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No15309 の記事


■15309 / )  Re[69]: Z 第一部 説話[4]
□投稿者/ みのり -(2021/07/31(Sat) 08:02:16)
    No15299に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは、みのりさん。亀レスでゴメンチャイ♪

    いえいえ。^^ パニチェさん、レスありがとうございます。

    > ■No15249に返信(みのりさんの記事)
    >>[4]身体を軽蔑する者たちについて
    >
    >>続きです。
    >
    >>6〜14は、身体が自己であり、自我の支配者であることなどについて語られていて、前に語られている内容とも重なっています。(と、思います。)
    >
    >>・・・・・
    >>15 身体を軽蔑する者たちに対して、わたしは一言しよう。彼らが軽蔑するということ、それは彼らの尊重がなすわざなのだ。尊重することと軽蔑すること、価値と意志、それらを創造したものは、何であるか?
    >>・・・・・
    >>『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p63より引用
    >
    >>ここ、よくわからないです。
    >
    >>「自分自身を軽蔑する者とても、なおやはり軽蔑者として自己を尊敬する」というのが、『善悪の彼岸』78の訳であり、それを参照するようにと研究者が言っている、というのが訳注p337にあるのですが・・・。
    >
    >>身体の軽蔑者が、自分は身体を軽蔑しているという意味において自分を優れていると思い、そのような自分を尊敬する。
    >>身体より精神性を重視し、身体を軽蔑する自分に対して優越感を感じる。
    >>というようなことなのかな、とは考えました。
    >
    >>パニチェさん、すみません。
    >>ここについてどんなふうに解釈されますか?
    >>いつでもいいですので、よかったら教えてください。
    >
    > 言うまでもないのですが以下はあくまでもパニチェの我流解釈ですよ。
    >
    > 15段に続いて16段には『創造する自己が、みずからのために、尊重することと、軽蔑することを創造した。..〈中略〉..創造する身体が、みずからのために、自分の意志の一つの手段として、精神を創造した』とあり、訳注にも『これはZ-N独特の洞察であり、論理であって、「身体を軽蔑する者たち」自身は、夢にも意識していないところである』とあることからして、次のようにツァラトゥストラの言葉を読解しました。
    >
    > 「身体を軽蔑する者たちに対して、わたしは一言しよう。彼らが軽蔑するということ、それは彼らの尊重がなすわざなのだ。尊重することと軽蔑すること、価値と意志、それらを創造したものは、何であるか?身体即ち自己である。自己即ち身体が軽蔑することや尊重することなどなどの意志や思考の主体である自我意識までも創造したのだ。故に身体を軽蔑すること自体がこれを創造した自己即ち身体を尊重しているという証となることなど、身体を軽蔑する者たちは思い及びもしないであろう。」

    自己即ち身体が、軽蔑する、尊重するといった意志や思考の主体である自我意識までも創造したのだ。
    身体を軽蔑するという自我意識の働きも実は自己即ち身体によって創造されているのであり、そうした意味で身体を軽蔑するという働き自体が、そのことを創造した自己即ち身体を尊重している証になる。
    しかし、身体を軽蔑する者たちはこれに思い及びもしないだろう。
     ということになるのですね。

    身体を軽蔑するという自我の働きも元々は身体が創造しているのだから、身体を軽蔑する者たちも実は身体を尊敬しているのだ。
    短くするとこんな感じかな。


    どうもありがとうございました。
    どうしてもわかりたかった部分なので助かりました。
    また次に進んでいきますね。
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