□投稿者/ みのり -(2023/07/01(Sat) 20:28:01)
| 2023/07/02(Sun) 07:32:19 編集(投稿者) ザビビのふくろうさん、こんばんは。
■No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事) > 2023/07/01(Sat) 19:10:42 編集(投稿者) > みのりさん、パニチェさん、こんばんは > 横レス失礼しますm(_ _)m >
> 「罪を憎んで人を憎まず」 > という諺がありますね。 > 聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
孔子の言葉だったのですね。 世間の人々の経験からいつの間にか発生した言葉だと思ってました。。 お恥ずかしい。。(^▽^;)
> この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。 > 詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。 > > 罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。 > もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。 > これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。 > > でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。 > > ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。 > > Condemn the offense but pity the offender. > > 「罪を咎め、罪人を憐れめ」 > って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、 > とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑) > 詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。 > しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。 > 同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。 > 私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。 > いや、炭治郎、えらいわー(笑)
炭治郎くんの慈悲はすごいものがありますね。 殺した後に必ず、「成仏してください」と手を合わせます。
ほんと、炭治郎は誰に教わるでもなく、書かれている「罪を憎んで人を憎まず」、「罪を咎め、罪人を憐れめ」の精神を持ってると私も思います。 物事への理解を共感力と共に為せる、ということなのかな。 見習いたいですし、慈悲ってとても大切だと私は思うのです。
プチ情報です♪ 今、調べたところによると、当初の炭治郎は鬼になった背景を理解し慈悲を向けていたのだけれど、強くて残忍極まる鬼が登場してくるようになると、怒りや復讐心を燃やすようになっていくそうなんです。。 私は最初の頃の話しか知らなかったのですが、詳しい方ならこのあたりわかるかもです。
最後に・・ 慈悲は単なる同情ではなく智慧とともにあるもの、というところから私の好きなお話に、 幼子を亡くし悲しみにくれるキサーゴータミーという女性が仏陀から説法を受け、悲しみを乗り越え出家する、というのがあります。 (5世紀に書かれたものなのだそうで、仏陀直接のお話ではないようです。)
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