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■15249 / inTopicNo.97)   Z 第一部 説話[4]
  
□投稿者/ みのり -(2021/07/28(Wed) 11:28:30)
    [4]身体を軽蔑する者たちについて

    続きです。

    6〜14は、身体が自己であり、自我の支配者であることなどについて語られていて、前に語られている内容とも重なっています。(と、思います。)

    ・・・・・
    15 身体を軽蔑する者たちに対して、わたしは一言しよう。彼らが軽蔑するということ、それは彼らの尊重がなすわざなのだ。尊重することと軽蔑すること、価値と意志、それらを創造したものは、何であるか?
    ・・・・・
    『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p63より引用

    ここ、よくわからないです。

    「自分自身を軽蔑する者とても、なおやはり軽蔑者として自己を尊敬する」というのが、『善悪の彼岸』78の訳であり、それを参照するようにと研究者が言っている、というのが訳注p337にあるのですが・・・。

    身体の軽蔑者が、自分は身体を軽蔑しているという意味において自分を優れていると思い、そのような自分を尊敬する。
    身体より精神性を重視し、身体を軽蔑する自分に対して優越感を感じる。
    というようなことなのかな、とは考えました。

    パニチェさん、すみません。
    ここについてどんなふうに解釈されますか?
    いつでもいいですので、よかったら教えてください。

引用返信/返信 削除キー/
■15299 / inTopicNo.98)  Re[68]: Z 第一部 説話[4]
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/30(Fri) 20:52:13)
    こんばんは、みのりさん。亀レスでゴメンチャイ♪

    No15249に返信(みのりさんの記事)
    > [4]身体を軽蔑する者たちについて

    > 続きです。

    > 6〜14は、身体が自己であり、自我の支配者であることなどについて語られていて、前に語られている内容とも重なっています。(と、思います。)

    > ・・・・・
    > 15 身体を軽蔑する者たちに対して、わたしは一言しよう。彼らが軽蔑するということ、それは彼らの尊重がなすわざなのだ。尊重することと軽蔑すること、価値と意志、それらを創造したものは、何であるか?
    > ・・・・・
    > 『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p63より引用

    > ここ、よくわからないです。

    > 「自分自身を軽蔑する者とても、なおやはり軽蔑者として自己を尊敬する」というのが、『善悪の彼岸』78の訳であり、それを参照するようにと研究者が言っている、というのが訳注p337にあるのですが・・・。

    > 身体の軽蔑者が、自分は身体を軽蔑しているという意味において自分を優れていると思い、そのような自分を尊敬する。
    > 身体より精神性を重視し、身体を軽蔑する自分に対して優越感を感じる。
    > というようなことなのかな、とは考えました。

    > パニチェさん、すみません。
    > ここについてどんなふうに解釈されますか?
    > いつでもいいですので、よかったら教えてください。

    言うまでもないのですが以下はあくまでもパニチェの我流解釈ですよ。

    15段に続いて16段には『創造する自己が、みずからのために、尊重することと、軽蔑することを創造した。..〈中略〉..創造する身体が、みずからのために、自分の意志の一つの手段として、精神を創造した』とあり、訳注にも『これはZ-N独特の洞察であり、論理であって、「身体を軽蔑する者たち」自身は、夢にも意識していないところである』とあることからして、次のようにツァラトゥストラの言葉を読解しました。

    「身体を軽蔑する者たちに対して、わたしは一言しよう。彼らが軽蔑するということ、それは彼らの尊重がなすわざなのだ。尊重することと軽蔑すること、価値と意志、それらを創造したものは、何であるか?身体即ち自己である。自己即ち身体が軽蔑することや尊重することなどなどの意志や思考の主体である自我意識までも創造したのだ。故に身体を軽蔑すること自体がこれを創造した自己即ち身体を尊重しているという証となることなど、身体を軽蔑する者たちは思い及びもしないであろう。」

引用返信/返信 削除キー/
■15309 / inTopicNo.99)  Re[69]: Z 第一部 説話[4]
□投稿者/ みのり -(2021/07/31(Sat) 08:02:16)
    No15299に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは、みのりさん。亀レスでゴメンチャイ♪

