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No36029 の記事


■36029 / )  Re[23]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/01/06(Sat) 11:17:00)
    No34818に返信(restさんの記事)
    > 2023/10/29(Sun) 22:29:54 編集(投稿者)
    >
    > 時間論の系譜には二つある。
    > 哲学者マクタガートにおけるA系列、B系列、C系列の捉え方、とカントの時間論。
    > 前者はA系列のA特性と出来事のB特性が矛盾し従ってA系列の時間は実在せず、B系列=A系列+C系列なのでA系列が成り立たない以上B系列も成り立たない。残るはC系列のみである、とする考え方。映像フィルムのようなC系列のみが実在し、変化を示すA系列を幻想とした。(入不二基義 著『時間は実在するか』講談社現代新書 参照)
    > 次にカントの時間論。まず空間はすなわち三次元空間は唯一無二であること(『純粋理性批判』B39)これは何を意味するのかというと過去も未来も無数の三次元空間から成り立っているとする過去実在論、未来実在論と一線を画する考え方である。現在時における現実の三次元空間がただ一つだけあって過去、未来の三次元空間は実在しない。無数ではない。この唯一無二の空間が永遠に存在し永遠の現在が示される。時間とは社会的約束事であり実体はない。「時間に絶対的実在性を認めることは不可能である。時間は我々の内的直観の形式にほかならない」(同著 B54)
    >  後者は私のカント解釈である。

    追記。「予知夢」というのがあって、未来の実在性の根拠としている人もいるが、はたして根拠たりえるだろうか。予言の当たる確率というところを検索してもらえればわかるが科学的観点からみると予言の当たる確率は非常に低い、むしろ当たらない確率が高い。予言(予知夢)が当たったとされる事例は科学の前提である再現性はなく、科学的分析では偶然の一致、認知バイアス、後付けの解釈などによって説明されることが一般的。予知夢では未来の実在性の証拠たりえない。
     「来年のことを言ったら鬼が笑う」、「一寸先は闇」というように未来の非実在性こそ現実的のように思えるがどうだろうか。キリスト教のヨハネの黙示録に示されるような終末預言を信じておられる方もいるが、旧約聖書のヨナ書において神が預言を撤回される場面があるので、同じように黙示録的預言を撤回される可能性もある。つまり未来は映像フィルムのように決定論的に実在するのではなく、神の計画(意志)として存在していると考えたほうが自然だろうと思う。

    時間の非実在性を前提にすると(ただし同じ時間の非実在性を説くマクタガートのc系列の映像フィルムのような時間観と違って)過去も未来も実在しない「永遠の現在」が見えてくる。「永遠」は確かに自覚できるけれども自己の存在は永遠ではない。やがて「死」が訪れる。死後「無」になる恐怖はないだろうか。仏教では「無記」というかたちで思考停止する。修行の邪魔になるので考えるな、ということらしいが「無」の恐怖は修行で消えるだろうか。
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