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No31415 の記事


■31415 / )  Re[25]: みのりさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/07/01(Sat) 19:08:46)
    2023/07/01(Sat) 19:10:42 編集(投稿者)
    みのりさん、パニチェさん、こんばんは
    横レス失礼しますm(_ _)m

    No31408に返信(パニチェさんの記事)
    > 2023/07/01(Sat) 12:00:45 編集(投
    >
    > あと、これは余談なのですが「無罪証明の亡霊」なるサイコパスに対する弁護があります。
    > 米国での調査で殺人者41名の脳をスキャンしたところ脳に損傷や機能不全(不活発または活動過多)が見つかることが多く、ほとんどの人が感情をコントロールする前頭前野の活動が停滞していたとの結果があります。彼ら、彼女らが育ってきた環境によってそのような脳が形成されたことに犯罪の原因があり、犯罪を起こしたその人物よりも育ってきた環境を問題視すべきで被告の無罪を主張するという弁護方法です。こんなことまで考えだすと人が人を裁くというのは本当に難しいですね。裁かないわけにはいきませんが。。。
    >



    「罪を憎んで人を憎まず」
    という諺がありますね。
    聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
    この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。

    罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。

    でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。

    ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。

    Condemn the offense but pity the offender.

    「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    いや、炭治郎、えらいわー(笑)



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