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No31489 の記事


■31489 / )  みのりさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/07/03(Mon) 12:18:02)
    みのりさん、こんにちは。
    レスをありがとうございます。

    No31439に返信(みのりさんの記事)
    > 2023/07/02(Sun) 17:55:59 編集(投稿者)
    >
    > ザビビのふくろうさん、レスありがとうございます。
    >
    > ■No31431に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >
    >>みのりさんはやっぱり心がやさしい人なんですね。
    >>私と発想が違う気がします。
    >>実は私はパニチェさんと同じく死刑については存置派なんですが、世界の趨勢から見たら、これは非人道的とされる考えだと思われるんですね。
    >>日本でも特に法学に詳しい人たちほど死刑廃止派(人権派?)が多い印象があって、私は以前別の掲示板でバトってたことがあるんです(笑)
    >
    >
    > ザビビのふくろうさんは、死刑について存置派なのですね。
    > たしかに法学に詳しい人ほど死刑廃止派が多い印象は私もあります。
    >
    > 死刑廃止派の方々は、どういった理由でそのように考えられていたのか、ザビビのふくろうさんが議論された方々の見解を差し支えなければ教えていただけたら嬉しいです。
    > よろしくお願いします_(._.)_
    >

    私の議論相手の人達の、死刑反対の根本的な思想根拠は、基本的人権の尊重という近代民主主義の根本理念から、死刑の認められないことが必然的に帰結するから、というものでした。
    そのロジックは、私には到底受け入れがたいものでした。
    はっきり覚えていませんが、基本的人権の理念+目的刑論から死刑廃止を導く議論だったように思います。

    あとは冤罪の排除不可能性を根拠にするもの、抑止効果を否定するもの、憲法の残虐な刑罰の禁止との矛盾を指摘するものなど、法学を專門に学んだ人達(たぶん弁護士も)も何人かいて、かついずれも死刑存廃問題についての議論も場数を踏んだ人達ばかりだったので、様々な論点が具体的(条文・判例・論文etc.)に提示され、詳細に議論展開されました。今でも私にはとても再現できませんが。その意味では勉強になりました。
    ただその人たちは法学には詳しくても、哲学・法哲学については専門の人がいなかったので、何とか付け焼き刃で勉強しながら理屈をこねて対抗しました(笑)。

    私は大雑把には絶対的応報刑論の立場で、カントには共感するところが大いにありますが、私は同害報復の立場はとらないところが異なります。
    前に議論した人達の話でも、同害報復は論外っていうのがほとんど前提の感じでした。理由は忘れましたが、とにかく応報刑論には否定的だったと思います。
    ひょっとすると、応報刑=同害報復とみなしてたのかな?うーん、思いだせませんm(__)m



