと共に大いなる正午を祝おうと思う。ところで、大いなる正午とは、人間が自分の軌道の真ん中にあって、動物と超人の中間に立ち、自分が歩み行くべき夕暮れへの道を自分の最高の希望として祝う時である。というのは、それは或る新しい朝への道だからだ。そのとき、没落して行く者は、自分がかなたへ渡って行く者であるというので、みずから自分を祝福するであろう。そして、彼の認識の太陽は、彼にとって真南に位置しているであろう。「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは、超人が生きんことを欲する」──これが、いつの日か大いなる正午において、われわれの最後の意志であらんことを!──このようにツァラトゥストラは語った。(ツァラトゥストラ 贈与する徳について3)』
    >

    そうでしたか。解釈は受け取る側に任せるとニーチェは言っていたのですね。

    ニーチェ、フッサール、それから現代に近くなっての哲学者の思想もおもしろそうなものがあるので、少しずつ勉強していこうと思っています。
    また、機会があったらいろいろと教えていただけたら嬉しいです。

    東洋哲学では「空」の思想が好きなのですが、深いところまでは難しくて理解できていません。
    中村元さんの『龍樹』はきっと良書だと思い、最後近くまで頑張って読みましたが、結局、ごく基本的なところしか理解できなかったです。
    こちら方面はお休みにしていこうと思っています。
引用返信/返信 削除キー/

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