□投稿者/ pipit -(2023/08/27(Sun) 13:50:11)
| 2023/08/27(Sun) 14:37:17 編集(投稿者)
田秋さん、こんにちは!返信ありがとうございます♪
■No32718 > 御子柴先生の文章の中、「領野」は「領域」、「感官」は「感覚器官」という意味で捉えていいですか?<
それで捉えていいのではないかとpipitは思いました。
>西先生、御子柴先生どちらの文章にも「概念」という言葉がありますが、これは「言語化」するという意味合いですか?<
私見述べますね。 少し微妙なんですけど、pipit的には、言語化できる準備が整ってる心の状態でも「概念」において認識してると言えるのではないかなーと思ってます。 私は全然詳しくないんですけど、曲のコードとかってありますよね? コードの状態が規則として整ってて、それに何という言葉(コード名)を当てはめるか、という2段階考えられませんか? カントは悟性を【規則の能力】※B356参照(もしご興味あれば引用しますのでおっしゃってくださいね(^^))としてるんですけど、、、 なのでpipitとしては、「概念とは言語化可能になっている表象である。」かなぁ。 細かくてすみません(><)
> もしそうならば西先生の > 「悟性 > 概念を通じて判断・思考する能力のこと」 > は「悟性とは言語化することによって判断・思考する能力のこと」 > 御子柴先生の > 『ここで「現象の領野で学ぶ」と表現された悟性は、感官によって与えられた現象を概念によって理解する能力です』は > 『ここで「現象の領域で学ぶ』と表現された悟性は、感覚器官によって捉えた現象を言語化することによって理解する能力』 > と理解して良いでしょうか。<
言語についての哲学が、様々な哲学者によって深く考察されているようなのですが、pipitはカントばっかりで未勉強なんです。 言語化、については詳しくわからなくてすみません。m(_ _)m
> 中山先生の『〜悟性は「知性」と訳し〜』という所は、悟性と知性が「等しい」或いは「かなり近い意味合い」ということなんでしょうね。ボク的には「知性」とは理解の原動力にもなるし、理解し蓄積した産物にも思えます(この場合「教養」?)。<
そうなのですね。 哲学者が、「一般的」と言っても、実は哲学界の中での「一般的」に限定されてしまっていることもあるかもしれませんね。
> 「悟性」というのは西周によるUnderstandingや Verstand の和訳ですが、これらの単語は今は「理解(すること)」と訳すのが普通です。それを「理解」と訳さずに「悟性」とするのは「感性」や「理性」と並べるときに「〜性」という言葉を使うことにより統一感を出すという美的感覚もあるのでしょうか。<
あるかもしれませんね! 【感】 【悟】 【理】 の性能、かぁ。
>それと「理解」というと「〜のような性質」という語感が不足するということもあるのかな。 > > === > 今日は地元の音楽を目指すand楽しむ人達の音楽会のお助けマンに行きます。先生は大変です。余程大学の先生の方が楽(?)です。<
こちらは今日も暑い日になりました。 おつかれさまです!
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