    >
    > 先日、パニチェさんとここでやりとりした通り、私は死刑制度については強い肯定はできずとも完全に否定もできない、といったところです。
    >
    > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E7%BD%B0#%E5%88%91%E7%BD%B0%E6%A8%A9
    > ===
    > 刑罰の本質
    > 刑罰については、絶対主義、相対主義、併合主義の3つの立場がある。
    >
    > 絶対主義
    > 刑罰は正義を回復するための道義的必要に基づく応報であり、犯罪を行ったから罰するものであるという立場を絶対主義という[3]。絶対主義は絶対的応報刑論を内容としている[3](応報刑論を参照)。絶対的応報刑論の論者としてカントやヘーゲルがいる[4]。
    > 相対主義
    > 刑罰の合目的性・有用性から刑罰は犯罪を行わせないために罰するものであるという立場を相対主義という[3]。相対主義は目的刑論を内容としている[3](目的刑論を参照)。
    > 相対主義には一般予防論と特別予防論がある[4]。
    > 一般予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより社会の一般人を威嚇し犯罪が発生することを抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。一般予防論は中世における不合理で残虐な刑罰を批判し、相対主義によって刑罰の合理化や緩和化を図ろうとしたもので、一般予防論の論者としてベッカリーアやフォイエルバッハがいる[4]。
    > 特別予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより犯罪者自身を改善するもので、それによって将来の犯罪を抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。特別予防論の論者としてリストやフェリーがいる[4]。
    > 併合主義
    > 絶対主義と相対主義の両者を統合し、刑罰には正義の回復と合目的性のいずれも存在し、犯罪を行ったがゆえにかつ犯罪を行わせないために刑罰は存するという立場を併合主義という[3]。
    > 20世紀のヨーロッパ各国での刑法改正作業では応報刑論と目的刑論が対立していたが、応報刑論者も刑罰による犯罪者の改善の必要性を承認するようになったため併合主義が通説化した[4]。
    > ===
    >
    > このうちのどれかに(無理にでも)当てはめるとしたら、私は三番目の「併合主義」になるのかもです。
    >
    > 現状、死刑が犯罪抑止力になってないどころか、死刑になりたくて殺人する人もいることを思えば、死刑への疑問が出ます。
    > しかし、被害者家族の心情を思えば、存続が必要なのだろうと思います。
    > また、死刑に代わり完全無期懲役刑のみになったとしたら、死なずに済む上、寝食とそれなりの人道的な扱いが保証されることで、凶悪犯罪が増える懸念があります。
    > この最後の懸念は、無期懲役刑のみになったなら必ず発生してくると思うのです。
    > なので、死刑廃止について簡単に賛成はできないと考えています。
    >
    > とはいえ、相手が犯罪者とはいえ、国家として人命を奪うことの是非についても考えてしまいます。
    > もし冤罪だとしたら、無期懲役なら命だけは助かりますし、支援者の力で無罪になることというのもあります。
    > ほんとうに難しいです。
    >

    私は根が哲学体質なので刑罰の本質論などが大変面白く、バトルしながら集中的に自分なりの考えを構築しましたが、まあ素人考えです。

    その私見の一つは、ラフに言うと原理原則論と実践論を分離することです。
    別のところで少し書いたのですが、論理学などで意味論と語用論を区別するのと類否的です。

    例えば、禁止されたらやりたくなる、みたいな天邪鬼人間がいるとして、そんな人間まで最初から考慮して原理を立てねばならないなら、禁則なんてそもそも不可能になります。
    刑務所での安楽な暮らしを求めて犯罪を繰り返す人も同様です。
    しかしながら、法は国家成立の条件となる原理原則として必要不可欠です。
    原理原則としての法体系は現実への適用と独立させ、現実への法の適用・運用は個別に・そして現実的に対応すべきと考えます。
    なので抑止効果なんかも現実的には考慮して体制を整える必要はあると思いますが、
    それ以前かつそれとは独立に、しちゃダメな事はダメと禁則を立てる必要がありますし、罰則なき禁則は禁則ではありませんから、罰則も必要不可欠だと考えます。
    つまり、あんまし効果がないし廃止!って話ではないと思うわけです。
    なので、死刑存廃問題を論じる場合も、例えば宅間守のような例はとりあえず措いて、また抑止効果も措いて、あくまで法の本質論、罪刑の本質論として死刑を捉えるべきというのが私の考えです。

    ついラフに言ってしまいましたが、以上の私見は応報刑論の立場に立つもので、目的刑論の立場の人には全く受け入れられない議論だと思います。
    いずれにせよ、この問題は専門家の間でも決着が着いてないですし、普通に考えたらジレンマだらけで一方の立場だけを選択してその正当化の議論を組み上げるのも結構勉強も必要だし苦労かもです。
    しいて言えば、と述べてらっしゃるので積極的に採られてているのではないことは承知していますが、併合主義ってなんかご都合主義的で、あんまり立場って感じもしないことないですか?にもかかわらず、普通に考えたらそうなっちゃいますよね^^
    私はそういうのが我慢できないもので、当時、全然知識もないのに屁理屈こねるのだけが専門なので強引に立場をつくっちゃいましたが、その法哲学的意義はともかく、詳しい人相手にボロクソ言われながら必死で考えることができてなかなか面白かったです(笑)

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