□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/08/30(Wed) 22:37:01)
| 時さん、こんばんは。 レスをありがとうございます。
■No32759に返信(時さんの記事) > ザビビのふくろうさんへ。こんにちは。レスをありがとうございます。 > > No32756 >>時さんはこのように述べられていますが、 >>私の認識では、 >>唯物論の立場からは、観念論は物理的実在に還元消去可能な“心”を実体とし、逆に、真の実在である物理的現象を“心”に還元可能とする、主従転倒の誤った一元論である、とみなされるのではないかと思います。 > > ザビビのふくろうさんのご指摘の通りだと思います。思いますが、、私の書きました唯物論者(脳科学者)の設定は、恐らくは、10-0のゴリゴリの唯物論者ではなくて、例えばの7-3や6-4の唯物論者(脳科学者)の感覚でエフニさんは書かれているのだろうなぁと言う想像であり可能性でのお話なのですね。書き方が雑ですみません。 > > ゴリゴリの唯物論者10-0とゴリゴリの観念論者0-10では、多分、同じテーブルでのお話合いにもならないでしょう。ですので、ゴリゴリの唯物論者ならば、観念論は、主従転倒の誤った一元論である。となるかと思います。 > > ですので、あの投稿文は、私個人の見解と言うよりも、、いや、私の見解は見解なのですが、エフニさんの書かれた内容で通る解釈をするのであればという可能性での投稿でした。 > > もしも想定した脳科学者(唯物論者)が、例えば、その瞬間にでも7-3での唯物論者でしたら、唯物論者は唯物論者ではあるが、観念論も考慮に入れられるという事を考えたのですね。その視点では、基本が唯物論ではあるが、観念の世界を取り入れるとしても、それでもちょっと無理があるのではないか?と言う結論になるのかなと考えました。 > >>脳科学にストレートに還元できないのは、独我論は心身二元論をとるからです。 > > なぜならば、独我論(観念論)は、脳科学(7-3の唯物論)の視点で見ても、3-7の心身二元論になるので、脳科学(7-3の唯物論)にはストレートには還元できない。と、上記文書の「独我論は心身二元論をとる」という脳科学(7-3の唯物論)の視点で読んでみました。 > > ですので、ザビビのふくろうさんと私との認識の相違は、唯物論者を10に見るか、7の可能性で見たかの違いだと思いました。 > > 実際は、全く違うかもしれませんが。
う〜ん、やはり私としては、唯物論というのは実在するのは100%物だけ、とする考えだと思いますので、7-3の唯物論者っていうのは、やはり、理解し難いですね。 ご説明いただいたのに、すみません。
ただ、こういう絶対的観念論者、絶対的唯物論者ではなく、たとえば、言語相対主義的な観念論、唯物論というのであれば、考えられると思います。 きわめてラフに言うと、要するに存在する世界は唯一同一として一元論をとりますが、その世界を現象言語(主観記述)で描出した世界像が観念論的世界、物理言語(科学的客観記述)で描出した世界像が唯物論的世界として、どちらの言語(記述)も可能だとみなす、といった立場です。 まあ喩えるなら、一つの図形である反転図形が、異なった二つの絵として把握できるような感じ、と言えばわかりやすいでしょうか。
それに対して、絶対的観念論は、物理言語は現象言語に還元可能、絶対的唯物論は物理言語に現象言語は還元可能(消去可能)とし、どちらの立場も、いわば世界の実相を描出するのはどちらか一方の言語だと主張するわけです。 (以上の説明は、分析哲学的な説明に寄っていますし、わかりやすくイメージをつかんでいただくためにおおざっぱで正確とは言えない説明となっていますので、ご了承ください。) ******************* ところで、時さんの仏教的世界観では、どういう立場ということになるんでしょうか? さしつかえなければ、教えてください。
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