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Re[10]: 純粋理性批判B157
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□投稿者/ pipit -(2023/08/16(Wed) 08:22:27)
| 2023/08/16(Wed) 11:15:32 編集(投稿者)
みなさま、おはようございます(^_^)
------------------ No32491(pipit感想文より) > B 問題点の提起 > アプリオリな、知性由来の起源をもつカテゴリー(@)が、「直観一般の対象」についてもアプリオリな認識をもたらす可能性が成り立つ(A)のはなぜか? > しかもその「直観一般の対象」が、直観する形式ではなく、それらの結合または統合の(知性の)法則に従ってアプリオリに認識される、というのは如何にして可能となるのか?<
> C 問題Bが説明できないなら、 > 知性により導き出された法則に、現象が従う理由がわからなくなる。< ------------------
(pipit8/16日記)
「人間知性の上だけで生み出された概念が、人間の感受する対象の現れ方をあらかじめ規定する」ことが可能になる理路を提示できれば、
【知性により生み出された法則に自然現象が従う※理論を実証することが可能となる場が人間に現象している】という一つの仮説を唱える根拠となる。
カント的には「仮説」ではないだろうけど、読者に仮説に見える可能性は想定してるようで、「純粋理性批判」初版の序文内に関連する記述があります。 今読んでる箇所の重要性や苦労したという感想も書いてあるので、その部分も含めて後ほど引用しようと思います。
(中山元先生訳、光文社古典新訳文庫『純粋理性批判1』p211.212、A]T-(中山先生独自番号R12) のカントの文章の引用しようと思っています。)
それではいったん失礼します (^○^)
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