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Re[11]: ダンマパダ第九章『悪』・116
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□投稿者/ 時 -(2024/03/07(Thu) 13:23:02)
| 2024/03/07(Thu) 14:18:16 編集(投稿者) 2024/03/07(Thu) 14:10:08 編集(投稿者)
pipitさんへ。こんにちは。
■No36732に返信(pipitさんの記事)
> 善行を急ぐように > 心を悪から守るように > なぜならあなたが善を行うことにゆっくりしているとき、 > あなたの思いは悪を喜ぶから。
私の理解での仏教では、物事の判断基準を、損得感情や有利不利ではなくて善悪で判断します。そこで大切なのは、大元の善とは何か?悪(不善)とは何か?になると思います。
善と悪の初期での具体的な分類は、以前、pipitさんが表にして下さったもので良いと思います。
善法(離殺生・離偸盗・離邪淫・離妄語・離両舌・離悪口・離綺語・無貪欲・無瞋恚・正見) 悪法(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)です。
仏典全体としての印象での悪(不善)は、自身の心の中で生起する、怠け心や物事の先延ばし、不安や恐怖や欲望といった事のようです。悪魔との対話等で出てくる悪魔の正体は、大鎌を持った黒装束のおどろおどろしい実体としての物などではなく、自身の心の中の不善(悪)を助長させる機根(理解する度量・器・性格)の事のようですね。逆に自身の心の中でのなにがしかの善のふとした気づきやその確認を神々との対話という形で表現しているようです。
ですから悪魔の正体を見破ると、悪魔(悪)は消え去るしかありません。 「死魔よ、そなたは打ち破られた」「負けたな、ターミネーター!」です(笑)
ですので、日々少しずつ善を心がけて、自身の心の中で発見した悪に気が付くたびに、少しずつ悪をなさないように心がけて、そして善をなすように心がけた生活を送ることでしょうか。
・不善を生じないよう勤める事。 ・既に生じた不善を除こうと勤める事。 ・善を生ずるよう勤める事。 ・既に生じた善を増すように勤める事。
の4つで四正断と表現し、これに日々励むことを八支聖道の中の正精進と表現しています。
心を悪から守るように出来ればよいですね^^
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