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■25738 / inTopicNo.97)  うましかさんへ( ^ω^ )
  
□投稿者/ pipit -(2022/08/21(Sun) 19:59:26)
    うましかさん、こんばんはー


    No25733に返信(うましかさんの記事)
    > いやー そんな決めつけた感じはしなかったですよ(;´・ω・)
    > むしろ、
    >
    > 「先生みたいな変わった生き物に『手』がなくて、穴に落ちた生徒?が、助けて、って、手を差し出してるのに手がなくて、、、結局二人とも穴底でこっち向いて立ってて生徒?は、仕方ないなーというかんじで笑って涙拭って握手求める、、、」( No.25723 、pipitさん)
    >
    > って、この曲のエッセンスが凝縮されてる気がして、感心したくらい。
    >
    > 「手」への関心は、ネットで調べたら同様の感想をみかけたので注目すべきことなのかも! (`・ω・´)ゞ<

    私は、『人は人を助けられない』という意味を、先生に手が無いことに見出してたんです。
    助けてあげたくても助けられない。自らの行為をどうしても必要とする。

    でも投稿した後、ネットをみたら、手が無いのは『助けてくれない大人』を象徴しているみたいな意見も目にして、そういう捉え方もあるのか!と。

    人の捉え方はいろいろなんだなーと改めて思いました。

    > ところで、YouTubeには歌詞が掲載されていたのですが、歌詞には、pipitさん曰く「変わった生き物」(!!)みたいな「先生」に投げかけられているであろう「」付けされている台詞と、「」付けされていない言葉がありました。
    >
    > 私が唐突だと感じた、
    >
    > >あなただけを知りたいのは我儘ですか
    >
    > は、「先生」に直接投げかけられた言葉=問いではないかも(;´・ω・)
    >
    > 問いの主体(歌における語り手)にとって、問いが投げかけられる「先生」と呼ばれる不思議な形をした存在とのあいだには、両者を隔てる深い水溜まり(問いの主体の胸に空いた「穴」でもある)がありましたが、歌の最後には「先生」という呼びかけが「あなた」という二人称に代わります。
    >
    > 懐疑、不信の塊のような問いの主体にとって、「先生」が、数少ない、ほとんど唯一の信に足る存在になった、細やかながらも内面的にドラマチックな瞬間を表しているのかなとおもいました。<

    ほんとですね、「 」がついている歌詞とついてない歌詞がある!

    わたしなんかはいい加減な性格で、歌詞もいい加減に聞いちゃうので、
    最後の歌詞は、、、じつはカント先生思って聞いてしまうこと多し、です(^◇^;)バクロー


    > 淡々とやさしいタッチで描かれる問いの主体であろう子ども?と、その目に映る、距離に戸惑い気味で異形の「先生」との関係性の変容。そこにヒッチコックのような古典的かつ劇的なサスペンスは必要ないのかな〜(;´・ω・)
    >
    >
    > (/・ω・)/疲れた沼〜 <

    おつかれさまです 
    (o^^o)

    うましかさんと、ヨルシカさんのお話できて、うれしいです。
    ありがとうございます♪

    もともとナブナさんはボカロP(プロデューサー)で、
    ↓の歌とかも好きでした。
    この曲はカラオケにも入っているんですよ(^ ^)
    実際に歌おうと思うとめちゃ高音でした(^^;;
    https://youtu.be/EpFxTXgElLA
    ♪夜明けと蛍
引用返信/返信 削除キー/
■25745 / inTopicNo.98)  Re[7]: 迷宮の超越論的演繹論・B141
□投稿者/ pipit -(2022/08/21(Sun) 22:32:36)
    2022/08/21(Sun) 22:36:56 編集(投稿者)
    2022/08/21(Sun) 22:35:22 編集(投稿者)

    みなさまこんばんはー(^_^)

    No 25706
    > 御子柴善之先生の純理解説本p210、御子柴先生の解説小題は〈判断は統覚による客観的統一を目がけてくだされる〉
    >
    > 繋辞〈ある〉・・・AはB〈である〉
    > この〈ある〉は何か、、、
    >
    > まずカントの文章の御子柴善之先生訳を引用させていただきます。
    >
    > (カントの文章)
    > 『判断における繋辞(けいじ)「ある」は、この統覚の客観的統一を目指すものであり、それによって所与の諸表象の客観的統一が主観的統一から区別されることになる。
    > というのは、この繋辞「ある」が、所与の諸表象の根源的統覚への関係を表示していて、またたとえ判断そのものが経験的でありしたがって偶然的であるとしても、諸表象の必然的統一を表示しているからである。(B141f)』
    >
    > この後御子柴先生の解説文章を引用しますが、明日以降になるかもしれません。
    > 主語概念と述語概念が〈ある〉で結び付けられるのですが、客観的判断においては客観を目がけて結合される、みたいなこと書いてあるかんじですが、また引用しながら理解にチャレンジしてみます
    > o(・x・)/

