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No37372 の記事


■37372 / )  Re[40]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/26(Sun) 17:59:59)
    さ〜てと、

    No37367ってして見たところで、

    No15221の本文(FD-7)は、わたしの見方では次のようになるのね。
    今回は(FD-7)を、(A)ってするね。

    第50節からの抜粋部分、わたしの見方は、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (a-A)
    ここで次のように仮定してみよう。
    私たちの知覚の場に他の人間が一人現れる。このことを原初《乳幼の頃》的に還元して言えば、私の原初《乳幼の頃》的自然の知覚の場に或る物体《(他者の)「体」》(ケルパー)が現れ、それは原初《乳幼の頃》的な物体《「体」》としてもちろん、単に私自身《私の自と体》を規定するものの部分(「内在的超越」)にすぎない。この自然と世界のうちでは、私の身体《〈体〉》(ライプ)が、身体《〈体〉》(機能している器官)として根源的に構成されている。また構成されることができる唯一の物体《「体」》(ケルパー)である。だから、そこにある物体《(他者の)「体」》〔他の人間〕はなるほど身体《〈体〉》として捉えられているが、それはこの〔身体という〕意味を、私の身体《〈体〉》の把握からの転移によって得るのでなければならない。しかもそれは、それ特有の身体《〈体〉》性という術語を現に直接的に、それゆえ原初《乳幼の頃》的に実証すること、すなわち本来的な知覚によって実証することは排除するような仕方においてである。私の原初《乳幼の頃》的領分の内部での、あそこにある物体《(他者の)「体」》を私の物体《「体」》と結びつける類似性のみが、前者を他の〔他人の〕身体《〈体〉》として「類比《類似と対比》によって」捉えるように動機づけるための基礎を与えることができるということは、初めから明らかである。
    それゆえ、それは或る種の類似にもとづく統覚という把握の働きであろうが、
    だからと言って、それは類推〔類比推理〕なのではない。ここで言う統覚(33)とは推理ではないし、思考作用でもない。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ってなるのね。
    *《 》内はわたしの見方で書いたところで、〔 〕内は訳者による補足説明ね。

    『ここで次のように仮定してみよう』っていうの、わたし、〈現象学的還元してみよう〉って見て、すなわち〈乳幼の頃に遡ってそのうちで見て見よう〉っていうことだとして見たのね。

    『私の原初的領分』を「私の《乳幼の頃》的領分」ってして見て、
    No37287の(B)にも『私の原初的な領分』ってあるんだけど、
    『原初的な領分』をわたし〈自〉ってして見たのね。
    いまは〈乳幼の頃の「私」〉で見てるから、
    No37367のDで見てる、っていうことね。
    で、
    『私の原初的な領分』→私の《乳幼の頃》的な領分→(私の)〈自〉
    ってして、
    もっとわたし勝手にして見ると、
    (a-A-a)「私の《自》の内部での、あそこにある《(他者の)「体」》を私の《「体」》と結びつける類似性のみが、前者を他の〔他人の〕《〈体〉》として「《類似と対比》によって」捉えるように動機づけるための基礎を与えることができるということは、初めから明らかである。」
    ってして見ちゃうのね。もっとも『初めから明らかである』かどうかは別としてもよ。

    『それは或る種の類似にもとづく統覚という把握の働きであろうが、だからと言って、それは類推〔類比推理〕なのではない。ここで言う統覚とは推理ではないし、思考作用でもない。』
    ここんところ、第50節のところに書いてあったんだけど、
    No11393で見たように、
    フッサールは二種類の「統覚」っていうのを見てるみたい。わたしのばあい、〈感知性〉の領域でのを「統覚Apperzeption」、〈考知性〉の領域でのを「統握Auffassung」(思考作用による類推・推理によるもの)っていう語で区別することにしてる。
    あと、
    No15252のなかの、
    〔フッサールが他者論において用いた用語で、固有領野によって対(Paar)をなすこと、そこからさらに私の身体からの意味の移譲にとよって他(他者)の身体という意味を得るようになる現象のことをいう。フッサールは、両身体の類似性にもとづく他者経験を類比化的統覚(analogisierende Apperzeption)と特徴づけるが、それが類比推理(analogieschluß)〔伝統的な「類推説」〕のような思考作用(=能動的・対象化作用)ではないことを強調し、それを「受動的総合の根本形式」と呼ばれる対化の現象として説明しようとした。〕
    っていうところとなんか似てる。
    ってすると、『類似にもとづく統覚』っていうのを「類比化的統覚」って見てもいいのかな?

    あと、『本来的な知覚』ってあるけど、
    No36316で見たように、《端的な知覚》ってして見ようかな、とも思ってる。

    ここでわたしの問題は、『類似にもとづく統覚』なんだけど、これ後にする。

    なんかごちゃごちゃしてるけどひとまずここの部分についてはこんな感じまでにしとく。

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