    いえいえ。^^ パニチェさん、レスありがとうございます。

    > ■No15249に返信(みのりさんの記事)
    >>[4]身体を軽蔑する者たちについて
    >
    >>続きです。
    >
    >>6〜14は、身体が自己であり、自我の支配者であることなどについて語られていて、前に語られている内容とも重なっています。(と、思います。)
    >
    >>・・・・・
    >>15 身体を軽蔑する者たちに対して、わたしは一言しよう。彼らが軽蔑するということ、それは彼らの尊重がなすわざなのだ。尊重することと軽蔑すること、価値と意志、それらを創造したものは、何であるか?
    >>・・・・・
    >>『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p63より引用
    >
    >>ここ、よくわからないです。
    >
    >>「自分自身を軽蔑する者とても、なおやはり軽蔑者として自己を尊敬する」というのが、『善悪の彼岸』78の訳であり、それを参照するようにと研究者が言っている、というのが訳注p337にあるのですが・・・。
    >
    >>身体の軽蔑者が、自分は身体を軽蔑しているという意味において自分を優れていると思い、そのような自分を尊敬する。
    >>身体より精神性を重視し、身体を軽蔑する自分に対して優越感を感じる。
    >>というようなことなのかな、とは考えました。
    >
    >>パニチェさん、すみません。
    >>ここについてどんなふうに解釈されますか?
    >>いつでもいいですので、よかったら教えてください。
    >
    > 言うまでもないのですが以下はあくまでもパニチェの我流解釈ですよ。
    >
    > 15段に続いて16段には『創造する自己が、みずからのために、尊重することと、軽蔑することを創造した。..〈中略〉..創造する身体が、みずからのために、自分の意志の一つの手段として、精神を創造した』とあり、訳注にも『これはZ-N独特の洞察であり、論理であって、「身体を軽蔑する者たち」自身は、夢にも意識していないところである』とあることからして、次のようにツァラトゥストラの言葉を読解しました。
    >
    > 「身体を軽蔑する者たちに対して、わたしは一言しよう。彼らが軽蔑するということ、それは彼らの尊重がなすわざなのだ。尊重することと軽蔑すること、価値と意志、それらを創造したものは、何であるか?身体即ち自己である。自己即ち身体が軽蔑することや尊重することなどなどの意志や思考の主体である自我意識までも創造したのだ。故に身体を軽蔑すること自体がこれを創造した自己即ち身体を尊重しているという証となることなど、身体を軽蔑する者たちは思い及びもしないであろう。」

    自己即ち身体が、軽蔑する、尊重するといった意志や思考の主体である自我意識までも創造したのだ。
    身体を軽蔑するという自我意識の働きも実は自己即ち身体によって創造されているのであり、そうした意味で身体を軽蔑するという働き自体が、そのことを創造した自己即ち身体を尊重している証になる。
    しかし、身体を軽蔑する者たちはこれに思い及びもしないだろう。
     ということになるのですね。

    身体を軽蔑するという自我の働きも元々は身体が創造しているのだから、身体を軽蔑する者たちも実は身体を尊敬しているのだ。
    短くするとこんな感じかな。


    どうもありがとうございました。
    どうしてもわかりたかった部分なので助かりました。
    また次に進んでいきますね。
引用返信/返信 削除キー/
■15311 / inTopicNo.100)  Re[70]: Z 第一部 説話[4]
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/31(Sat) 08:11:32)
    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No15309に返信(みのりさんの記事)

    > 身体を軽蔑するという自我の働きも元々は身体が創造しているのだから、身体を軽蔑する者たちも実は身体を尊敬しているのだ。
    > 短くするとこんな感じかな。

    はい、私はそのように読解しました。
    眉唾ものですが。。。。^^

    > どうもありがとうございました。
    > どうしてもわかりたかった部分なので助かりました。
    > また次に進んでいきますね。

    どういたしまして&私も一緒に進みます。
引用返信/返信 削除キー/
■15312 / inTopicNo.101)  ニーチェから読者へ
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/31(Sat) 08:17:30)
    『私の読者に
     丈夫な歯と丈夫な胃
     私が君にのぞむのはこれだ!
     そうして君が私の本を消化してこそ、
     私と昵懇になれるのは必定!
     (悦ばしき知識 たわむれ、たばかり、意趣ばらし54)』


    『完全な読者というもののイメージを私が思い描いてみるなら、いつもきまって、勇気と好奇心の混じった一個の怪獣になる。さらにまた、何かしやかなもの、狡智に長けたもの、思慮深いものを備えている、生まれつきの冒険家であり発見者でもあるような存在になって来る。とどのつまりはこうである。要するに私がもっぱら誰に向かって語っているかは、かつてツァラトゥストラが次のように言った以上には、私にはどうやらうまく言えそうもない。つまり、ツァラトゥストラはもっぱら誰に向かって自分の謎を語り聞かせようとしているのだろうか。

    君たち大胆な探求家たち、実験者たちに向かってだ。狡智の帆を掲げて恐るべき海に乗り出したことのある者たちよ。──
    君たちの謎に酔い痴れ、薄明を喜ぶ者たちに向かってだ。君たちは笛の音に誘われてどんな迷いの淵にも誘き寄せられる魂の持ち主だ。
    ──君たちは臆病な手で一条の糸を探り探り歩もうとはしない人たちだからだ。
    そして君たちは推察することが可能であるような場面に来たら、推論することを憎む人たちばかりだからだ。〔ツァラトゥストラ 幻影と謎〕
    (この人を見よ なぜ私はかくも良い本を書くのか3)』
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