    ということで、次は御子柴善之先生の解説を引用します。※一部のある、についてた強調記号は省略します。

    『 ある人がドッジボールについて、〈ドッジボールは小学生時代の陰惨な一場面に思われる〉と語るとしても、それに反論する人はいません。ひとはその発言を、あの人はそう思うんだと受け止めて終わりです。
    しかし、ある人が、〈ドッジボールは小学生時代の陰惨な一場面である〉と判断するなら、その判断には異論が提起される可能性があります。

    その人にとって主観的にはそのとおりかもしれませんが、ドッジボールにかんして客観的に語るなら、〈ドッジボールは体育競技のひとつである〉と判断すべきであると。

    この反論を行う人は、もしかすると、小学校の体育の時間に行ったドッジボールは楽しかったと主観的に思っているかもしれませんが、その思いは別にして、客観的にドッジボールにかんする判断を下しているのです。
    この例から分かるように、繋辞「ある」において、判断は客観性を目がけるものになり、それゆえに反論の可能性も生まれるのです。(注2)

    主観的な思いと客観的な判断とを私たちは区別できます。
    前者においては、主語概念(ドッジボール)と述語概念(小学生時代の陰惨な一場面)とが連想によって関係しているに過ぎません。
    他方、客観的判断においては、主語概念と述語概念(体育競技のひとつ)とが客観を目がけて結合されています。
    しかも、このような結合の場は、私たちの、権利上は〈一つの意識〉なのですから、判断は「統覚による客観的統一」を目がけて下されるのです。以上のようにして、判断を手がかりとして、私たちは統覚と客観との関係を明らかにすることができました。

    (注2)以下で、客観を「目がける」という表現を用いますが、これは目がけたとしてもつねにそれを実現するとは限らない、という事態を見込んだ表現です。私たちは、客観的な判断を下そうとする場合に、それが誤りでないかどうかを気にかけます。それが「目がける」ということです。』

    以上『シリーズ◆世界の思想 カント 純粋理性批判』御子柴善之先生著、角川選書、p211.212より引用

    ※※※※※※※※※

    「AはBである。」
    「AはBと思う。」

    カントは、特徴の特徴は元の事物の特徴、みたいなことを三段論法の論文で言ってた記憶ありますが(再確認してないので間違えてたらすみません!)
    それは一つの系列となるイメージを私は持っていますが、
    その特徴が客観なのか主観なのか、わたしたちは話し合いできるのが「科学の場」なのかもしれませんね。
    反証の可能性が確保されているとか?
    全部うろ覚えで書いてるので、めちゃくちゃ言ってたらすみません!
引用返信/返信 削除キー/
■25746 / inTopicNo.99)  『N.O.』と『虹』
□投稿者/ pipit -(2022/08/21(Sun) 22:56:42)
    2022/08/21(Sun) 23:50:10 編集(投稿者)

    「ない」の話題で電気グルーブの「N.O.」という曲を思い出して、検索したらあった
    !(◎_◎;)

    いろんな面で賛否両論やろうけどなぁ
    ピエール瀧さん逮捕されてしまったし…
    (ー ー;)

    なつかしいなぁ、30年前くらいの発売かも
    ないない尽くしの内容の歌です。

    https://youtu.be/xApZ0WG4Jtw
    電気グルーブ
    『N.O.』

    あぁ、懐かしいなぁ。
    https://youtu.be/fUCFskx6jHg
    電気グルーブ
    『虹』
引用返信/返信 削除キー/
■25763 / inTopicNo.100)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/08/22(Mon) 10:40:06)
    2022/08/22(Mon) 12:47:04 編集(投稿者)

    悪魔ちゃんがあげてた中島美嘉さんの曲は、amazarashiさん(秋田ひろむさん)の作った曲。

    https://youtu.be/TEwRyS-DqTU

    私が前にamazarashiさんの曲を投稿したら、悪魔ちゃんは、きょく 感想として
    「不快以外のなにものでもない」と言ってた。

    No8025
    『>https://m.youtube.com/watch?v=fodRoRdDSug月曜日の友だちamazarashi さん<

    わたし、こういうの、不快以外の何ものでもない。

    ごめんね。』


    同一作者の異曲でも、快?不快どちらも出得るんだね。
    考えてみれば、それは当たり前なのかな

    様々な条件で成り立つ一期一会をそのままに、その時その時を新しいものと見れれば、もっと自由になるのかな、と、思いました。

引用返信/返信 削除キー/
■25769 / inTopicNo.101)  Re[10]: 日記
□投稿者/ pipit -(2022/08/22(Mon) 15:47:05)
    No25736

    あ、別に中島美嘉さんの曲が(不快ではない)とは書いてなかった。


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